謎めいた手紙
唐の時代、一代で財をなした商人が店の後継者選びに悩み
人物鑑定の名人として知られる老人に二人の息子どちらが後継者として相応しいか教えを乞うた。
老人はひとしきり街を巡ってから答えを決めたいと語り結果は手紙で送ると伝えた。
数日後、約束通り二通の手紙が送られてきた。
しかし手紙を開いた商人は困惑する。
長男の名前が書かれた手紙には目玉しか書かれておらず次男の名前が書かれた手紙にいたっては白紙だった。
商人は三日三晩この謎めいた手紙の意味について考えてみたが見当もつかない。
本人たちになら分かるかもしれないと長男と次男にも見せてみたが彼らもまた手紙の意味を理解することは出来なかった。
そこで商人は屋敷の人間を集めて手紙について語り、意味の分かった者には褒美をとらせると言った。
すると下働きの青年が進み出て手紙の答えは当家には無用のものですと二通の手紙を焼いてしまった。
商人は驚きどうしてこんなことをしたのだと問うた。青年は答えた。
「この手紙は歴代名画記にある画竜点睛という故事になぞらえたものです。
梁の武帝に使えた画家として知られる張は安楽寺の壁に龍を描くが目だけは筆を入れませんでした。
人々になぜ目玉を描き入れないのかと問われた張はそんなことをすればこの絵は本物になってしまうからだと答えます。
疑う人々を前にして張は仕方なく龍に目を描き入れると本物となった龍は壁を壊して空へと消えたそうです」
「なるほど。つまり……」
「人物鑑定したというご老人は長男様に目玉を贈りました。
一見すると優れた人物に見えるか肝心な部分が欠けていると暗に伝えているのでしょう」
「それでは白紙の次男こそ描き足す必要のない跡継ぎに相応しい人間ということか」
「残念ながらそれも違います。
そもそもご老人がお二人に会ったその場ではなく手紙で答えを寄越したのは街を巡ってから答えを出すためです。
当家の身代は大きく商いの影響は街全体に及びます。
ご老人は単純な人物の優劣だけでなく街を治めるのに相応しいかまで見据えて鑑定を行ったのでしょう。
そこで思い出して頂きたいのが画竜点睛の結末です。
目玉を描き入れられた龍は安楽寺の「壁を壊して」空へと昇るのです。
次男様は優秀な方ですが、それゆえに他人にも厳しく完璧であるように求められる。
貧しく学のない人足たちが多数を占めるこの街でそうした人物は周囲に疎まれ人心を掴むのは難しいことをこの手紙は示唆しています」
「……まさか二人とも跡継ぎに相応しくないという結果が出るとはな。
一人前の男となるように厳しく育てたつもりだったのだが」
「いいえ旦那様、これはあくまで人物鑑定を生業とする老人の評価に過ぎません。
そもそも他人の評価がどうであれ、私たちはそれでも生きていかねばならないのです。
もしも旦那様がご老人の言葉を真に受けて当代限りと店を畳んでしまえば多くの人間が路頭に迷い街は活気を失います。
それはお二人のどちらが店を受け継いだ場合よりも良くない未来です。
それゆえに私は無礼を承知で手紙を焼いたのです」
人々はまだ年若い下働きの青年が手紙の謎を一瞬で解いたばかりか、ここまで物事を考えていたことに驚きその知恵の深さに感嘆した。
それは後継者候補の長男と次男も同じだった。
二人は互いに目を合わせると父親の前に進み出た。
「父上。我々は店の後継者としてこの者を推薦いたします」
「これまで所詮は下働きの小者と見下していましたが悔しいかな、私より知恵もあり情もある。
若さゆえ至らぬ部分は兄上と私が補佐すれば父上が築き上げたこの店を国一番の商家とするのも夢ではありません」
商人は大粒の涙を流しながら息子たちを抱き寄せた。
「おぉ、今日は何という素晴らしい日だろう。私の後を継がせるのに相応しい立派な若者を三人も得られるとは」
こうして下働きの青年を二代目に迎えた商家は大いに繁盛し多くの人々を幸せにした。
しかしこの逸話が画竜点睛のように故事として記録されることはなく物語はいつしか歴史の闇に埋もれてしまった。
そのため上に立つ者は血よりも人を尊ぶべしという教訓が後世に受け継がれることはなく
愚鈍な世襲政治家は令和の時代にいたるまで今日も私利私欲を貪っている。