【100】不死
花怜ちゃんの手からカードが無くなり、希死の伝染が収束した。等々力たちを元の人間の姿に戻しても、海に飛び込もうとする様子は見られなかった。
「──急げ、等々力!」
「分かった!」
指示を聞き入れ、彼がスキルを発動しようとする。
「させるか……!」
ouro6orosが飛び込んできて等々力のカードを奪おうとする。
しかし、両者の間に透明のブロックが積み重なり、蛇の進行は食い止められる。瀬古っちの『工匠』だ。
蛇は横からブロックを抜けようとするが、瀬古っちのスキル発動速度の方が遥かに速い。瞬く間に蛇はブロックで囲まれ捕獲された。
「小癪な……おい名波花怜! いつまで呆けている……!?」
「ふぅふぅ」
翠斗の“好き”発言がそんなに嬉しかったのか、彼女はいまだ仰向けのまま頬を火照らせていた。
そうこうしているうちに、等々力の『以心伝心』が完遂した。
海の中から、キュイキュイという鳴き声がしてイルカたちが顔を出す。彼らの背中には、気を失っているイルカたちがいた。船長さんたちだ。私はスキルを解除し、彼らも元の姿に戻す。
「言われた通り、溺れている人たちを救うよう呼び掛けてみた。上手くいったみたいだね」
彼のスキルはその名の通りテレパシーだ。言葉や身振りを伴わず、周辺にいる人や生き物と意思の疎通ができる。モレットでエリリンが誰かの飼っている猛獣と遊んでいたとき、気に入って使っていたスキルだ。
「なんだこれは……こんなはずでは……」
囲われたブロックの中で唖然とする蛇に対し、ツッキーが得意気に胸を張った。
「参ったか! これが私たちの力だっ!」
「君は何もしてないけどね」
瀬古っちの指摘に彼女は顔をしかめ、『知恵の実』の連射モードで彼の顔を撮影する。やめろよ、と瀬古っちは腕で顔を隠す。
「翠斗きゅん……」
いつの間にか体を起こしていた花怜ちゃんが、もじもじしながら彼の名を呼んだ。
「あの、さっきのって──」
「いや嘘に決まってんだろ。好きなわけあるか、おまえみたいな奴」
「え……」
きつい言い方を注意しようとするが、その前に翠斗が口を開く。
「茉莉也。もういいだろ。こんな奴に情けをかけるな」
「で、でも……」
「いいか? こいつは俺たちのこと殺そうとしたんだぞ? しかもなぜかエラーコードと結託してるし。ヤバすぎんだろ!?」
彼の言う通りだ。これだけの数の人を殺めようとした花怜ちゃんの罪は重い。許されることではない。でも、だとしても私は──
「もういい……名波花怜……貴様だけ死ね」
透明ブロックで動きを封じていたouro6orosが消えた。テレポートだ。
すると、花怜ちゃんが息を荒げて頭を抱える。
「花怜ちゃ──」
私が駆け寄ろうとすると、翠斗にその肩をつかまれ止められる。
「さっきouro6orosが言ってただろ? 『絶望少女』の代償だ。希死を伝染させて、最終的に自分も自害する……さっきまであの蛇が蘇生させてその代償を打ち消してたが、あいつはもうそんな補助はしないだろうな。名波はここで死ぬ」
すると、花怜ちゃんの足元に果物ナイフが突き刺さった。上を見るとouro6orosがマストのロープにぶら下がり、裂けた口を開いていた。
落とされたナイフに気づいた花怜ちゃんはそれを拾い、躊躇いなく自身の首に突き刺そうとする。
「ダメっ……!」
翠斗を押しのけ、彼女の腕を鷲掴みにする。しかし、抵抗は凄まじく私の力では押さえられなかった。軽々と振り払われて転倒してしまうが、すぐにスキルを発動し果物ナイフをウサギのお人形に変化させる。
「ん……!? んもぉぉぉ!? 邪魔すんなよブス!」
お人形を投げ捨て今度は海へと駆けだした彼女に、私は必死にしがみついてその進行を食い止める。
「ブスじゃないし、自殺なんて絶対させないから! 花怜ちゃんだって、今はスキルの影響でおかしくなってるだけで、本当は死にたくないんでしょ!?」
「黙れぇぇ!」
花怜ちゃんは強引に歩を進め、船のへりに手をかける。
「私だってホントは分かってる……! おまえが可愛くて、私が……ブスってことも! 翠斗きゅんみたいなイケメンが相手してくれないことも! 服が似合ってないことも! 桃山たちにバカにされる前からずっと分かってた! 結局この世は顔がすべてだから、ブスは何をやっても分不相応になるの! でもしょうがないじゃん!? 好きなんだから! おまえにこの気持ちが分かる!? おまえみたいな……全部持ってる奴に!」
全部持ってる、という言葉が妙に引っかかった。沸々と煮えるような感情とともに、私はやけに冷めてしまう。
「は? それどういう意味?」
「だから! そんだけ顔が良ければ努力も何もしなくたって幸せじゃん!? イケメンにもブスにもモテモテで人生楽勝でさ──」
ほぼ無意識だった。どこで習ったわけでもなく私は花怜ちゃんの片脚を払って転ばせた。相撲か柔道で似たような決まり手があったような気がするけど、それが途轍もなく綺麗に決まった。なぜそれをしたのかは分からない。とにかく無性に腹が立った。
「顔が良いから人生楽勝とか……人生の解像度低くない?」
「……?」
尻もちをついた彼女は怯えたような瞳を向けてきた。
「この前、私初めて恋したの。けど、その相手にはもういい感じの人がいて全然上手くいってないんだけど? それでもせめて、その人に見合うような人になりたいって頑張ってんの。叶わない恋だとしても、好きな人に誇れる私でありたいから」
「……」
「それに、その人は全員でロワイヤルゲームを勝ち残ろうとしてる。黒尾も委員長もみんな。私もそうしたい。だから、誰も死なせないし、人殺しもさせないの。てか、花怜ちゃんは友達だし、そういうの抜きにしても絶対助けるから!」
彼女は歯を食いしばりながら胸元にあるピンクのリボンを解き、それで自分の首を絞めた。
「聞こえの良い言葉ばっか並べて……おまえもどうせ桃山たちと同じだ……私を……見下して──」
私は膝を曲げて、自暴自棄になっている彼女と目線を合わせつつ、その震える腕にそっと触れる。
「見下すわけないじゃん? だって、花怜ちゃんこの服、自分で作ってるんでしょ? 前教えてくれたよね? デザインも採寸も洋裁も全部自分でやってるって」
「……」
彼女の手の震えと力みが収まった。はずみでピンクのリボンが落ちるが、私はスキルでそれを操作し、胸元で元の形に結んであげる。
「こんな可愛いお洋服、壊しちゃダメだよ。せっかく似合ってるのに」
「そ、そんなの嘘──」
「嘘じゃない。誰がなんと言っても、私は可愛いと思う。このお洋服も花怜ちゃんも」
すると、後ろから溜息交じりに翠斗が声をかけてくる。
「まぁな……名波はブスじゃねぇよ。肌は綺麗だし、目もぱっちりしてるし、鼻も高い。ただ……デブなだけだ」
「翠斗やめて」
「あと性格が終わってる」
「翠斗ッ!!」
彼の歯に衣着せぬ物言いに花怜ちゃんがまた取り乱すと思ったが、彼女は静かに私に抱きついて声にもならない声ですすり泣く。
「ごめんなさい……ごめんね…………新妻さん」
なんだか久しぶりに彼女から名前を呼ばれて、どう言葉を返せばいいのか分からなくなってしまう。それをごまかすように私も抱き締めて、潤んだ瞳を見られないようにする。
「……うん」
海風が吹き、帆が膨らむ。麗らかな光に包まれながら、呑気なうみねこの鳴き声も聞こえてきて──
「──なんかあの蛇どっか行ったけど」
一件落着な感じになって私たちが感傷に浸っていたら、うみねこを凌ぐ呑気な口調でツッキーがそう呟く。
「瀬古君、瀬古君。蛇がぁ──」
「聞こえてるよ。マイペースすぎて言葉を失ったんだよ」
「はあー?」
※ ※ ※
新妻茉莉也め。奴のせいですべてが狂った。名波花怜のスキルで連中を一掃する計画が破綻だ。こうなったらbeet1eかraffl3siaを連れてくるとしよう。『絶望少女』の巻き添えを嫌って奴らは同行を拒否したが、元より我がいれば死ぬことはないのだ。わがままは言わせない。麦嶋らの監視が甘くなるのはややネックだが、このまま引き下がるわけには──
「──いた、ouro6oros! こんなとこ隠れてた~」
帆船に備えられたトイレ。そこの掃除用具入れにて、逆さまに置かれたバケツでとぐろを巻いていたら、忌々しい小娘が戸を開いて現れた。
「新妻茉莉也……どうやってここを?」
「私の『桜花爛漫』は“可愛い”を感知する能力もある。凄いっしょ?」
「わ、我を“可愛いもの”と認識しているのか……?」
「うん? 私、割とハチュウ類好きだよ。イモリとか可愛くな~い?」
「イモリは両生類だ……」
「え、マジ!?」
我はこんなやつに──
「てか目光ってるし。またどっかテレポートすんの?」
「そうだ……今度こそ貴様らを葬るために……beet1eたちを──」
「あ! 花怜ちゃんから聞いたよ! ダークテイルとエラーコードで協力してるんだって? 勇たちもそこにいるんでしょ!? 私も連れてってよ!」
「つ……連れていくわけないだろ!!」
「えぇノリ悪~」
こいつ、麦嶋とは別ベクトルで神経を逆撫でしてくる。
だが落ち着け。あと十数分もすれば長距離テレポートの準備が整う。それまで精神を統一しろ。いずれこいつも殺せるのだ。
「てかさ、ずっと思ってたんだけど、どうして私たちを殺そうとするの?」
「どうしてもへったくれもない……我らはただヴェノムギア様のご意志に応えるのみ……」
「でも、pelic4nはもっと自由だったじゃん?」
「アレと一緒にするな!! アレは我らエラーコードの中でも異質な──」
自分で口にしていて違和感を覚えた。
アレにヴェノムギア様への忠義なんて欠片もない。がしかし、エラーコードの連中でヴェノムギア様に心からの忠義を尽くしている者が一体どれほどいようか? 我と9ueen、あとはocto8usも間違いないが他は? いいかげんな奴らばかりだ。むしろ我らの方が少数派だ。
「異質な……存在で……とにかくアレを引き合いに出すな!」
「ふ~ん。その生き方楽しい?」
「下らんな……主への尽忠こそ……我の生きがいであり存在価値なのだ!」
すると、新妻はスカートを折って屈み、吸い込まれるような綺麗な瞳で見つめてくる。我はつい目を逸らしてしまう。それがひどく屈辱的だった。
「でもさ、ouro6orosって不死身なんでしょ? 永遠にヴェノムギアのためだけに生きるの?」
当然だ、と即答しようとした刹那、我の口は動かなくなる。
とある日のことを思い出したからだ。
『──不死身の能力は証明できても、不老は実際生きてもらわないと分かりませんね。意外と百年くらいで没する可能性もありますし、あるいは万年億年と生き続けるかもしれません。理論上は後者の可能性が高いでしょう。もしそうなれば、他のエラーコードの方々はおろか、私の存在が消えた後も、エアルスが滅んだ後もouro6orosさんだけは無限に生き続けることになります』
我が生み出されてまもなく、主から言われたことだった。そのときはあまり深く考えなかった。不老不死という能力にまだ実感が湧いていなかったからだ。
だが、幾度となく死を経験した今なら分かる。否、とうに分かっていたことだが考えないようにしていたと言う方が正しい。
我は永らく恐れている。いずれ訪れるであろう完全なる孤独を。
「ouro6oros?」
「……黙れ……それ以上口を動かすな」
体の震えを気取られないよう細い牙で細い舌を噛む。
すると、小娘は立ち上がり、用具入れの両開きの戸に手をかけた。
一瞬、閉められるのが異常に恐く感じて体を硬直させてしまうが、小娘は逆に戸を限界まで開いた。光が差し込んで、あろうことか我は安堵してしまった。
「あんま話したくなかった感じ? ごめんね」
「……」
踵を返して小娘が離れていく。無防備としか言えないがら空きの背中で、彼女の一つ結びになった金髪が揺れる。乾いた足音が離れていく……と思ったら戻って来て、小娘が用具入れの中に顔をぐいっと入れてきた。
「けどね! 直感を信じて“好き”に一直線、が結局一番楽しいよ!」
「……」
「てか、ちょっと話そ? どうせ暇っしょ?」
「う、鬱陶しいぞ貴様……我のことも籠絡するつもりか? その手には乗らん…………消えろ」
「そっか。でも私たち、あなたが仲間を連れてきても絶対負けないから!」
「……」
「じゃね!」
小娘は旧友にでも挨拶するみたいに手を振って、その場を去って行く。
頭のネジが足りないとしか思えない。平和ボケもあそこまでいけば病気だ。
「…………」
嵐が過ぎ去り、流し台に滴る水音が聞こえてくる。そんな沈黙が空間を支配した。
気づけば、我はテレポートの準備を中断していて、呼吸をすることに専念していた。
我は生きている。
この呼吸を止めても、また勝手に生き返り、この沈黙の中で生き続けるのだ。たった一人で永遠に。いや考える必要はない。今までだってそうしてきた。ヴェノムギア様に仕えていればそれでいい。何も考えずただひたすらに。それが我の──
『──直感を信じて“好き”に一直線、が結局一番楽しいよ!』
小娘の言葉が反芻した。
崩れかけの籠城が瓦解して、見たくもない現実が暗闇と共に我の思考を埋め尽くす。
我は一体なんのために生きている──