【130】滅ぼす
エアルス三界首脳会議から約四ヵ月。あの日から人間界と魔界の武力衝突はぱったりと止んだ。
神使マティラスの働きにより、ミラミス王国軍は解体され、水面下で動いていたという魔界への進軍も頓挫したのだ。
また、魔界の監視を務めている神使ヨミミも頑張ってくれているようで、魔王と協力しながら人間狩りの取り締まりを徹底してくれている。
すべては私の思い通りに進んでいた。エアルスはこれからもっとすばらしい星になっていくことだろう──
「──ついにできたわ! エリザベータ城!」
例の会議が行われた無人島に私のお城ができた。
周囲約九百メートル。高さ八十メートルはある尖塔の周りに、小ぶりの塔や修道院らしき建物を併設した。遠目で見たら円錐型の山のようである。
「いつの間にこんなものを……」
マティラスが手で日陰を作り、地上から城を眺めて賞嘆した。
「ちょっと頑張ったわ。神の拠点が平屋の公会堂なんて格好つかないものね」
「これ、エリザベータ様だけで作ったのですか?」
「まさか。私に建築のセンスはないわ。自然界のみんなで協力したのよ。アダムが設計をして、類人猿の仲間たちが働いてくれた。もちろんスノゥもね」
すぐ隣でお座りしている彼の首を撫でてやる。
「ところでマティラス。あなた、目のクマがすごいわ。ちゃんと寝てるの?」
彼は黒い手袋で覆われた手で目頭をつまむ。
「あぁ、失礼しました。実は色々と問題が立て込んでおりまして──」
瞬間、背後に魔力を感じた。術式を見るまでもなく、魔王の空間魔法だとなんとなく察した。
「──うおぉ! 公会堂めちゃくちゃデカくなってる~!」
少年の声がした。エギラだ。
振り返ると、案の定そこには魔王家族とヨミミがいた。
「なぁなぁエリザベータッ!? もう入っていいか! いいよな!?」
「もちろんよ。今日はあの城のお披露目のためにあなたたちを呼んだんだから」
「わーい! やたぁぁ!」
黒いローブをはためかせながらエギラは駆けだすが、そんな彼の手を、神使ヨミミが握る。彼女は会議のときと同じ黒いドレスを着ていた。
「走ったら危ないよ~?」
「は……離せって! 子ども扱いすんな!」
「子どものくせに。てか私、エギラちゃんとおてて繋いで歩きたいな~?」
「はぁぁ!? 家族でもカップルでもないのに男女で手繋ぎなんておかしいよ!」
「え~だったら──」
ヨミミがエギラの肩に手を置いて耳元で囁く。
「──私と結婚しちゃうぅ?」
「ふぁえぇ!?」
「キャハハハハ!! エギラちゃんのおみみ真っ赤! かわい~!!」
「ぐぬぅぅうう……!!」
すると、魔王クロードと手を繋いでいる悪魔族の綺麗な女性が微笑んだ。ヨミミと同じような二本角で、薄い金色のポニーテールを肩にかけ前側に流している。
「いいじゃないっ! ヨミミちゃんがエギラの相手になってくれたら、私とっても嬉しいわ」
「え?」
「さすがにまだ気が早いと思うけど、許嫁ってことでどうかしら?」
「……」
さっきまで元気だったヨミミが顔を火照らせながら黙って俯き、服の裾をいじりだす。
すると、エギラがそっぽを向きながらヨミミの手を握り締め、彼女を半ば強引に城へと引っ張っていった。そんな二人の様子を、魔王夫婦が微笑ましそうに眺めていた。
何この感じ。ヨミミ、なんか思っていたよりも仲良くなってる。別にいいんだけど。
その後、クロードとその夫人と挨拶を交わし、アダムに彼らの案内を頼んだ。アダムはスノゥを連れて、その夫婦とともに城の敷地内へと入っていった。
残された私とマティラスは、しばしの沈黙の後に言葉を交わす。
「……王は来ないって?」
「来ませんよ。あの者は。第一、私は彼に良く思われていませんから。彼だけではありません。ミラミスの国民全員から嫌われています。それほどまでに人間たちの抱える魔族への憎しみは大きかったようです」
「……そう。悪いわね。あなたにばかり苦労をかけているみたいだわ」
「……」
マティラスは閉口した。彼なりの反抗なのかもしれない。
「ねぇ……マティラス? 私たちはいつでもあなたの味方よ? 問題があればなんでも言ってね?」
俯く彼の顔を覗き込むと、その金色の瞳が動いた。
「問題……ですか。それを言ったら問題だらけですよ。人間界は」
「そう……なの?」
「人間は言語化しがたい感情を、個々人でまったく異なった形で有し、それがまた複雑に絡み合っています。統率は至難です」
「ごめんなさい……よく分からないわ。それぞれ違いはあっても、みんな同じ“人間”でしょ? きっと統率できるはずよ。それに、最悪あなたの力があれば平気よ! 私の魔力があるんだから!」
励ましたつもりだったが、すぐに失言だと気づいた。
私が三界に神使を派遣したのは、みんなに平和を享受してほしいからであり、支配したかったわけではない。それは私の理想ではない。
訂正しようとした刹那、マティラスから言葉が返ってくる。その語気はやや強くなっていた。
「魔族ならそれでいいでしょうね。なんだかんだ強者に迎合する彼らなら」
「ごめんなさい! 違うの、私が言いたかったのは──」
「しかし、エリザベータ様。今言ったように、人間は複雑な感情を持ち合わせているのです。私自身、人間ですので分かります。彼らは力で組み伏せられるほど単純ではないのですよ」
マティラスが顔を上げた。クマのある疲れ切った瞳には、もはや私には到底計り知れないような、そんな深い闇を感じた。
「人間には特異なエネルギーがあります」
「え……?」
「エアルスの魔族や動植物はおおよその進化を終えています。その一方で人間だけは、いまだ進化途中なのです。そして、その進化が終わったとき、人間はエアルスを支配するでしょう」
「?」
すると、マティラスは自身の胸に手を当てて、粛々と頭を下げてきた。
「私はエリザベータ様と同じ志を持つ者です。私もこのエアルスをより良いものにしたいと心から願っております……そこで一つ、お許しをいただきたいことがあるのですが」
「な、何よ?」
マティラスが魔力を練り上げたかと思えば、辺りが急に暗くなった。
天空にこの島を覆い尽くすような巨岩が現れ、影ができたのだ。
「これは隕石を落とす魔法です。私は『テイア』と呼んでいます」
「『テイア』……?」
土属性の六等級魔法に、数多の無属性魔法が配合されている。見たこともない魔法だ。マティラスが独自に開発したのだろう。
彼は迫りくる隕石を見上げながら、かすかに口角を上げた。
「私は明日。この『テイア』を人間界に落とそうと思っています。エリザベータ様。お許しいただけますでしょうか?」
「……は?」
落とす? これを? 人間界に? 何を言っているの、彼は──
「ダメよ……ダメって言うか、そんなことしていいわけないでしょ? ど、どうして!? どうしてそんなこと!?」
「人間を滅ぼすためですよ」
「!?」
マティラスは天を見上げたまま、視線だけを隣の私へ向けてくる。
「はっきりと申し上げます。エリザベータ様のやり方では、人間たちの抱える負の感情とそれに端を発するエネルギーがいたずらに蓄積されるのみです。エアルスを変えるどころか、破滅へと向かっていくでしょう」
「さっきからそのエネルギーって何? あなたの言っていること全然分からないわ!」
「……すなわち、人間をどうにかしない限り、我々の悲願は達成されないということです。エリザベータ様。どうかお許しを──」
いい加減、私も堪忍袋の緒が切れた。
彼が鎧の上に羽織っている白いマントの襟をつかんで怒鳴りつける。
「許すわけないでしょ!? あんなもの落とすなんてどうかしてるわ! その『テイア』とかいう魔法は今後一切使わないで!」
「……」
「それに人間が何!? もし仮に彼らが危険な存在だとしても、私たちでちゃんと導いてあげればいいでしょ!? そのために私はあなたを派遣したのよ!? ヨミミのように上手くいってないからって、あなたのやり方は乱暴すぎるわ!」
すると、マティラスは一瞬悲しそうな表情を浮かべたあと目を閉じた。そして、彼はすぐに目を開き、俯きながら謝罪の言葉を述べる。
「……エリザベータ様の仰る通りです。どうかしていました。誠に申し訳ございません」
あれだけ巨大だった『テイア』が霧消し、島の空が清々しい青に戻った。
「分かってくれたならいいのよ。私の方こそごめんなさい。ヨミミのように上手くいってない……なんて言ったけれど、そんなことないわ。マティラスはよくやってくれている。これからは私も力を貸すから」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけでも、とても励みになります」
そのときマティラスは、子どものような明るい笑みを浮かべていた。たぶんこれが、私が最後に見た彼の笑顔だった。
マティラスの訃報を聞いたのは、それからたった一週間後のことだった。
※ ※ ※
「え、マティラス死んだ?」
「死んだわ。後日、ミラミス王に殺されたの」
「ちょっと待て! ヴェノムギアの正体ってマティラスなんだよな!?」
「ええ」
「んじゃ、おかしいよね!? 死んでる奴がヴェノムギアってことになっちゃうよ!?」
「そうよ」
こいつマジで何言ってんの?
しかし、エリーゼの表情は至ってシリアスだ。冗談を言っているわけではないらしい。
「このときすでに、ヴェノムギアもといマティラスは動き始めていたのよ。ミラミス王に殺されたのもすべて計算の内。私を裏切る布石だったのよ。もっとも当時の私はそんなこと知る由もないけれどね──」