【101】五年
ダークテイルアジト。本館、地下通路にて、彼女らに命令する。
「サイアたちは地下牢の七人を連れてこい。2ana、一応君もな」
「私もですか~? 私、クロー様と一緒がいいですぅ~」
「それもいいけど、君がついていたほうが安全だ。サイアはまだしも、ルビロネとパーズはいまいち手加減が下手だからな」
昨日、パーズが神白を殺しかけた話を聞いたのでそう釘を刺しておく。
すると、いつも元気溌溂なパーズが申し訳なさそうに頭を下げていて、それが意外にムラッときた。
「……」
彼女の顎を手で掴み、有無を言わせずキスをした。2anaや雲藤らが見ている前だが、僕はお構いなしに彼女と十秒近く口で蕩け合った。
「ん、んんっ!? ぷは……ク、クロー様ぁ?」
「……ふぅ。じゃあ正午に本館前集合な」
「は、はい……なのらぁ」
2ana、サイア、ルビロネの三人がパーズに羨ましそうな視線を向け、言葉にはせずとも僕からの口づけを期待しているようだった。
みんなとても愛おしかったけど、ここはあえて焦らすことにした。
僕は背を向けて、雲藤、茂田、桐谷と共に神白の監禁場所へと向かった。ルビロネたちのパーズを責める声と、パーズの嬉しそうな声がこだましてくる。
「今日もお盛んだねぇ~」
茂田が冷やかしてきた。
「君も彼女作れば? ダークテイルの子たちならきっと選び放題だよ」
「俺はそういうのあんま興味ないかなぁ~」
「格好つけんなよ」
気まずそうにずっと目を伏せていた雲藤が口を開く。
「そんなことより、神白を“あの落とし穴”に落としてどのくらい経ったの?」
「えっと昨日の昼からだから……二十時間強かな?」
「となると──」
僕ら四人の中で一番計算が速い桐谷がその答えを出す。
「ご、五年」
「そっか、五年か。まだまだ足りないな。せめて百年くらいは体感してもらわなきゃ」
「百年なら……じゅ、十五日はかかる。いやもっとかな?」
「結構かかるなぁ~」
しばらく歩いて、僕らは神白の牢まで辿り着いた。牢と言ってもそこに鉄格子はない。通路の最奥にちょっとした窪みがあるだけだ。その中で、神白が体を丸めて眠っている。
「一旦出そう。どんな反応するか楽しみだ」
直径二メートル、深さ一メートルほどの丸く浅い窪み。桐谷と茂田がその縁に立って、眠る彼を持ち上げる。穴に落ちないよう慎重に、僕も少し手伝って、無駄に図体のデカいそいつを引っ張る。
「──あ、あ」
穴から引き上げられるなり、彼は目を覚ました。
「よう神白ぉ~? 生きてる~?」
神白は地に這いつくばりながら虚ろな目をしていて、口を聞くこともなかった。すでに相当精神がやられてしまっているようだ。
無理もない。この“夢幻落とし穴”に落とされた者は醒めない悪夢に捕らわれる。しかも実際の経過時間と体感時間に大きな差異が生じ、現実における四時間でおよそ一年もの時を体験することになるのだ。
サイアたちから聞いた話では、僕が殺した辺境伯が、罪人や反逆者に最も多く利用した拷問の一つであるという。しかしそれも納得だ。コストは少量の魔力くらいで、あとは放っておくだけでいいのだから。
「どんな悪夢を見た? 暗闇に閉じ込められる夢か? 延々と落下する夢か? 虫の大群に食い殺される夢か? 色々パターンがあるらしいけどどうだった?」
「……」
「ま、でも休憩だ。今日はまた別の復讐を用意したからね。おまえ、いつしか僕の体にコンパスの針を刺したことあったろ? あれの復讐をする。もっともおまえに刺すのは短剣だけどねぇ~!」
神白の表情は変わらなかった。死んでるのかと思ったが息はある。まばたきもしていた。
「あ……く、く……」
「何? 恐いの?」
「黒尾……さん」
「……さん?」
聞き間違いかと思ったが、神白は呼吸を徐々に整えて言い直してきた。
「はぁはぁ……黒尾さん。今まで申し訳ございませんでした。謝って許されることではないと分かっています。それでも言わせてください。申し訳ございませんでした……夢の中でずっと後悔してました。俺は取り返しのつかないことをしてしまったんだと。本当に反省してます」
こいつ、ふざけてるのか? 命乞いのつもり──
「俺、もう一人なんですよ……」
「は?」
「翔也さんたちも、俺とはもう口を聞きたくないみたいです。しかも、ここに連れて来られる前にも俺、翠斗さんのこと殴って、茉莉也さんにもフラれて……誰一人として俺のことなんか見てくれなくて、それを長い長い夢の中で気づかされました。始めこそ黒尾さんに反感を覚えていましたが、何度も何度も自問自答し、自分を見つめ直したら、これは全部自分が今までやってきたことの報いなんだと思うようになって……」
「……」
「黒尾さんが復讐したいというならどうぞご自由に。俺が口出しできることは何もありません。ただどうか……どうか俺をこれ以上一人にしないでください! 俺に復讐してください! 黒尾さんだけは俺を見放さないでください!」
ごちゃごちゃ言いながら神白が脚にしがみついてきて、僕はそれを振り払う。
「ふ、ふざけんな! 何おまえ、一丁前に反省なんかしてんだよ!? そんなんで僕が許すと思ってんのか!?」
「思っていません。だから復讐を是非っ!」
「おまえ……上手いこと言って許されようとしてんな!? その手には乗らないぞ!」
「そう思われても……仕方ありませんよね。俺は今までそれだけのことを──」
床に這いつくばる神白の胸ぐらをつかみ、壁へと乱暴に押し付ける。
「おい? いいかげんにしろよ? おまえそんな奴じゃねぇだろ!? そんな安い反省なんかしてんじゃねぇ! これじゃあまるで……僕が悪者みたいじゃないかっ!?」
「そんな。黒尾さんは悪者なんかじゃ──」
「殴れよ!? いつもみたいに僕をいじめてみろよ!? 桐谷の好きな電車を貶せ! 茂田のラジコンを踏みつけろ! 桃山たちと雲藤を無視しろよ!?」
神白は無抵抗で脱力し、遠くを見つめながら涙を流した。
「あぁ……どうして俺は今までそんな酷いことを。ごめんなさい桐谷さん。すみませんでした茂田さん。心から謝罪します雲藤さん……」
「この!」
力いっぱい押して神白を転ばせるが、彼はなんの抵抗も反抗心も見せず、ゆっくりと体を起こした。
「……えっと、剣で体を刺すんでしたっけ? 凄く痛そうですけど仕方ありませんね。お願いします」
「もういい……」
「え……」
「おまえなんかもうどうでもいい……」
「そんな!? ま、待ってください! 黒尾さんにまで見捨てられたら俺はもう──」
神白が立ち上がろうとするが寝起きのせいで脚がおぼつかず、僕一人でも簡単に穴へと突き飛ばせた。
「黒尾さ──」
再び神白は穴へと落ち、また夢幻へと誘われる。
「雲藤ッ! 『空気』の空気砲で、穴の手前あたりの天井を落とせ!」
「え?」
「神白はここに幽閉する! 百年なんて言わない……永遠に夢の中で地獄を見せてやる!」
「な、なんでそんな──」
「早くしろよ! 空気女!」
「……っ」
桃山たちがよく言っていた彼女の渾名を口にしてみたら、幾分か心がスカッとした。雲藤は顔六十点、体三十点の赤点女子だが、ショックを受けたときの顔は結構いけると思った。
そして、彼女は唇を震わせながら、言う通り天井を崩した。神白へと繋がる唯一の通路が塞がれた。
茂田が自身の後頭部に両手を置きながら、飄々とした態度で口を挟んでくる。
「どうしちゃったのさ? そんなに神白の態度が気に食わなかったの~? ま! あいつの方から復讐してくれ~、なんて言われたらどうしたらいいのか分かんなくなっちゃうよね」
「……うるさいな。口答えすんなよ」
「べ、別にそんなつもりじゃ……だけど、雲藤ちゃんにそんな言い方あんまりだろ」
なんだ? いつもなら口笛とか適当に吹いて、一切歯向かってこない腰抜けなのに。なんで今になってムキになってんだ? もしかして雲藤のことが好きなのか? だとしたら傑作だな。どっかのクズのせいでむしゃくしゃしてるし、ちょっと八つ当たりしてやるか。
「おい“空気”。今日の夜、僕の部屋来いよ? パーズと一緒に可愛がってやる」
「え……」
すると、茂田がいつになく顔を真っ赤にしてカードを向けてきた。
どうやら僕の予想はビンゴだったらしい。
「なんだよ? 僕とやんの? 『無線操縦人形』なんて簡単に跳ね返せるけど?」
「……っ!」
「ハハハ! だよね~? 何もできないよねぇ~? 無様無様ぁ~! 雑魚スキルのくせにイキってんじゃねぇよ! バ~カ!」
他人を貶すのって思ったよりも気分が良いな。
しかし、今度は桐谷が口答えしてくる。
「な、な、なんか……あれだね」
「あ?」
「い、今の黒尾君、か、神白みたいだね」
「……」
は? 何言ってんのこいつ? 電車の乗りすぎで頭おかしくなったんじゃないの?
「桐谷、おまえさ──」
彼のことも貶してやろうと思った……そのときだった。
パーズらと別れた通路の分かれ道から足音と声が聞こえてきた。なんだか楽しそうな笑い声だった。だが、僕にはそれがおぞましく聞こえた。
「──フフフフフ!!」
突き当りのT字路から、パーマのかかったショートヘアの女子が顔を出した。
「ハロ~? 何喧嘩してんのぉ~?」
「桃山……?」
「そうだよ~? クソ尾く~ん?」
「あ……あぁそうか。2anaたちが連れてきた……のか?」
しかしながら、どう見ても桃山は連れてこられたような雰囲気ではない。なんだ? こいつの、この余裕綽々な感じは?
彼女はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、曲がり角の先へ手をこまねいた。
「みく様ぁ~!」
「!?」
姿を現した2anaが桃山に抱きついた。パーズたちも同じように通路の先から出てきて、桃山にべたべたするのだった。
「な、何してんだみんな!? そんなクズ捕まえろ!」
「ん~? みく様はクズじゃないのら。いくらクロー様でも、みく様を悪く言うのは許さないのら」
「は……?」
パーズは手をかざし黄色い魔法陣を出した。彼女得意の雷魔法である。
「ストップ。えっと……パーズちゃんだっけ? あいつに攻撃してもやり返されるだけでしょ?」
「あ、そうだったのら! でも、みく様をバカにしたのは許せないのらっ!」
「いいのいいの! こっちから攻撃しなければどうせ……な~んにもできないんだから」
桃山がスカートのポケットから何かを取り出した。それは──
「プレイヤーカード!?」
間違いない。そこには『桃山みく』という名前と『愛憎劇』という表記がある。
「黒尾さ~? 私たちから没収したカード確認してないでしょ? ちゃんと全員分没収できたかとか、その能力が何かとかさ?」
「……」
「でも、私はクラスで一番性格が良いから教えてあげる。私の『愛憎劇』は、視界内にいる人を私に惚れさせることができるの。彼女たちは今、その能力の餌食ってわけ!」
「そ、そんな!? それにおまえ……どうやってカードを!?」
「聞きたい~?」
昔からこいつの笑みが大嫌いだった。かと言って、こちらが少しでも反抗的な態度を示せば、すぐ宮島や神白の後ろに隠れる。そしてまた安全圏からクスクス笑うのだ。いつかあの舐め腐った顔面を潰してやりたいとずっと思っていた。それなのに、なんなんだよこの状況は?
「あんた。ハンター雇ったでしょ? 依頼内容は、私たちの捕縛とプレイヤーカードの没収。ハンターはそのカードが一体何かとか全然気にしてなかったけど、とにかく私たちはあっけなく捕縛されカードも奪われた」
「……」
「でもその襲撃時に私、ハンターの一人にスキルを使ったんだぁ~。マジシャンっぽいお兄さんだったよ。おかげで私のカードだけ没収されなかった。私が没収しないで~っておねだりしたら内緒でオッケーしてくれて」
「!?」
神白たちの居場所を調べる術が僕らには無かった。だから、辺境伯から奪った資金の約半分を費やして、帝国で最も強大と言われていたハンターギルド、そのトップスリーにそれを依頼したのだ。実際、あいつらの情報網は伊達じゃなかったし仕事も早かったが、まさかたった一つのスキルで足を掬われるとは。
やっぱり僕も捕縛に参加すべきだったか? だけど悪逆非道の辺境伯を倒して、ここの領民たちに英雄扱いされる生活があまりにも快適すぎた。こんなの言い訳だが、あんな多くの人に認められる快楽は他にないだろう。生まれて初めての彼女もできたし、ここを離れたくないという横着が出てしまった。
「雲藤、空気砲だ! 茂田でもいい! これ以上桃山の好きにさせるな!」
しかし、彼女らは僕の指示を聞くことなく、黙って桃山のほうへ歩いていってしまう。
「実は~雲藤たちもとっくに『愛憎劇』の餌食なのでした~」
「う、嘘だろ!? だって、昨日までみんなおまえのこと──」
「嫌ってた? そだね~。『愛憎劇』って、元の好感度が低いとちょっと時間かかっちゃうんだよね。ちなみにキスすれば即効だけど、こいつらとキスするくらいなら死んだほうがマシだからやめた」
その辛辣な物言いに、雲藤たちは口を尖らせる。しかし、桃山が手招きすると表情を綻ばせて寄っていった。
「みくちゃん……」
「お手」
「あ、はい!」
あの雲藤が桃山にお手をしている。
考えてみれば当然だ。桃山が最初からカードを持っていたなら、いつでも雲藤たちをその毒牙にかけられたんだ。遅効性の毒のように彼女らの精神を蝕んでいったのだ。
この女、悪魔だ──
いや待て。何を臆している? 僕には『復讐者』がある。その能力の性質上、どうしても後手に回るスキルだが、それでもこれさえあれば僕は無敵。最強なんだ。あんなクズ、真正面から殴り殺せば──
「あ~ダメダメダメダメダメぇぇ……」
桃山がルビロネの腰にあった真紅の短剣を両手で抜き、それを彼女の首筋にあてがう。
「それ以上近づいたらこの人殺しちゃうよ? いいのかな~?」
「も、桃山……!! おまえッ!!」
「ほら下がれよ? 下がれ黒尾~? キャハハハハハ!!」