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【126】科学の文明

 俺の口から出た“エリーゼ”という言葉に、彼女は微かな狼狽を見せた。


「……え? 言ってる意味が分からないんだけど」


 彼女はそれまでじっと合わせていた瞳を逸らし、膝の上に置いていた手を固く握りしめた。


「麦嶋君、あのさ──」

「その呼び方やめろ。いつもみたいに“ムギ”って呼べよ?」

「……」


 すると、彼女は握りしめた手を開き、ゆっくりとこちらに伸ばしてきた。

 すかさず俺はベンチから立ち上がり距離を取る。


「おっと触るな~!? 前、教室で触られたときに変な感じがしたんだ! きっとなんか魔法でも使ったんだろ!?」

「ねぇ……どうしちゃったの?」

「口調や雰囲気、外見までも変えて上手くごまかしたつもりだろうが、節々に見え隠れしてんだよ。女神エリザベータがな」


 田中さんのおっとりとした目つきが鋭くなった。


「……どうして? 動物園に行きたいって言ったから?」


 自供とも言えるその発言に対し、俺は臆さずそれでいて最低限の距離を開けながら返答する。


「それもあるな。ネズミに勝手な命名してたのもそうだ。だが、何より決定的だったのは……二人称だ」

「二人称?」

「おまえの使う二人称には特徴がある。自身が気に入っている相手と、そうでない人で変わるんだよ」

「……?」

「たとえば俺やアダム、動物が相手のときは“あなた”。対して、エラーコードや神白あたりだと“あんた”になる。無意識だったか? そして、おまえはさっきハツカネズミを“あなた”、マナー違反をした女性を“あんた”呼ばわりした。それでほぼ確信した」


 彼女はベンチにふんぞり返り、鼻で笑ってきた。


「そんなとこに気づくなんて、あなたどれだけ私のこと好きなのよ? それにしても、たったそれだけの気づきで記憶も全部戻ったってわけ?」

「あ、いや、記憶が戻ったのは全然別のきっかけだけど……」

「へぇ、どんなきっかけ?」

「その問いに答える前にすべて教えてもらうぞ! どういうことだ!? これは──」


 すると、ベンチに座っていた彼女が消え、一瞬で後ろに回り込まれた。相変わらず速すぎる。逃げようとするが全身が錆びついたかのように上手く動かせなかった。見えない鎖か何かで拘束されているようだ。


「どうやって記憶を戻したのか答えなさい。悪いようにはしないわ。これはすべて、あなたのためにやっていることなんだから」


 俺のため? どこがだよ?


「ふざけんな。先に質問したのはこっちだぜ? おまえが答えない限り俺は──」

「あっそ。ならいいわ」


 細くしなやかな手で口を塞がれる。

 抵抗する間もなく、頭の中が寝起きみたいにさっぱりし────


「──あ、あれ?」


 俺、何してたんだっけ?


「麦嶋君ったら何ボーっとしてるの? 早く次の動物見に行きましょ?」

「え……あ、あぁそっか。動物園」

「ほら、向こうにレッサーパンダがいるみたいよ!」


 彼女に手を引かれて歩き出す。


 レッサーパンダか。可愛い動物の代名詞だな。写真撮ろ。

 空いた方の手でポケットからスマホを取り出す。そして、その電源をつけた途端……俺は失った記憶を即座に思い出した。


「あっ! ちっ……やってくれたなエリーゼ!」

「は?」


 彼女の手を振り払い、一歩後ろへ下がる。


「な、なんであなた記憶が?」

「ふんっ……魔法が使えるくらいで調子乗ってんじゃねーぜ!」


 紋所を見せつけるが如く、スマホのホーム画面を提示した。その壁紙は、文字がびっしりと埋め尽くされたメモ書きである。それは何を隠そう、俺が体験したロワイヤルゲームの概要だ。


「あなた……それ!!」

「そうさ! いくら魔法で記憶を消されようと、ロワイヤルゲームのことはすべてこのスマホに記録してある。すなわち、俺がスマホを開く度、記憶を呼び起こせるってなわけよ!」

「そんなものっ!」


 手のひらサイズの白い魔法陣をこちらに向けてくる。破壊するつもりだろう。だが──


「無駄だ。ロワイヤルゲームのデータは、俺の家にあったありとあらゆる記憶媒体に記録した。PCにもクラウドにもUSBにもフロッピーディスクにもな!」

「な、何よそれ……? 一つも分からないわ!?」

「だろうなぁ? “ネット”も知らないもんなぁ~? おまえたちが魔法で発展してきたように、俺たちは科学で発展してきた文明だ! 地球文明なめんなよぉぉ!?」


 ちなみに壁紙のメモはプリントアウトして、机の引き出しやバッグなど至る所に忍ばせたり、自分宛てに郵送したりして、アナログな手法でも記憶を呼び起こす仕掛けを無数に施した。完全無欠の記憶喪失対策である。


「手下ろせよ、エリーゼ。第一こんなところで魔法撃つな。たとえ一等級でも、レッサーパンダはきっとびっくりするぜ。ま、あの可愛い威嚇ポーズを見られるかもだけどな」

「可愛い威嚇ポーズ……?」

「え、知らない? 見る~? スマホで調べりゃすぐ見られるよぉ? でも、壊したら見られないなぁ~?」

「く、くききっ……!!」


 エリーゼが歯を食いしばりながら、魔法陣を消し手を下ろした。そんなに見たいか。

 そうして俺は悠々と彼女を横切り、ベンチに座って隣を手で叩く。


「座れや。ゆっくり話そうぜ~。レッサーパンダの予習でもしながら」


 エリーゼはやや躊躇いながらも、結局腰を下ろした。


「さっさと見せなさい。どんなポーズするのよ!?」

「さっきの質問に答えたら見せてやる」

「だからそれは──」

「いい加減にしろ、エリーゼ。記憶消されて、謎に恋人ごっこさせられて、みんなとも離れ離れになって……これのどこが“俺のため”なんだ?」

「……」

「なんでこんなことした? どうやって俺を地球に戻した? みんなは無事なのか!?」

「…………」


 彼女は申し訳なさそうに目を伏せて、静かに言葉を発するのだった。


「ムギ……落ち着いて聞いて。ロワイヤルゲームはまだ終わってないの」

「何?」

「ヴェノムギアはまだ死んでないのよ」


 寒気がした。淡々と告げられたその文言はあまりに突拍子もなく、にわかには信じがたい。だが、至って真面目な彼女の口調と表情を見て、それが偽りでないと確信するのにそう時間はかからなかった。


「近いうちにあいつはロワイヤルゲームを終わらせる。転移者(プレイヤー)を全滅させて、ヴェノムギアはゲームに勝利するわ」

「な、なんだよそれ? そんなの分かんな──」

「分かるわ。()()()()()()()()()()()。あなたたちはもちろん、この私でも不可能よ」


 ヴェノムギアは殺せない……か。迷宮最深部で見た過去の映像でも、エラーコードがそんなことを言っていた。


「……あいつについて何か分かったのか? 能力とか正体とか」

「分かったというか、教えてもらったのよ。本人からすべてね。だけど……もうあなたは何もしなくていい。あなただけは私が救うから」


 そうして彼女は俺を抱きしめた。

 抵抗することを忘れるくらい、とても優しい抱擁だった。


「あなたと過ごした日々は、私が経験した長い長い時の中でもかけがえのないものよ。だから、あなただけは生きて。生き残ってほしいの」

「……」


 彼女の手が背中にそっと触れられる。また頭がボーっとしてくる。


「すべて忘れるの。ロワイヤルゲームもヴェノムギアも……私のことも。あなたは何もかも忘れて、元の世界で幸福に生きる。ほら、目をつむって──」


 言われるがまま目を閉じてしまう。逆らえない。高ぶっていた感情や意識も失せていく。またおかしな魔法をかけられているらしい。

 しかし、同時に安堵もしていた。エリーゼはあくまでも俺のために行動しているようだ。理由はどうであれ、裏切られたわけではなかった。それだけでも少し救われた。


「……違う。それは絶対に違う。それのどこが幸福なんだ」


 目をつむったまま、彼女を抱きしめ返す。


「嫌なことや辛いことから目を背けて生きていけたらそりゃ楽だろうよ。でも、それは楽なだけで幸福でもなんでもない。第一、俺の幸福をおまえが勝手に決めんな」

「……でも……仮にそうだとしても私の選択が()()よ」


 さらに強く彼女を抱きしめる。そこには煮え返るような苛立ちと溢れんばかりの愛情が込められていたと思う。


「じゃあストレートに言わせてもらう。俺は女神エリザベータを忘れたくない。だから、おまえのやってることは()()だ」

「……」

「教えろよ。ヴェノムギアについて知ってること全部。で、俺が奴を殺す算段を立ててやるよ。それでもし何も思いつかなかったら、おまえの最悪な選択を尊重してやらんこともない」


 抱き締めていた腕を下ろし、彼女と至近距離で見つめ合う。いつもとは違った外見だが、それでも黒い瞳の奥にはあの美しい黄金色が混じっていた。


 そうして彼女は溜息をつき、しばしの沈黙のあと、ついに観念したかのように話し始めたのだった。

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