【122】バチバチ
ラヴィニアさんから“麦嶋勇”というもう一人をほのめかされた日の夜。私はなかなか眠りにつけず、二段ベッドの下から上の骨組みをぼんやり眺めていた。上にいる雲藤さんは一時間ほど前から寝息を立てていて、隣の二段ベッドにいる花怜ちゃんとツッキーもすでに眠りに落ちているようだった。窓際の二段ベッドにいる委員長や七原さんもたぶん熟睡している。
あんな衝撃的事実が明らかになったというのにみんな図太い。それともまだ半信半疑で気に留めていないのかも。
なんだか私だけ取り残されてしまった感じで、怖くなって、タオルケットを頭まで被り猫のように体を丸めた。雲藤さんの寝息が聞こえにくくなる。女子部屋の闇がさらに深くなった。
それでも“麦嶋勇”という名前を頭の中で繰り返し想起してみると、幾分か心が落ち着いた。
「麦嶋……勇……」
みんなを起こさないように……というか聞かれないように囁いてみたら、さらに心が温かくなった。
「勇……勇……」
“麦嶋”と呼ぶより、下の名前で呼ぶ方がしっくりきた。たぶん私はそう呼んでいたのだろう。
その名を口にしながら、タオルケットの端の方を手繰り寄せて抱き締める。落ち着いてきた心が、先ほどとは別の意味で高まってきた。
これはいけない、と慌てて私はタオルケットをめくって顔を出す。
「わっ!」
ベッドの側に誰かが立っていて、私はつい大きな声を出してしまった。
「……ちょっとついてきて」
側に立っていたのは七原さんだった。私がスキルで作った長袖のネグリジェを纏っている。みんながピンクやホワイトなど明るい色を選ぶ中、彼女だけネイビーブルーの落ち着いた色を選んでいたのですぐに彼女と分かった。
「あ、うん」
理由を聞くこともなく私はそれに返事した。先ほどの囁きを聞かれたのではないかと心配になって、まともに会話できず、彼女の顔を見ることもままならなかった。
「痛っ!」
二段ベッドから出ようとしたら、上に頭をぶつけた。
「静かにしてくれる?」
「ご、ごめん」
「まぁ、みんなちょっとやそっとじゃ起きないだろうけどね」
「そうなの? みんな、そんなに疲れてたんだ」
「違う。『7』で昨日の睡眠時間を七秒にしたから」
「え!? なんで……ひどくない!?」
「ひどくない。いいから早く来て」
そうして私は白のネグリジェを着直し、七原さんと女子部屋を後にした。
彼女のあとを追いながら、やはりさっきのことが気になって堪らず声をかける。
「ね、ね? さっきなんか聞いた……?」
七原さんは背を向けたまま一拍置いて「別に何も」とだけ答えた。
「き、聞いたっしょ? 聞いたよね? でも違うよ? なんか思い出せるかなぁ~って思って口にしてただけだからね?」
「そう」
素っ気ない返事をされて、慌てている自分がひどくバカらしく感じた。何より、私だけ恥を晒したようで面白くなかった。
「……どこ行くの? トイレなら一人で行きなよ?」
「トイレじゃない」
「だったらなんで──」
「そもそもトイレは反対でしょ? その時点でトイレじゃないって分からない?」
さすがにカチンときた。でも、言い返すのはやめておこう。七原さんは元々こんな感じだし、たぶん悪気もない。仮に言い合いしたって勝てない。
「じゃあ何?」
「話がある。黙って付いてきて」
「……」
言われるがまま彼女と外に出ると、なぜかそこには花畑が広がっていて私は言葉を失った。
ログハウスは瀬古っちが森の中に建てたはず。しかも、空まで日中みたく明るくなっている。振り返ると、さきほどまでいたログハウスも無くて、見渡す限りの花が咲き誇っていた。
「──これでいいか、ナナハラ? 本当はムギを最初にここへ招待したかったんだがな」
私たちが立っている小道の先にあの魔王様がいた。
「すみません。でも、ここなら誰にも聞かれず話ができるので」
前に立つ七原さんの顔を横から覗き込む。
「ど、どういうこと?」
「ここはラヴィニアさんの作った異空間。で、話っていうのはもちろん“麦嶋勇”のこと……私たちの前から消え、記憶からも消え去った彼について話したい」
ラヴィニアさんと目が合った。彼女は愛想よく笑みを浮かべたが、なんとなく私はまた目を逸らしてしまった。いつもはそんなことないのに、なぜか彼女には人見知りしてしまう。
「えっと……私たちだけ?」
七原さんに問いかけると、彼女は頷いて伏し目がちに答えた。
「今はラヴィニアさんと新妻以外信用できない。世界中から一人の人間の記憶を消す……そんなことができるのはエラーコードだろうけど、可能性があるのはあいつらだけじゃない──」
なんとなく七原さんの言いたいことが分かった。この私ですら思いついたことだ。彼女が気づかないわけがない。
その言葉の続きを私は口にした。
「エリリン……」
「……」
私の発言に七原さんがほんの少し驚いたような素振りを見せるが、すぐにまたいつもの感じに戻る。
「……そう。エリーゼさんでもその気になればできるはず。仮に彼女が犯人でなくとも、今回の件に一枚嚙んでいると、私は考えている」
すると、ラヴィニアさんがこちらへ歩いてきて会話に入ってくる。
「世界規模の魔法にエリザベータが気づかないのは妙だからな。とはいえ、私はやはりエラーコードの仕業だと思うぞ。きっとエリザベータは気づいたんだ……気づいたが、それを防ぐ前に記憶を消されてしまった。そうに違いない」
「それも十分ありえますね。でも、今は限りなくシロに近いこの三人で動くことにしましょう」
シロに近い三人……か。
私は七原さんのそんな言葉を聞き返す。
「それは、私たちが“麦嶋勇”の違和感に気づいたから?」
「うん。犯人は世界から“麦嶋勇”の存在を無かったことにしてる。だから、逆にその存在をほのめかしたり、違和感に気づいて声を上げた人は、犯人の思惑の逆の行動をしている。だから、この三人はシロっぽい」
ラヴィニアさんが口元に手を当てて考える素振りをする。
「それにしても犯人はどういうつもりなんだ? 何よりムギの行方と安否も気になる」
「目的は謎ですけど、少なくとも彼の安否は心配いらないでしょう」
「そうみたいだな」
なぜ心配ないと言い切れるのか。二人の会話についていけず質問しようとしたら、それを察したのかもしくはたまたまか、ラヴィニアさんが説明してくれる。
「ムギに譲渡された……『復讐者』? が誰にも譲渡されていないから、ひとまず心配ないだろうな。さてどうする? 犯人を見つけるか、ムギを見つけるか……」
「犯人を見つけるほうがまだ簡単だと思います。おそらく彼を見つけるのは至難です。犯人側も彼が見つかることだけは避けたいはずでしょうし、手がかりがなさすぎます」
「そうか……おまえはどうだ?」
会話に入れずぼんやりしていたら、ラヴィニアさんに話を振られた。完全に気を遣われている。
「あ、私は勇を……というか“麦嶋勇”を探したいです」
「それはなぜだ?」
「えっと……私がそうしたいからです」
七原さんたちが“犯人を見つける”ほうを選びそうだったので、あえて私は反対意見を出した。明らかに感情的になっている。なんだろう。ラヴィニアさんと話していると自分が自分でなくなるようだった。どうして私は彼女が苦手なんだろう。こんなに可愛くてすてきなのに。
しかし、感じの悪かったであろう私の態度とは裏腹に、彼女は満面の笑みを向けてきたのだった。
「そうだよな! ムギを見つけるのがいいよな! ニーヅマとは気が合いそうだ!」
「?」
ラヴィニアさんに背中をポンポンされる。
「というわけだナナハラ! 多数決の結果、二対一でムギを探すのに専念するぞ!」
「新妻!? ちゃんと考えた?」
「あーダメダメ! こいつはもう私の仲間だ。それに決めたじゃないか? ニーヅマの判断で今後の方針を決めると」
ラヴィニアさんに反抗したつもりが、逆に支持する形になってしまったらしい。
七原さんが唇を噛み、嬉しそうなラヴィニアさんに抗議する。
「あの……なんでそこまで“彼”にこだわるんですか?」
「ん? 決まっている。好きだからだ」
サラッと発せられたその言葉に、私は息を飲んだ。
七原さんが首をかしげる。
「好き? え、恋愛的な意味で──」
「そうだ! ナナハラには言っただろ? いや……仮に言っていたとしてもそれすら忘れているのか。なら改めて言わせてもらおう!」
ラヴィニアさんは私たちの前で仁王立ちして腕を組み、異空間の花畑の中心で高らかに宣言するのだった。
「この私、ラヴィニア・ゼロ・セリーヌは麦嶋勇に恋をしている! そして、つい先日決めたことだが、私は彼との婚姻も視野に入れているぞ!」
「!?」
瞬間、脳に電撃が走った。記憶は戻らないままだが、あの気持ちを思い出した。私がなぜラヴィニアさんに苦手意識を感じているのか、そのわけを理解した。
私もそうだからだ。
私も……彼に恋していたんだ。
「ムギさえよければ私は──」
「ダメです! 絶対ダメェ!!」
とんでもない爆弾発言をしておきながら、恥じる様子もなく堂々としている彼女に断固抗議する。
「ダメ……? どういう意味だ?」
彼女の目つきが少しばかり鋭くなった。
それでも私は食い下がる。ここで怖気づいたら、一生勝てない気がしたからだ。
「私も好きだから!」
「は……はぁ!?」
「私も彼が……勇が好きなんです! だからダメッ!!」
間に挟まれた七原さんが怪訝そうな顔をして後ずさりする。
一方で、ラヴィニアさんは挑戦的な眼差しを向けつつ私に近づいてきた。だけど小柄だから上目遣いになっていて、さほど威圧感はない。
「ほう? そうかそうか。なるほどな」
「……なんですか!?」
「ナナハラから聞いたぞ。ムギがいないことに最初に違和感を覚えたのはニーヅマだと。なぜおまえは気づけたのか? 他の者との違いは何か? それはとどのつまり……飽くなき恋心だったわけだ」
たぶんそうだけど、なんかめっちゃはずい。私どんだけ好きだったんだろう。
「しかし、相手が悪かったな?」
「え?」
「なんせ私はもう……ムギとキスまで済ませている!!」
「え……えぇぇ!?」
そんな。なんで。早くない?
私は助けを求めるように、一歩引いている七原さんにすがりつく。
「七原さん!? 私もしてた!? 勇とキスしてたかな!?」
「し、知らない……!」
悔しいけど、たぶんしてない。もししてたら、それは私にとってのファーストキスなわけで、そんな印象的な出来事だったらなんとなくでも覚えていそうなものだ。
「キスだけだと思うなよ? 私はラブレターも書いたんだ!! ニーヅマは書いたのか? ラブレタァ~?」
それもない! 全っ然記憶にない! もうしっかりしてよ私!
「恋愛は外見ではない! 重要なのは手数と積極性! お父様の教えだ! ま、かくいう私は外見もすこぶる良いがなぁ! ありがとうお父様、お母様ぁぁ!」
「で、でも! でもでもぉ! それならキスしたときに結婚すれば良かったじゃん!? なんで今さらになって!? おかしくない!?」
「……!」
先ほどまで威勢の良かったラヴィニアさんが急に黙りこくった。苦し紛れに言った適当が、意外と弱点だったらしい。
「あのときは国の復興とかロワイヤルゲームとか……お互いごたごたしてたから私のほうから一旦婚姻は無しにして──」
「え、ラヴィニアさんから!? それなのに急にまた結婚したくなったんですか!? 変!」
「変じゃない! ちょっと最近色々あって……で、気が変わったんだ!」
「色々って!?」
「色々は色々だ!」
「ふん。私ならそんな優柔不断なことしませんけどねぇー!!」
「何をぉ!」
やった。一矢報いた。実際は私も優柔不断なとこあるかもだけどいいや。向こうはキスしてんだもん。悔しいから強がっちゃお。
そして、ラヴィニアさんは一息着いて、とある提案をしてくるのだった。
「ふぅ……分かった。なら、こうしよう。私とおまえ、先にムギを見つけたほうが彼に告白するというのはどうだ?」
「え……」
「なんだ自信がないか? ムギを見つけるのも、ムギに告るのも」
「よ、余裕ですけど! すぐ見つけて、すぐ告っちゃうんですけどぉ!?」
「決まりだ! ナナハラもそれでいいか!?」
熱くなっている私たちとは裏腹に、七原さんは心底どうでもよさそうに答えた。
「もう勝手にしてください……」
「そうか! ちなみにナナハラが見つけたら、ナナハラが告っても──」
「告りませんよ」