【124】二人の姿
駅前のファストフード店とはいえ、八時過ぎともなるとそこまで混雑していない……はずなのだが、今日はいやに人が多く、いつも贔屓にしている角の席を取れなかった。
「──ふ~ん。それで明日動物園行くんだ? ふ~んッ!」
窓際にあるカウンターみたいに横並びになった席にて、俺の隣に座っている佐藤君が、五つあるナゲットのうち三つをまとめて頬張って唸り声を上げた。
佐藤凛。彼は前の学校で唯一友人と呼べる人であり、少し長めの天パ頭やその愛くるしい外見のせいで他生徒からいびられていた男である。実際こう目の前にしてみると、学ランを着ていなければ普通に女子と見紛うほどだ。
転校直前、彼をいびっていた連中を俺がボコボコにしてから、彼にひどく懐かれてしまった。気づけば同じ塾に通い、夏期講習をともにし、たまの帰りにこうしてファストフードを食べる仲になっていた。
「そうなんだ。なんせ俺、彼女いるからさ~」
「受験生のくせに……でも、いいもんね。君が女の子と動物に現を抜かしている間、僕が君の偏差値を越えてやらぁ!」
実際、彼の偏差値は上がりまくっていた。彼は宣言通り、夏休みで変わったのである。この調子なら、本当に俺と同じ高校に合格できるだろう。
「……で? 可愛いの?」
「急に下世話な話になったな。男すぎるだろ」
「男だからね。もうめちゃくちゃさ……あ、見て! あの人可愛い!」
佐藤君が急に前のめりになって窓の外を指さす。
そこには大学生くらいのグループがいた。なぜか仮装している。
「あの一番右! 悪魔っぽいコスの人!」
「……」
そういえば今日はハロウィンか、と察しつつ、佐藤君が意外にデブ専……ふくよかな人を好む傾向にあると知って驚いた。だが、それよりもあの角の生えた悪魔のコスプレを見て、何か湧き上がってくるものがあった。
二本の角を勝手に脳内で四本に変換し、髪色も赤だったらと妄想する自分がいた。わけの分からない妄想だった。ただ、そうしたほうが馴染みがあるというか──
「あの人……知り合いかも」
「え、嘘!? 紹介してよ!」
「あ、いやそんなわけないわ。ごめん」
「バ、バカにしてぇ!」
佐藤君が俺のポテトを十本くらいかっさらった。
「あ、おい!」
「ふふん」
口を手で隠しながら佐藤君がポテトをむしゃむしゃする。そして、彼は丸椅子を回転させ注文カウンターのほうに体を向ける。
「……よし。僕今からあの店員さんに声かけてくる」
「男すぎるだろ。やめろよ」
彼が言っているのは金髪でピアスなんかもしているギャルだった。さっきの人とたぶん同年代で、体の大きさというか太さも同じくらいである。
そこでまた俺の心に何かが引っかかる。
金髪のギャル……そんな知り合いはいないはずなのに、脳裏にはその後ろ姿があった。光に包まれていてとても眩しい。そんな一人の女子が振り返り──
「あ、休憩入っちゃったみたい。どうしよ。追いかけようかな」
「ちょっと……黙って」
「え?」
頭が痛い。なんだこれ? さっきの悪魔コスといい、店員のギャルといい……なんでこんなに胸を締め付けてくるんだ。
「ご、ごめん……冗談だよ。麦嶋君が調子乗ってるからちょっとからかっただけで……」
「……う」
「麦嶋君?」
目を瞑ってもう一度その二人の姿を思い起こす。
赤髪の四本角。もっと華奢な少女のほうがしっくりくるな。顔は……ダメだ。ぼやけている。
ギャルの方はスタイルが良くて……あ、うちのセーラー服を着せたら一気にそれっぽくなった。スカートはもっと短いか。
あれ? なんか急に靄がかかってきた。思考を妨害されているみたいだ。二人の姿が遠ざかり搔き消えていく──
「……」
完全に思考がまっさらになった。目を開けると、横から心配そうに見つめてくる佐藤君がいた。
「ごめんね……」
「いや違う。別に佐藤君にキレたわけじゃない。ただちょっとめまいがして」
「そ、そっか。なんだよかったぁ」
窓の外に目を向けると、さっきの仮装のお姉さんたちが遠ざかっていくのが見えた。振り返る。あの店員さんもいなくなっていた。
俺は一口大に残ったチーズバーガーを食べきって、包装紙を雑に丸める。佐藤君もすでに完食していた。トレーを持って席を立つ。
「帰るか」
「そうだね。麦嶋君も早く寝たほういいよ」
「そうする」
ゴミを片付けている頃にはもう、先ほどの異様な感覚も忘れかけていた。また、とりわけ気にする必要もないと思い、佐藤君と店の出口へと向かいながらこの前の模試について話していた。そんな折だった──
「──わぁ!!」
自動ドアから外へと出るなり、道端で小さな女の子が転倒する現場に出くわした。白い半袖Tシャツと黒のショートパンツを履いた溌溂とした感じの子だ。
「だ、大丈夫!?」
「んぐ……びゃあああん!!」
佐藤君が駆け寄って声をかけ、子ども特有の破裂するような泣き声が響いた。
辺りを見回すと、こちらに駆けてくる大人の女性がいた。たぶんお母さんだ。二人とも似たようなボブカットで、ぱっちり二重がそっくりだ。
「すみませんすみませんっ!」
駆け寄ってくるなりお母さんは娘を抱き上げる。
「本当すみません! うちの子ったらちょっと目離した隙にどっか行っちゃうんだから……」
「あ、いえいえ」
佐藤君が受け答えしている最中、抱きかかえられた女の子の膝小僧が血で滲んでいるのに気づいた。
咄嗟に俺はスクールバッグから絆創膏を出す。
「あの怪我してるっぽいんで、これ。よければ」
そう声をかけると、お母さんが泣きじゃくる娘の膝の掠り傷に気づき、あちゃ~と気の抜けた声を上げた。
「すみません。もらっていいですか?」
「どうぞ」
お母さんはお礼を述べたあと、一旦娘を地面に下ろす。俺から絆創膏を受け取って、その膝へと丁寧に貼り付けた。
「麦嶋君、絆創膏持ち歩くタイプなんだ。ちょっと意外」
「困ってる人に手を差し伸べるのって格好いいだろ? 俺、アンパ○マンみたいになりたいんだ」
「ちょっと何言ってるか分かんないけど」
絆創膏を貼り終えたお母さんが娘を抱き締めて、痛かったねぇと背中を優しく撫でる。すると、どうだろうか。あれだけ泣いていた女の子が少し泣き止み、呼吸も整ってきた。母は偉大である。
「ほら。お兄ちゃんたちにありがとうは?」
お母さんは屈んだまま娘の肩を持ってそう声をかける。
彼女は一息吸って、涙でうるんだ上目遣いで俺たちを見る。
「ぐす……ありがとぉ。お兄ちゃん」
お兄ちゃん──
少女、黒髪、ボブカット、そして……お兄ちゃん。
この情景を俺は知っている。脳の奥底に焼き付いたあの日の情景が、既視感なんてあやふやな言葉で表せないほど明確に、封じられたはずの記憶を爆発的な加速度で呼び起こす。真実をひた隠そうとする靄の抵抗むなしく、その圧倒的爆発が俺を現実へと引き戻したのだった。
「ぬぁぁあああ! 七原さんだぁぁ!!」
女の子の肩につかみかかり絶叫すると、お母さんが慌てて彼女を俺から引き離す。
「な、なんですか!?」
「ちょ……何やってんだよ!?」
佐藤君に羽交い締めされる。
「ち、違うんだ! 七原さん……七原さんなんだぁ!」
「誰!? わけ分かんないよっ!?」
ロワイヤルゲーム、エリザベータ、ラヴィニア、茉莉也、エラーコード、ヴェノムギア──
失われた記憶の源泉が乾いた脳を潤していく。
抜け落ちた穴を無数のピースが埋めていく。
母娘が礼を述べ、そそくさとその場を離れていったあと、佐藤君に拘束されたまま俺は夜空を臨んだ。
都会の夜は明るくて、空も狭くて、星なんてほとんど見えやしない。あのビーチで見た荘厳な星空をもう一度見たい。
そうして俺は途轍もない違和感を覚えて、身の毛がよだつような気付きを得たのだった。
「…………田中って誰だ?」