【102】バッドロマンス
ルビロネは剣の切っ先を向けられているにも関わらず、心を奪われたようにうっとりと桃山を見つめていた。
しかし、僕には何もできない。『復讐者』の効果は他人に発動できない。ルビロネを救う手段はない。
「た、頼む……桃山」
「ん~?」
「ルビロネたちは関係ない。彼女らは僕が来るまでずっと自由とはかけ離れた生活をしていたんだ! これ以上彼女らを何かで縛らないでくれ! お願いだから解放してやってく──」
「え、やだぁ」
「……」
桃山は剣を下ろし、それを持ったまま通路を真っすぐ歩いて向かってくる。
「あんたがこの異世界で積み上げてきたもの……ぜ~んぶ奪ってあげる。あんたのダークテイルも、クラスメイトも全部ぜ~んぶ利用して、私はこのゲームを生き残るの」
桃山が目の前まで来て、すかさずこちらもカードを構えるが、僕の手にあったはずのカードが消えた。
「こっちこっち」
「!?」
桃山の手にカードが二枚ある。桃山のカードと……僕のカードだ。
盗まれた。なぜ? 今の今まであったのに。こいつ何を?
「へー雛乃のスキル、結構強いかも……簡単にカード奪えちゃった」
ひなの? 伊室雛乃のことか。そういえば──
「おまえ……他の奴らはどうしたんだ?」
桃山は少しずつ表情を歪ませて、不気味な笑みを浮かべたのだった。
「死んだよ? さっきも言ったけど『愛憎劇』をかけてキスすると、好感度を即マックスにできる。そうなったら終わり。感情や意思なんて消滅して、私が死ねって言えば死んでくれる……そんな廃人に成り果てる。それで雛乃たちを殺した。あの六人のスキルはもう全部私の物」
「は……? じょ、冗談だろ。じゃあ彼氏のことも──」
その瞬間、サッカーボールみたいに顔面を蹴り飛ばされた。
中学生女子のパワーじゃない。これも誰かのスキルか。
「かはっ……!?」
「殺したよ。あんなヘタレ」
全身を壁に打ちつけ、呼吸もままならない内に桃山が剣を振り上げた。
「じゃ死んでね~」
激痛で体が思うように動かない。
死ぬ。殺される。嫌だ。こんなところでこんな奴に殺されたくない。誰か──
「──直人君!」
刹那、発砲音のようなものが響き、続けて金属が落ちる音がした。
雲藤だ。雲藤がカードを出してこちらに呼びかけている。『空気』の空気砲で、桃山が構えていた剣を吹き飛ばしたのだ。
「は……はあぁぁ!? ちょっと“空気女”! 何やってんの!?」
「うっ」
雲藤が辛そうに頭を押さえて膝から崩れ落ちる。
すると、彼女のすぐ近くにいたパーズが手をかざし、黄色い魔法陣を錬成したのだった。
「や、やめ──」
僕の呼びかけも空しく、パーズは雷の属性弾を放ち、雲藤の胸部を貫いた。雲藤は断末魔を上げる暇もなく力尽きた。
「みく様! 邪魔者を排除したのら!」
「あ、うん。でも……なんでだろ? 私、スキルかけたはず──」
──死んだはずの雲藤が起き上がった。
先ほど空けられた胸部の穴は塞がっていて、彼女は即座に『空気』を発動する。一瞬で辺りの空気が乱流し、パーズらはまとめて地下通路の壁へと押し付けられる。
「んら……!?」
僕の近くにいた桃山だけはその暴風の影響を受けなかったが、間髪入れず雲藤が空気砲を放ち、その首筋を抉り飛ばす。
「いやあぁぁあああ!?」
桃山は血を吹き出しながら倒れ、彼女のカードは宙を舞う。
「う、雲藤? 君どうして生き返って……?」
「はぁはぁ……分かんない。何も分かんない。けど大丈夫。直人君は私が守るから……」
「……」
わけも分からず彼女へ駆け寄ろうとした刹那、背後から桃山の声がした。
「な、七原か! あいつ……雲藤たちにも『7』をかけてたん──」
振り返ると、桃山も同じく復活していて、今まさに体を起こそうとしていた。
「動くな!」
雲藤がカードを構え、桃山は通路奥にて跪いた状態で動きを止める。
「直人君……そこのカード、こっちに持ってきて」
雲藤があごで指したところに、桃山のカードが落ちていた。
僕は言われた通りカードを拾い、逃げるように通路奥からT字の曲がり角まで戻り、それを雲藤に手渡す。
「か、返せ──」
「あんたの負けだよ桃山! 直人君を殺そうとしたこと絶対に許さない……」
雲藤が空気砲を放ち、一撃で桃山の頭部を飛ばした。もはや大砲の威力である。
しかし、七秒ほどでまた復活する。
「ま、待ってよ!? なんであんた、私の『愛憎劇』──」
問答無用で再度桃山の頭は飛ばされる。また復活する。どうやら七原の『7』の効果らしいが、ちゃんと説明してもらわないと僕の頭ではついていけない。
何度か桃山の死と復活が繰り返された。
しかし、五、六回復活したところで、彼女は突如身を翻した。空気砲の狙いが逸れて、桃山の右腕が吹き飛ぶ。
「うぐぅ……!?」
苦悶の表情を浮かべ、おびただしい量の血を流しながら彼女は膝をつく……が、その左手にはカードがあった。
桃山のものではない。あれは僕のカードだ。盗まれたんだった。忘れてた──
「……『復讐者』」
まずい。桃山に与えたダメージが雲藤に返ってくる。
「んあぁぁ……!」
「雲藤!?」
桃山が死と復活を繰り返したように、雲藤も同じくそれを追体験していった。そうして最後に右腕が吹き飛び、彼女は地に伏してしまう。
一方で、桃山は五体満足で立ち上がっていて、僕のカードをひらひらと揺らしていた。
「黒尾はほんとバカだよね~? ダメダメ~、自分のカード忘れちゃ~。せっかく雲藤が私の残機を最後の一個まで減らしたのに、全部やり返しちゃったよ~?」
「え……で、でもまた復活するんじゃ?」
「いやだからしないって。雲藤の残機はこれで最後。もう復活できない。今はまだギリギリ生きてるけど、その出血なら直に死んじゃうね~!」
「え……え……?」
動揺して桃山の言ってることが頭に入ってこない。
「う……雲藤!? しっかりしろよ!」
「はぁはぁ……うう……」
呼吸の浅くなっていく彼女を抱きかかえる。
暴風が止み、動きを封じられていたパーズたちが自由の身になってしまう。桃山が忌々しい高笑いをする。
「アハハハハァァ~! あ~イライラしすぎて笑えてきた! もう最高! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろ!? でも私はこんなところで死なない! 死ぬわけがないッ! ほらほらダークテイルのみんな~! 黒尾を殺せぇぇえええ!」
パーズやルビロネ、サイア、2anaが動き出し、僕の方へやってくる。
絶望と混乱で頭が真っ白になったそのとき、抱きかかえていた雲藤が僕にしか聞こえない声で囁いた。
「大丈夫。大丈夫だよ……直人君」
「え?」
その瞬間、ルビロネが落ちていた自身の短剣を拾って、桃山の腕を斬り落とした。ともに、あいつの手にあった僕のカードも床に落ちる。
「……へ?」
続けて、パーズが落雷のような速度で桃山に接近し、その顔面を殴り潰したのだった。
「──え、ちょ……ちょっと!?」
桃山はまた復活するが、ルビロネの洗練された剣術とパーズの目にも留まらぬ雷魔法を前に為す術もなく、彼女は再び残機を減らしていった。
「──や、やめ」
命乞いする間もなく桃山は先ほどよりも速いペースで殺され続け、そして復活もしなくなった。桃山の四肢と頭部がバラバラになって、肉塊が地下通路にばらまかれた。
「クロー様! ウンドウ様の容態は!?」
サイアが長めの青髪を耳にかけ、瀕死状態の雲藤に回復魔法をかける。
「どうしてみんな……『愛憎劇』にかかってたんじゃ?」
「さぁ? ただ急に目が覚めました。本当になんとお詫びすればいいのか……」
2anaが側に屈んでくる。
「彼女が解いてくれたみたいですねぇ~」
2anaが雲藤の手元を指さした。そこには、さっき僕が渡した桃山のカードがあった。
そうか。これで『愛憎劇』を解いたのか。
すると、そのカードから桃山の名前や顔写真、スキルの記載が消えた。続けて、雲藤のカードから、ピロロンピロロンという電子音が鳴り響く。
どうやら桃山が死んだことで、雲藤にスキルが譲渡されたようだ。
「雲藤ちゃん……死なないよね? サイア! なんとかしてよ!」
茂田が涙を零しながらそう嘆くが、サイアがいくら回復魔法を施しても血が止まる様子はなく、雲藤の顔色は悪くなっていく一方だった。僕の腕の中で彼女が弱っていく。
そういえば、雲藤のおかげでみんなは正気を取り戻したが、雲藤自身はどうやってそれを解いたんだ? 桃山のカードがあれば『愛憎劇』を解けるようだが、雲藤が最初に攻撃したとき、そのカードはもちろん桃山の手にあった。一体どうやって──
「直人君……良かった、無事で」
雲藤のハスキーな声が、いつもよりさらに掠れていた。
「私……直人君が好き」
「え……」
「私地味だし、2anaみたいにスタイルも良くないし、サイアたちみたいに可愛くもないから、直人君にとっては眼中に無かったかもしれないけど……でも直人君のこと最初に好きになったのは……私だよ」
「……」
「小学校に入る前の……優しくて明るかった直人君が今でもずっと好き……桃山なんかよりもずっと、ずっとずっと──」
サイアが回復魔法の出力を上げ、緑色の魔法陣がさらに光を増す。
「ウンドウ様……! もう喋らないでくださいっ!」
サイアの言葉は届かない。それどころか、雲藤の瞳にはすでに光が無く、焦点も合っていないようだった。
「直人君ごめんね……今まで助けてあげられなくて……」
「な、何言って……君が謝ることなんかない!」
「ごめんね……」
「だから謝るなって! 聞こえてないのかよ!?」
すると、彼女が手を震わせながら頬に触れてきた。とても細く冷たく弱々しい指だった。
「直人君……ここにいた」
「……っ!」
僕は人目もはばからず彼女にキスをした。
口先が少し触れただけだったが、それでも彼女は満足そうに微笑んだ。
「……」
「雲藤……雲藤ッ!?」
返事はなく、代わりに通路奥からピロロンピロロンという音が響いた。
桃山に奪われた僕のカードからだ。まるで僕らの運命を嘲笑うかのような音だった。
「…………」
雲藤を床にそっと寝かせ、僕は一人立ち上がる。
あまりの現実感のなさに、足取りはおぼつかないが、それでも一歩一歩確実に最奥へと進む。
ルビロネたちとすれ違い、血だまりを抜け、肉塊を踏みつけて、床に落ちていたカードを拾い上げる。
『復讐者』。その説明欄を下にスクロールしていくと、桃山たちのスキルに加え、『空気』も追加されていた。
「……なんだよ……これ」
異世界に来て、チートスキルを手に入れて、何もかも上手くいってたのにどうしてこんなことに?
僕のせいか? 僕が弱いから? 僕が復讐なんてしたから?
違う。そんなはずない。
僕は英雄なんだ。
悪いのはいつだって、僕を取り巻く環境だ。
「……茂田、桐谷」
「……?」
「君たちだよな? ハンターから桃山たちを引き取って、ここに連れてきたのは? なんでそのとき桃山のカードを確認しなかった? 普通するだろ? 全員分没収したかくらい──」
僕の指摘に、桐谷が必死に反論してくる。
「そ、そ、それはそうだけど! たぶん、その時から桃山はスキルを使ってたんだ! あいつに確認しないでって言われたら、なんか確認する気が起きなくて」
「ふざけんなよっ! この無能が!」
「ま、まともな精神状態じゃなかったんだ! でも君は確認できただろ!?」
「……っ!」
あの桐谷が顔を真っ赤にして、こちらを指さし、まくし立ててくる。
「『復讐者』があれば『愛憎劇』も跳ね返せる! 桃山もそれを知っていたから、君にだけスキルを使わなかったわけで……君なら確認できたはず──」
瞬間、僕はカードを向けて『空気』を発動した。
桐谷の腹部に大きな風穴が空く。
「え……あぇ……?」
雲藤らと同じく、七原のスキルで桐谷が復活するが、お構いなしに僕は七回連続で殺してやった。
カードからピロロンと電子音が鳴る。
その一部始終を目の当たりにした茂田は腰を抜かしていた。
彼も殺した。復活しなくなるまで殺してやった。
そして再び電子音が鳴る。
これで、僕のカードに十個のスキルが追加された。『復讐者』を合わせれば計十一。
「ふふっ……フハハハハ! ハハハハァァ!」
何がおかしいのか分からないのが、余計におかしくて堪らなかった。
僕の中で何かが壊れて、すべてが終わった気がした。
いや、ここからすべてが始まるのだ──
「あぁ、終わった! 桃山たちが死んだ! 神白だってあそこから出られない! 終わったんだ! 僕の復讐は何もかも! 思ってた結末とは違ったけど……あーもう別にいいや! これにて僕の復讐は完結ッ! ざまぁみろぉぉあああ!!」
サイアたちが絶句する中、2anaがその身を打ち震わせながら、満面の笑みを浮かべるのだった。
「おめでとうございます、クロー様! さてさて、これからどうしますかぁ~?」
「そうだね。じゃあ……これよりダークテイルは“新たなステージ”へと進もうじゃないか!」
「あらまぁ~? 一体どのようなステージなんでしょお~?」
「ふん、分かってるくせに。君には前話したろ? この異世界で……僕が真に求めているものは何か? これからはそれを目指すんだよ──」