【129】神使
エアルスを最高の星にする──その夢を実現するため、私は人間界と魔界の間を取り持つことにした。
魔界とは、カロラシアと呼ばれるエアルス最大の大陸を指す言葉である。元々は人間も動植物も多く存在していた大陸だったのだが、いつしか“魔族”と呼ばれる種がその地の支配者となっていた。
人間が知能と社会性、動植物が生存能力や繁殖能力といった点で突出した進化を遂げた中、なんでもその魔族というのはより多くの魔力を保有できるという特徴があった。
たったそれだけの特徴ではあったが、無限の可能性を秘めた魔力に適応することこそ、エアルスの生存競争を勝ち抜くもっとも重要な要素だったらしい。
結果、魔族は他の追随を許さない速度で勢力を拡大し、他種族を食い荒らしながらカロラシア大陸を支配していった。特に魔族は人肉がお気に入りらしく、人間たちを好んで捕食していた。
一方で、人間も持ち前の知能を生かし、その事態への迅速な対処を講じた。
魔族からの捕食に怯え、逃亡と潜伏を繰り返し、大陸の隅に追いやられながらも、大海原を越えたはるか東に位置する別大陸……ミラミス大陸を発見した。そして、彼らは飛び抜けた知恵と連携により船を開発し、ついにカロラシアを脱出したのだった。
その後、魔族はもっとも魔力保有量が多いとされていた“クロード・ゼロ”という悪魔族を初代魔王に据え、人間側もミラミス大陸にて、ミラミス王国なるものを建国した。
各々が住む場所を変えたことで、争いも鎮静化するかと思いきや、人肉の味を覚えてしまった魔族が徒党を組んでミラミスまで人間狩りをしに行ったり、人間も人間でかつての故郷を取り返さんとカロラシアに進軍して来たり、とにかく二種族の仲は険悪のままだった。
アダムの見解では、どちらかが絶滅するまでこの争いは終わらないだろうとのこと。
こんなのは弱肉強食。自然界の掟に過ぎないと、とりわけ気にせず放置してきたツケが回ってきた。これまで果てしなく長い時間、観測者としてエアルスを見守っていた私だったが、ついに直接的な介入を試みるときがきたようだ──
「──もう全員揃ってるみたいね。遠路はるばるよく来てくれたわ」
二大陸の中間、大海原に位置するしがない無人島。そこに建てた公会堂の大会議室に足を踏み入れる。中央には黒曜石の巨大な円卓が鎮座しており、その周囲には背もたれの先が鋭く尖った玉座のような椅子が並んでいた。上座にある私の席以外はすでに埋まっていて、すでに役者は揃い踏みのようだった。
「遠路と言っても、僕たち魔族は父さんの空間魔法で一瞬だったけど。ただ人間どもは、今日もセコセコ船を漕いできたみたいだね? くくく……」
四角形の広間に魔族の笑い声が静かに響いた。血のように赤い短髪から四本の角を生やした魔族で、魔王一族であると一目で分かる。しかし、まだ若い。椅子に座ったら足が床につかないような子どもの魔族だった。
その向かい側にいる人間が前のめりになって卓をドンと叩いた。
白いコートを纏った青年で、彼の隣にいるミラミス王国の君主である初老の男性も静かに幼い魔族を睨んでいる。
「こいつ……!」
「なんだよ人間? やんの?」
青年が席を立ち剣を抜こうとすると、すぐさまミラミス王が手を上げ制止する。
「女神様の御前だ。座れ」
「しかし、陛下ッ!?」
「座れと言っているのが聞こえないのか?」
「……」
歯を食いしばりながら剣を納める青年を見て、幼い魔族がまた笑う。すると、そんな彼の隣にいた魔族……同じく赤い髪で、それを後ろで一つ結びにした初代魔王が鋭い眼光で彼を睨みつける。
「エギラ。おまえも慎め。俺たちは今日争いに来たのではない……と、何度も言っただろう」
「父さんもあの女神って奴のこと気にしてんの? ハハッ! バッカだなー?」
「あ?」
「だって、女神なんているわけねーし。あれはアホの人間たちが考えた空想の創造神でしょ? くくく……そんなの絶対デタラメに決まってるもんねぇ!」
すでに初代魔王とミラミス王には私の方から直接コンタクトを取っていたので、この二人だけは私の素性を知っている。しかし、その付き人たちはいまだ半信半疑といった様子で訝し気な視線をこちらに向けていた。
すると、息子の発言を聞いた若き魔王は、フード付きの黒いローブの上からでも分かるくらいガクッと肩を落とした。
「……そう言いたくなるのも分かるが、そのお方は本物だぞ。前教えた感知魔法を使ってみろ。それですべて分かる」
魔族はニヤニヤしながら藍色の瞳に数秒かけて魔法陣を錬成する。そうして私の魔力を感知するやいなや、ぶわっと顔面から冷や汗を吹き出した。
「はわわぁ……? な、なんだこの魔力量……父さんより多い……!? き、気持ちわりぃ! に、逃げなきゃ! 逃げなきゃ殺されるよォォ!?」
「殺されんわッ! おまえは無礼なことしか言えんのか!」
それに倣って、ミラミス王の背後に構える数人の付き人も感知魔法を使う。彼らも同じような反応をして、一人は気分が悪くなったのか王に耳打ちして許しをもらい、口を押さえながら会場を後にした。
そんなに多かっただろうか。魔法を扱えるようなこの星の支配階級とまともに関わったのは初めてだったので知らなかった。しかし、今日はわけあってかなり少ないほうなので耐えてほしいものである。
「さっそく会議を始めたいのだけれど、ええと……」
何も段取りを決めていなかった。だが、すぐ隣にアダムがいる。
目配せすると、彼は示し合わせたかのように席を立った。最近は医学の勉強をしているようで、先日あつらえた白衣が似合っている。
「此度は“エアルス三界首脳会議”に参加いただき感謝申し上げる。さて“三界”の一つ“自然界”代表として簡単に自己紹介させてもらおう。俺はアダム。女神エリザベータ様から高度な知性を与えられたチンパンジーだ」
アダムは卓に両手をつき、目を細めて魔界および人間界の代表者たちを見る。
「俺たち自然界からの要求は一つ。今この場を持って、おまえらの争いに終止符を打つことだ。これはエリザベータ様のご意思でもある」
今回の議題は前もって参加者には知らされている。だが、ミラミス王とその側近は明らかな難色を示していた。
「その終止符とはなんだ? 魔族と同盟関係でも結べというのか?」
ミラミス王は卓に肘をつき、白い顎髭をいじりながら鼻で笑った。アダムが毅然とした態度でそれに答える。
「そうだ。おまえらの争いは食物連鎖の範囲を逸脱した無益な殺しばかり。あまりに凄惨だ。そこで自然界、魔界、人間界の三界で不可侵条約を結び、それぞれエリザベータ様の監視下に置くものとする」
「監視下……?」
すると、会議室の両開きの扉が開いた。現れたのは、二人の男女と一頭のオオカミだった。
「その方々は女神エリザベータ様の使い。神使様だ。これより三界は神使様をそのトップに据える」
「なんだとッ!?」
ミラミス王が勢いよく立ち上がる。なぜか怒っているようで、顔の小じわがさらに深くなった。
人間の青年のような姿をした神使が王へと寄っていく。私と同じ銀髪で、動く度に彼の白い鎧がギシギシと鳴った。
「本日より人間界を統治させていただきます。神使のマティラスです。エリザベータ様の魔法により生み出されました。でも、一応あなたと同じ人間ですよ。以後、お見知りおきを」
「ざ、戯言をッ……! 人間界の王はこの吾輩だッ!」
王の側近たちが剣に手を伸ばすが、即座に男の神使が魔法を発動し、側近たちの動きがピタッと止まってしまう。彼は長い前髪の隙間から見え隠れする金の瞳に魔法陣を展開していた。
「申し訳ありませんが、そちらの意向は汲み兼ねます。これは女神エリザベータ様の神勅であり、拒否権はございません」
「こ、この不届き者めが……!」
激高する王をよそに、女性の姿をした神使が魔王のもとへ向かい会釈する。
その姿は悪魔族のそれであり、頭部には長さの違う二本角がうねりながら生えている。彼女も同じく銀髪で、片耳を出したショートカットに黒いカチューシャをつけていた。また、肩回りがレース生地になった黒っぽいパーティードレスを纏っている。一応、私と同じロングスカートの白い正装を渡していたのだが、悪魔の彼女がそんなつまらない言いつけを守らないであろうことは自明の理である。
「ヨミミで~す。よろしくお願いしま~すっ!」
「あ、ああ……よろしく頼む」
サキュバス族みたいな声かけに、現魔王のクロードは動揺しながらも会釈を返す。一方で、息子のエギラはミラミス王のように顔を赤くしていた。ただし、怒っているのではなく照れているようだ。
そして、オオカミの姿をした神使……スノゥが銀の体毛をなびかせながら、その熊よりも大きな巨体を動かし、アダムの後ろで行儀よくお座りする。
堪らず私は席を立ち、スノゥに抱きついてモフモフする。
「あぁ~スノゥ! いい子ねぇ~!」
賢いスノゥは今が会議中であると理解しており、行儀よく銅像のようにじっとしていた。しかし、尻尾はこれでもかと言うほどブンブン振り回している。可愛すぎる。
この三体の神使は、私が魔法で生み出した生物である。かつて微生物を生み出した魔法と同じものであり、それよりも等級を上げている。また、各々に私の魔力総量の四分の一を分配しており、その強さは言わずもがなだ。
「魔王ッ!? おまえは……こんな横暴を許すというのか!?」
ミラミス王が卓を叩き、円卓の向かいにそう呼びかける。
「横暴……確かにそうかもしれんな」
「そうだろう!? 急にこんなわけのわからん輩を三界のトップに据えるなど──」
「しかし、神とは元より世界を統べる存在ではないか? 少なくともその器はあるはず。異議を唱える必要もなかろう」
魔王は卓に肘をつき、両手を握りながら依然落ち着いた口調で言葉を繋げる。
「実のところ、これを機に俺たち魔族は人間との和平を結ぶつもりだった」
「和平だと……ふざけたことをッ! 元はと言えば、貴様らの虐殺から始まったことではないか!?」
「それは俺たちが生まれる前……魔界に王という概念すらなかった無法の時代のことだろう。俺自身、そんな無法を止めるために魔界を統治した。時代は変わったんだ」
「ふん。口先だけは一丁前だな! ならば貴様が王になって何が変わった!? 何も変わっていないだろう!? 今こうしている間も魔族は人間を──」
すると、魔王は俯いて、深々と頭を下げたのだった。
「ああ。それは俺の力不足だ。申し訳ない」
「……っ!?」
「もちろん俺に付き従ってくれる者も少なくないが、魔族はどうもいい加減でな。人肉を喰う必要など皆無だと説いてもすぐ忘れるし、おまえらの国のように法や刑罰を整備しても無視して好き勝手する連中が後を絶たない。要するに俺はその器ではなかったということだ。だからこそ、女神エリザベータの力を借りようと言っている。先ほどアダム殿が言ったように、俺たちの争いは無益かつ凄惨。おまえもそう思わないか?」
魔王は頭を上げて、藍色の瞳で真っすぐ彼を見つめる。
だが、その想いに、王は怒りで答えたのだった。
「知ったことか! 人間は長きに渡り虐げられてきた! 貴様ら魔族にな! その憎悪を恐怖を……すべて水に流せと!? 冗談じゃない! たとい女神様のご要望であろうと吾輩は承諾しかねる!」
「では、今後も争い続けるのか? 俺たちの子や孫、その先の子孫にまで延々と続けさせるつもりか?」
「ふっ……延々とは続かんさ。なぜなら、いずれ人間が魔族を根絶し、魔界も支配するのだからなッ!」
その王の発言を私は理解できなかった。同様に、側近たちが魔王を睨んでいるのも謎だ。
生物とは種の保存と繁栄のためにのみ生きている、というのが私の見解だった。魔族に虐げられた過去があったとて、わざわざ今ある種ないしは子孫を危険に晒す意味が分からない。
スノゥの頭を撫でながら、その会話に割って入る。
「根絶なんて許さないわよ。そんなことしたらただじゃおかないわ」
「な……!?」
「当然でしょう? 魔族も人間も同じくエアルスの命! 争う理由なんてないはずよ!」
「し、しかし女神様!? 吾輩は──」
「知らない。ごちゃごちゃ言ってないで平和に仲良く暮らしなさいよ!」
「……っ!」
王は体を震わせながらも、結局それ以上口を聞くことはなく、ただ歯を食いしばって沈黙していた。
※ ※ ※
「──マティラス出てきたな。神使か。なんかずっと前にアダムから聞いた気するわ。あんま覚えてないけど。要するにエリーゼの部下だよな?」
近くの売店で買ってきたソフトクリームを舐めながらそう聞くと、エリーゼが「そうね」と返してくる。
「それにしてもエリーゼ、ゴリ押したな? 人間界の王様、めちゃくちゃ不満そうじゃん? 大丈夫なの?」
「大丈夫なわけないでしょ。我ながらあのときは本当に愚かだったわ。人間たちが抱える負の感情を私は少しも理解していなかった」