【114】9ueen
「──跪きなさい」
数キロ離れた王城から、ここまで飛び込んできたその女は、赤い眼光と共に冷たい声でそう告げてくる。
その言葉が耳に入った途端、従わなければいけない、従わなければ殺されると直感した。女王暗殺を引き受けてしまったこと、李知華子と出会ってしまったこと、そのすべての運命を呪った。
あれだけ息巻いていたクラウスもひどく戦慄した様子で、こいつに捕まったときのことをフラッシュバックしたのか、呼吸を荒げて今まさに跪こうとしていた。
しかし、それが笑っちゃうくらい滑稽で無様で、逆に俺は心の余裕ができた。
片膝をつけるふりをして、同時に懐から閃光弾を出す。ゴムボールみたいな形状で一定量の魔力を流すと起爆する魔道具だ。それを取り出しながら魔力を流し込み、女のいる建物の屋上へと放った。
瞬く間に甲高い高音と凄まじい閃光が場を支配し、その隙に俺はクラウスを担いで、建物の路地裏へと降りる。
「ル、ルェンザ!? 何を──」
「黙ってついてこい!」
俺たちは野良猫の如く、細く薄暗い路地をすり抜けて街の大通りへと出た。大通りには中枢外に住まう一般市民の人だかりができていた。暴動でも起こったかのように市民が帝都の外へと逃げ惑っている。
それに逆流し、群衆の隙間を縫うように進んでいく。
「ど、どこ行くんだ!? この人だかりに乗じて逃げるんじゃないのか!?」
後ろからクラウスに肩をつかまれる。
「ふざけろ。俺はあの女……9ueenを狩りにきたんだ。てか、今さら逃げてどうすんだよ? 再び奴と対峙してまともな判断ができなくなったか? それとも小便ちびったか? オツムとオムツが足りてねーようだな」
「このやろう……」
「さっさと持ち場につけよ。仲間の仇を討ちたくないのか?」
「……」
身を翻し、彼の手を払う。そうして俺は群衆の波を逆流し、彼は路地裏へと消える。
そうして、俺は一足先にだだっ広い円形の広場に辿り着いた。広場の先には横幅の広い階段があり、その上に帝都の中枢と郊外を隔てる城壁がある。火の手はその壁まで伸びていて、広場周辺に人だかりはない。
「──李知華子の暗殺に失敗したハンターではありませんの? あなたに感染させていたbac7eriaも彼女に除去されて、行方が分からなくなっていたので心配していましたわよ?」
広場に踏み入ると、あの美女が待ち構えていた。彼女は振り返り、燃え盛る中枢部に目を向けた。
「しかしまぁ……こんな非道な手段を取ってくるとは思いませんでしたわ。すべて李の入れ知恵でしょうけど。差し詰め、わたくしが留守の間を見計らい帝都中枢を攻撃、大量に“ギア”を処理し、確実にわたくしを処理しようといった魂胆かしら?」
どうやらこちらの計画通り、シンプルな襲撃だと思っているようだ。実際のところこれは陽動に過ぎないが、その話に乗っかることにする。
「ま、そういうことだ」
「李は今どこに? どうせ近くにいるのでしょう?」
「もちろんいるぜ? この帝都のどっかにな?」
嘘をつく。元より帝都にいようといなかろうと、魔力を持たない彼女は感知不能。居場所どころか、帝都にいるかどうかの判断すら至難だ。ここは言ったもん勝ちである。
瞬間、建物の陰から雷が飛んできて、特徴的なジグザクの軌道を描きながら9ueenに直撃した……ように見えたが、その雷は彼女の直前で消え失せてしまう。
「ちっ、スキルだけでなく魔法も無効化できるみたいだな。前に捕まったとき魔法を上手く使えなかったのは、こいつの能力だったわけだ」
木製の杖をこちらに向けて、クラウスが広場にやってきた。
「あら、誰かと思えばいつぞやの負け犬……クラウス・フォートマンじゃありませんの? ふふ、今度はハンターと殺されにきたのですか?」
「黙れ……死ぬのはおまえだ! 9ueen!!」
「無駄なことを。御覧の通り、わたくしに魔法は──」
その隙に、俺は広場の石畳を一つ持ち上げ、そこに仕込んでいたとある武器を取り出す。裏世界にいるときに仕掛けたものだ。例のビー玉爆弾と同様、李ちゃんが現世にそのまま召喚してくれている。
俺が用意したのは銃である。ただし、エアルスにおける魔法銃とはわけが違う。チキュウ産の銃であり、彼女曰く“アサルトライフル”と呼ばれるものだ。
9ueenに魔法が通用しないのなら、魔法のないチキュウの武器を使えばいい。そう考えた俺は、李ちゃんにこれを作ってもらった。想像した物体を具現化するというスキル『夢想家』で簡単に作れた。
銃のストックを肩の付け根に当てて、教えてもらった構えを取る。
「撃てぇぇえええ!!」
発声と共に引き金を引く。俺だけじゃない。周囲の建物や屋上に潜んでいたツベルクたちも射撃を開始した。
魔法銃では絶対聞けないような轟音が鳴り、肩にかかる反動も新鮮で、何より連射速度が異常だった。毎秒十発以上は弾を飛ばしている。チキュウ人の戦争ではこれを人に向けているらしい。正気とは思えない。
俺は射撃を一時中断し、手を挙げてツベルクたちにもそれを伝える。
9ueenは広場の真ん中で頭を抱えてうずくまっていた。赤いドレスもボロボロになっていたが、彼女は流血しておらず無傷だった。射撃中に見ていたが、弾丸は体で弾かれていた。これもまた奴の能力かと思ったが、どうやら素で体が固いらしい。厄介な奴だ。
「そ、その武器は一体……? わたくしのドレスまでよくも……!」
9ueenが顔を上げた。うずくまっていたせいで、残念ながら胸元などは大してボロボロになっていない。とはいえ、高飛車な女がみすぼらしい身なりになると心にくるものがある。
「やはり物理攻撃は無効化できないみたいだな? 固すぎて有効打にはなってないが……しかし、すでに布石は打っている」
「布石……?」
すると、クラウスが再び杖を向け、そこに雷属性の魔法陣を錬成した。
「9ueen! 今度こそ僕の魔法でおまえを殺す!」
「は? そんなもの──」
「効かない。確かにそうだ。だけど、それはおまえが能力を発動できれば、の話だろ? ほら消してみろよ? 今、僕が錬成した魔法陣消せるか!? どうなんだ!?」
「……!?」
いつのまにやら、9ueenの眼光が失せていた。彼女が自ら解いたわけではない。今度は、クラウスが無効化したのだ。
「エラーコードについて色々調べさせてもらった! おまえらは魔法陣を使わずに異能を使えるようだが、それはあくまで見かけ上の話だ。実際、能力発動時には例外なく魔力を消費しているし、魔法陣も錬成している」
「……」
「そして、その魔法陣はおまえらの細胞一つ一つに組み込まれているんだ! 数十兆個にも及ぶ細胞……そのすべてに緻密な術式を組み、通常ではありえない複雑な魔法を実現している! それがおまえらの能力の正体だッ!」
彼の杖の先に四等級相当の雷魔法の術式が錬成される。さすがはS級魔法使い。その技術も速度も洗練されていた。
「誰も真似できないような神業的技術だが……結局は魔法。つまり“魔法陣錬成を阻害する魔法”も効く!」
「魔法陣の錬成を……阻害!?」
「そうだ! かつてフォルトレットさんが使っていた魔法を僕も習得したんだ! おまえの無効は、僕が無効化したッ!」
9ueenは、はだけたドレスを押さえながら立ち上がって後ずさりする。
「こ、姑息なッ……!? い、いつ!? いつそんなもの──」
先ほどの一斉掃射の最中だ。しかし、魔法陣を組み終えたクラウスはその問いに答えず、自然界の落雷をも遥かに凌駕する超高威力の雷魔法をぶっ放した。
直撃だ。今度こそやった。
仮にこれで殺しきれなくとも、あの無効能力を使えなければこっちのやりたい放題だ。奴が死ぬまで、高威力の魔法を放ち続ければ──
「オーッホッホッホ! なーんて、ちょっと驚いてみちゃったりして!」
「!?」
雷が消えた。クラウスの杖にあった魔法陣も消え失せている。
9ueenは何事もなかったかのように赤い瞳を光らせ、そこに立っていたのだった。
「あ~人間の浅知恵ぇ……憐れ憐れですわ」
「な、なんで僕の魔法が──」
その瞬間、クラウスが吹っ飛んだ。9ueenが一瞬で彼との距離を詰めて殴ったのだ。速すぎる。手品師として動体視力にはかなり自信があったが、そんな俺でもまったく目で追えなかった。
クラウスはその一撃で建物に体を強打し、気を失ってしまう。
「わたくしは9ueen。異能を無効化する能力を持っていますわ」
彼女が目を光らせながらこちらをじっと見つめてくる。
「そして、わたくしの能力はまさに王の力。ありとあらゆる異能の中で最優先に発動できますの。したがって、わたくしのそれを無効化なんて、どう足掻いてもできませんのよ?」
なんだよ……それ?
反射的に俺は銃を構えるが、彼女が怯む様子はない。それでも引き金を引いた。しかし、その銃弾は棒立ちの9ueenをよろめかすことも叶わない。
「まったく……爆破で“ギア”の巣窟を蹂躙し、有利に立ったとでも? バカバカしい。あそこにいたエージェントも所詮は人間。わたくしたちエラーコードとヴェノムギア様さえいれば“ギア”は無敵ですわ」
9ueenが重心を下げた。すかさず俺は銃撃を中断し、回避を試みるが、次の瞬間には腹部から鈍痛が響いた。
「かはっ……!」
重い。だが、クラウスのように吹っ飛ぶ威力でもなかった。
俺は途切れそうな意識を繋ぎ止め、胸ポケットからナイフを取り出す。殴られたのが効いていると、そう勘違いさせるよう前屈みになり、体で隠しながらナイフに石化魔法を付与、そして一気に距離を詰めて斬りかかる。
だが、そんな騙し討ちも見切られて、顔に回し蹴りを決められた。ドレスが破けてミニスカートみたいになっているので、そんな動きもできるようだ。
スキルもダメ。魔法もダメ。物理もダメ。無効もダメ。不意打ちもダメ。
なんなんだこいつ? いくらなんでも無敵すぎる。こんな理不尽が許されていいのか。
あえなく俺は地に伏して、後からハットも地面に舞い落ちる。9ueenがヒールで後頭部を踏みつけてきた。
「さて、ここまでやってもまだ……李は出てきませんわね。一体どこにいるのでしょうか。教えてくださる?」
「……」
黙っていると、大きな溜息が聞こえた。
「では、少々数を減らしますわ──」
四方八方から叫び声が聞こえてきた。ツベルクたちの声だ。
「うあああ……んぎゃぁああああ!?」
もがき苦しむような断末魔がそこら中から響いて、建物から人が落ちてくる音も聞こえてくる。
地に伏しながら目線を上げると、そこには四肢が黒く変色したツベルクたちがいた。腐敗している。その腐敗はみるみるうちに彼らの全身に広がっていき、数秒足らずで叫び声も止んだ。
焼け焦げたような真っ黒い物体が転がっている。それは少しの風でも崩れてしまう脆さだった。
「これはbac7eriaさんの能力ですわ。先ほどわたくしがここに来た時から、あなた方に感染させていました。本来は感染と同時に対象を腐らさせるのですが、わたくしが無効化していましたの。それを今……解除しました」
「な……」
壁際に横たわっているクラウスの頬にも黒ずみができ始める。
「ク、クラウス! 起きろッ!」
すると、彼の腐敗が止まり、俺の頭をヒールで踏んづけていた9ueenがそれをどける。
そして、彼女は屈みこみ、俺の髪をつかんで顔を覗き込んできた。
「改めてお伺いいたしますわ……李知華子はどこですの?」