ふわふわ
みなさん、就寝時に欠かせないお供はあるだろうか。
音楽だったりアロマだったり抱き枕だったり…
ただ、ちょっと人には恥ずかしくて言いづらいケースもあるかもしれない。
たとえば、大人がぬいぐるみと一緒に寝てる、なんてこと。
かくいう自分がそうだ。
ハタチにもなって、クマのぬいぐるみを抱きしめていないと眠れない。
小柄な女性ならまだ許されるだろうが、あいにく俺はその対極ともいえるゴツい男。
小学生の頃に「赤ちゃんみたい」と散々からかわれて以来、やめようやめようと思っているのに、ズルズルときてしまった。
抱き枕に代えて試したこともあったが、しっくりこなくて寝つけなかった。
どうやらふわふわな毛の触り心地に癒されることで、眠れるようだ。このクマは生まれてすぐにプレゼントされてからの付き合いというから、完全に眠るときの条件として刷り込まれているのだろう。一人っ子の俺にとってこのクマが兄弟のようなものだった。
さて、そんな俺に度々めぐってくる試練がある。
『外泊』だ。
小学校の体験学習、中学高校の修学旅行は一睡もできず過ごした。
疲労の蓄積により帰りのバスの中で意識を飛ばすのは恒例だ(睡眠というより気絶に近い)。それでも10分もしないうちに目覚めるというのだから、たちが悪い。
宿泊行事となると、朝を迎える度にその日の夜が不安でしかたなかった。
ちなみに、色恋沙汰でのお泊まりは言わずもがなだろう。というか言わせるな。察してくれ。
そして今も、大学のサークル合宿という試練に直面している。
2泊3日の1日目。
観光を楽しんでから宿へチェックイン、風呂を済ませて、ただいま宴会中だ。
食事の皿は下げられ、酒盛りタイムに入って大分経つ。
あわや泥酔かという者も出始めたのを見計らい、そろそろお開きにしよう、という声が挙がった。
俺もまだ慣れないアルコールにやられ、足元と意識がおぼつかない。
隣の席から心配げな声がかかる。
「木下、大丈夫?立つの手伝おうか?」
「いや…」
強がって自力で立ち上がるが、姿勢が定まらずふらついてしまう。
「ちょ、危ないって」
結局、同室の内田に肩を貸してもらった。
俺はデカくてやたら筋肉もついてるから重いだろうに、10センチは背の低いスラッとした内田が嫌な顔ひとつせず支えてくれる。
いくら戻る部屋が同じとはいえ、これほど親切にしてもらえるとは思わなかった。
内田とは同学年だが学部は違い、普段サークル員として以上の付き合いはない。
なのに、人数が予定の大部屋だけだとギリギリ足りず、一室だけ追加した二人部屋にクジ引きで俺達が割り当てられたのだ。
少し寄りかかると、内田の髪が頬をくすぐった。
ものすごく馴染みのある感触だ。なんだっけ。それにしてもふわふわ軽くてセットしやすそうだ。剛毛の俺としては羨ましい限り…などとつまらないことを考えて、霧散しそうな意識をつなぎ止める。
内田の髪に触れてから、眠気が一気に増した気がする…気のせいか。
どうにか部屋へ戻るとすぐにでも寝てしまいたかったが、安い宿なので布団はセルフサービスだ。
内田が敷いてくれると言うので、俺は厚意に甘えて部屋の隅に座り、うつらうつらと待つ。
用意が整ったことを知らされ、感謝を述べながら布団に潜り込む。
隣では内田が自分自身の分を敷いている最中だったが、それを待つことすら睡魔は許してくれない。
申し訳なく思いながら、俺は眠りへと落ちていった。
クマ…クマ…
肌がふわふわを求めるが、触れるのはシーツの滑らかな質感ばかり。
寝返りをうちながら手をさ迷わせていると、目的の感触に出会う。
とても安心する、魔法の柔らかさ。
俺はふわふわを腕の中へ収め、再び夢の中へ潜っていった。
遠く、鳥のさえずりが聞こえる。
もう朝か…でもまだ瞼は重くて開かない。開けたくない。
「クマぁ…」
柔らかな毛に頬擦り。鼻でもすりすり。
なんだかシャンプーみたいないつもと違う匂いがする。でもいい匂い…
ん?
今は合宿中だ。
クマは持ってきていない。
ってことは一緒に布団にいるのは一体…
一気に目が冴える。
腕の中を見ると、内田が収まっていた。
「うわっ!」
思わず叫んでしまったのは無理もないだろう。
状況を把握しようと首を巡らすと、背後に布団がもう一組。窓側にあるそれは俺の寝ていたはずのものだ。じゃあ、こっちは内田の布団じゃねえか。
「…ん、おはよー、」
「う、内田、布団に入っちまってすまん」
「あー、いいよ別に。…それよりクマってなに」
「ふえっ!?」
なぜ内田がクマを知っているのだ。
俺の目はものすごい勢いで泳ぐ。
「えっ、と…相当酔ってたから、全然覚えてなくてだな…」
「木下ってば、クマ、クマって寝言言いながらゴロゴロ転がってきたんだよ。
最初は動物のクマに追いかけられる夢でも見てるのかと思ったんだけど、やたら甘えた声で探してるような動きしてたから気になっちゃってさぁ」
寝言か…。
夢としてテキトーにごまかすことはできるが、昨夜から今にかけてこれだけ多大なる世話と迷惑をかけた相手に嘘はつきたくない。
腹をくくって口を開く。
「その、俺、クマのぬいぐるみを抱いてないと眠れないっつう癖があって…内田の髪の手触りが似てるんだよ。昨日は酔って寝付けたけど、途中で目が覚めてぬいぐるみ探してたんだと思う」
「じゃあ俺がクマ代わりだったってことか。木下がぬいぐるみってギャップあるね」
内田の声音には優しさを感じる。
バカにされなかったことに安堵しながらも問わずにいられない。
「引かねえの?」
「全然!癖もその人の一部でしょ。
よかったら今夜もクマ代わりになろっか?」
「本気かよ」
「昨夜の木下を見てたら、小さい頃、弟に添い寝したの思い出してさ。オレ、ずっと弟の面倒みてたせいか、人に世話焼いちゃうのが癖なの。
だからもっと甘えていいよ」
よしよしと頭を撫でられながら内田の慈しむような声が降ってくる。
なんだかものすごく照れくさくなって、思わずうつむきながら呟く。
「…今夜も、頼む」
「りょーかい♪」
「…ありがとう」
──ヴヴッ
ゆったりとした空気を消すように、短くバイブレーションが鳴った。
モバイルにメッセージが入ったようだ。
サークル全体宛なので、各々で確認する。
どうやら会長が、朝食の集合場所へやってこない二人に業を煮やしているようだ。
「ヤバっ!怒られちゃうよ木下!」
「だな。急がねえと」
先程までの雰囲気から一転、慌ただしく部屋を出る。
朝食会場に向かって走りながら、俺は初めて外泊の夜を楽しみに感じた。
end