這う這うの体
「西尋坊」は大昔の地殻変動による切り立った崖を間近で見る事ができる観光スポットである。その由来は愛憎の果てに崖から突き落とされた西尋坊という僧の名前から名付けられたことから…だそうだ。その場所の映像はTVの水曜サスペンス劇場で犯人を追い詰めるシーンでよく目にしたものである。その西尋坊から南に少し離れたところにある「雌島」。ここは無人島でありながら国定公園で、パワースポットとしても知られていることから、こちらも観光スポットとなっている。無人島である雌島までは海の上に架かった200m程の蒼色の橋を歩いて渡る事ができる。雌島の周囲2kmには遊歩道が設置されており休日の昼間には県外から観光客が訪れたり、近隣住民が散歩のために利用したりしている。
が、、、
夜になるとそこは全く違う顔を見せる。西尋坊の由来をなぞるように絶壁からの身投げが多発しており自殺の名所としても知られている。遠目に飛び込む影が見えていても本物なのか霊的なものなのか判断が難しい程に心霊現象も多発する。海流の関係から流れつかないはずの死体は引き寄せられたかのように雌島に流れつく。朝の7時頃にまた今日もパトカーと救急車が雌島に向かう。身元不明の遺体が見つかったのだ。県の職員は観光スポットに悪評が湧かないように早朝に雌島を回るという謎の業務を任されている。本土と雌島を繋ぐ橋も夜は心霊現象が多発する。霊は数・年齢・時代・性別問わずありとあらゆる種類の心霊現象がこの橋の上で起こる。その中でも島から出ようと橋を渡る際に数十に及ぶ膝から下の無い霊に追われる映像は某Y〇U TUBERを一躍有名にした。
2024年の夏の深夜。俺とAとBの3人は肝試しと称してと雌島に向かっていた。「夜に雌島を時計回りに回ると呪死する」という噂を3人で酒に酔った勢いで試してみようとなったのだ。Aの車で西尋坊近くの駐車場に止め、まずは夜の西尋坊に向かう。自殺を思いとどまるような張り紙があちこちに見られ、時代に合わない公衆電話の明かりが見える。その事実がこの地で多くの自殺者が出ていることを物語る。特に怪異現象は無かったが夜の生ぬるい海風を受け恐怖感が高まってくる。続いて車で雌島近くの駐車場に向かう。降車し橋に到着し、渡り始める頃には3人の口数は恐怖で少なくなっていた。周囲に明かりは一切なく3人の携帯のライトだけが進行方向の橋を照らす。誰かが「辞めようか」と言ってくれれば同意して帰るつもりであったが誰も口を開くことなく橋を渡り切り深夜2時に雌島に到着した。
「時計周りだっけ、反時計回りだっけ?」とBが聞いてきたので、咄嗟に
「時計回り」と今回のみ正解となる呪死するとされている方を答えてしまった。
少しの沈黙の後に3人は時計回りに、上陸して左方向に整備がなされた遊歩道を歩き始める。
ざっざっざっ
3人は一切会話をしていないので足音だけが聞こえている。遊歩道があるので歩きやすい。ただ階段がところどころあり、携帯のライトでは照らせる範囲が狭くそこまで速度は出せていない。すっかり酔いは醒めてしまっていた。
ギャーギャーッ
謎の鳥の声とシルエットが上空に見られる。
10分程歩いただろうか。一歩、また一歩と足を出す度に何故だかどんどん楽しくなってきた。ここは本当に心霊スポットなのだろうか?先ほどお酒を飲んで騒いでいた時よりも、それどころか過去に前例が無い程にテンションが高くなってくる。
「なんかめっちゃ楽しくない?信じられないくらい。」
「分かる!結構歩いているから疲れてるしまぁまぁ眠いけどすっげぇ心地良い!真っ暗だったはずの周囲も明るくなってるよなぁ。」
「うん。なんか笑けてくるな。うっふっふ・・はっはっは!」
3人は夜中2時に心霊スポットの奥深くにいるにも関わらず元気一杯に。そこからは大騒ぎしながら周る。話の中身などは特に無い。ただただ楽しい、気持ちが良いという感情を3人が発するだけ。そして島の2/3程を回った頃に再び3人は無口になっていく。理由は先程とは真逆とも言える。
(もうすぐ1周が終わってしまう。まだまだ周り続けたい。ずっとここに居続けたい。)
というものだった。そしてしばらく歩き、スタート地点となる橋が見え始め1周しきる頃にふと気が付くと友人のAがいない。
「なぁ。Aがいないんだけど気づいてた?」
「あれ?いや、気づかんかった。いつから?」
「いや、分からんけど驚かせようとしてるんかも。うーん、、面倒やけど探しに行くか。」
「だな。ちょい戻るか。」
さすがに車の運転手であるAを置いていく訳にも行かずこれまでと逆となる反時計回りに島を進み始める。実のところ島にできるだけ長く留まりたいという欲求が芽生えていたので長居できる理由ができたことが心底ありがたかった。
しかし、反時計回りに一歩、また一歩と島を進んでいく度に恐怖が増していく。
「な、なぁ…」
「うん、ヤバい。マジでさっきまでと違い過ぎる。」
Bも同様に猛烈な恐怖を感じているようだ。まとわりつく空気が重い。あちこちから殺意のこもった視線を感じる。おかしい…。反時計周りの方が恐怖を感じるなんてそれこそ反対ではないのか?さっさとAを見つけて帰ろうと考える。
「おい!あれ!」
遊歩道から柵を超え3m程離れた海辺にAが倒れている。
「う”、、う”う”~っ」
うつ伏せで下半身が海に浸かっているが服装や唸り声からAであると分かる。明らかに異常事態であるがAを発見でき、すぐ帰る事ができるという喜びの方が大きかった。そしてAの元に行くべく、Bと一緒に柵を乗り越えてAに近づく。その時にAが顔を上げる。
顔がぐちゃぐちゃである。
体型も服装も先程まで一緒にいたAなのであるが、よく見てみると服もズタボロになっており全身汚れに汚れていた。更にAのような物は両腕を使い匍匐前進でこちらに近づいてくる。
「「うわぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!!」」
Aのような物が少し近づいてきて分かったのだが、両脚の膝から下があらぬ方向に、あちこちに曲がっており、ストローの紙袋のようにぐちゃぐちゃになっていた。けして速くはないが確実に這ってこちらに向かってくる。俺は無我夢中でがむしゃらに橋に向かって走る。どういう理屈なのかは分からないがさっきの姿は、Aが西尋坊から岩場に飛び降りた末に雌島に流れ着いた姿なのだと直感的に分かったのだ。脚がぐちゃぐちゃなのは岩場に脚から落ちたのだろう。雌島に来る前に訪れた「西尋坊」。あの時点でAはすでに飛び降りていて俺とBはずっとAの幻覚を見ていたのか?それとも島を回っている最中に時空が捻じ曲がってしまったのかは分からないがAはもう橋を渡れない…帰れないのだと感じた。
俺はBよりも先に橋に着いたので振り返りBの姿を確認しようとする。しかしBの姿が無い。
ずりっ ずりっ
暗闇から這ってくる音が聞こえて来る。走って逃げてしまいたいのだが体が硬直して動かない。Aのような物が追いついて来たのかと思ったが違っていた。それはBの体型と服装をしたBのような物であった。
「あ”っ、あ”っ、ああ”あ”~っ!!」
大きな唸り声を上げながらBのような物も両腕で体を前に運ぼうと匍匐前進をしている。Aのような物と違いBのような物は両脚の膝から下が完全に無かった。それが視界に入った瞬間に走った。200m程の橋をあっという間に走り切りそこで体力が尽きた。意識が途切れるその刹那。橋の方を見てみると遠く暗闇の中で這っている無数の蠢いている体があった。
「おい。兄ちゃん。夏っつってもこんなとこで寝てたら風邪ひくざ。」
50歳ぐらいのおっちゃんの声で橋にもたれかかっていた俺は目を覚ます。すでに日が上がっており辺りは明るくなっていた。昨夜の出来事が嘘のように橋と雌島は神々しくパワースポットとしてその存在を主張している。遠く西尋坊も見る事ができる。そこで30分程はぼーっとしていただろうか、パトカーと救急車の音が聞こえた。先ほど起こしてくれた50歳ぐらいのおっちゃんが橋を渡ってこちらに近づいて来て教えてくれた。
「あー、さっきの兄ちゃん。まだおったんか。雌島に行かんくて良かったな。また西尋坊からの飛び降り死体が流れ着いてたんやわ。儂が通報したんや。」
「知り合いかも知れません。年齢とか服装とか分かりませんか?」
「うん?兄ちゃんは知り合いを探しに来てたんか?そっか。兄ちゃんと同じくらいの歳で青と白のボーダーのTシャツやったな。」
「… あ、それは友人のAだと思います。」
「そっか。それは災難やったな。でも見にいかん方がええで。見られたもんじゃない。」
……30年後。
俺は夜の西尋坊に訪れていた。
あれから毎月のように昼間の西尋坊や雌島を訪れ行方不明となったBを探している。夜に訪れればBに、更にはAにも遭うことが出来る予感こそあったがその勇気が無かった。あの日、時計回りに雌島を周り心地良かったことは麻薬のように俺の心に残り続けている。食虫植物のように甘い蜜で島から人を出さないようなものなのだろう。では何故俺だけが生きて島を出られたのかずっと不思議に思っていた。AとBという親友の2人を失った俺の人生は以後、散々であった。当時付き合っていた彼女と結婚したものの浮気され離婚。相手方に有能な弁護士がついたため財産の多くを持っていかれる。仕事もうまくいかずクビになり、新たな事業を起こすも失敗して借金まみれ。もうどうにかできる方法も無く途方に暮れていた。そんな中で昨夜、不思議な夢を見た。
俺とAが視界の中にいて漆黒の雌島の中を歩いている。何故だかBの目線になっていた事で夢であることは瞬時に判った。あの時の俺と同様にとても気分が良い。逆回りしている時だろう。そしてあの夜の出来事をなぞるようにAが消え、Aを探し、Aのような物を柵の奥で発見する。Aがこちらに向かって這ってくる。夢の中でも俺は柵を越えて先に一目散に走り出した。その時にBは恐怖で腰が抜け動けなかった。Bも這ってAから遠ざかろうとしたがAに両膝下を掴まれた。そしてAが
「行ガ…、行ガナイデグレェ…置イデイガナイデグレェ…」
と言った。しかしそのAの顔はぐちゃぐちゃであり恐怖でBは必死に振り払い逃げた。Bの膝から下はAから掴まれた時に腐れ落ちた。Bはそれから両肘がずるずるになりながら何とか這って俺を追いかけた。橋のたもとまで這ったところで俺の携帯のライトが見え俺に近づいていき
「行かないでくれ!置いていかないでくれ!!!」
と言ったが、俺は走って橋を渡って行ってしまった。そこでBとしての意識が途切れ、俺は目を覚ます。
30年も経ってからあの日に起こった事に関して、欠けていた1つのピースがハマる感覚があった。
生まれて初めて花屋に入り花束を2束買う。雌島のAが倒れていた箇所、そしてそこから少し戻り雌島側の橋のたもとにBへと花束を供えた。そしてその足で西尋坊の上に来ている。下を覗くと上半身しか無い数百の体が蠢いている。皆一様に手を振り俺を呼んでいる。そこはAとBがいるとても心地の良い幸せな世界なのだろう。俺はもう無用となる靴を揃える。
「俺だけ…辛いこっちの世界に置いて行かないでくれよな」
最期の仕事。脚を前に踏み出し体を中空に投げた。