52~マンナ~
城下町から煙が立ち上っていると報告を受けた時、本心を言って良いのなら、マンナはすぐに城を飛び出したかった。
だが、王女の護衛を担っている以上、仮とはいえ王女の側を離れるわけには行かず、まずマンナは、王女を緊急避難用の隠し部屋へと連れていった。
隠し部屋では、すでに王妃が付き人や侍女たちと共に籠っていた。行動が早いところを見るに、初めの煙が上がった時点で動いたのかもしれない。
王女を侍女に託すと、マンナはすぐに国王の元へ向かった。指示を受けるためだ。
どんな指示を受けるかは分かっていた。国王が我が子を見捨てるはずがないのだ。
マンナは城の廊下を、わき目も振らず駆け抜けた。すでに城の者たちは異常事態に備えるべく動いており、いつもは静かな城内も、今はどこか緊張感に包まれ騒がしい。
マンナは走りながら、愛用のグローブを手に嵌めた。正しく城を出るのが煩わしかったのか、普段ドレスらしく見せている巻きスカートをはぎ取ると、そのまま三階の窓を突き破り外へ飛び出した。
「開門準備!マンナ・バニール、出る!」
城門の前に集まっていた兵士たちは、突然響き渡った声に何事かと周囲を見渡した。内一人が空を指さし、釣られた兵士たちが、落ちてくるマンナの軌跡を目で追いながら、慌てた様子で場所を開ける。
彼等の中でも素早かったのは、古参の兵士たちだ。
マンナは今でこそ、アイナの乳母で側仕えという立ち位置にあるが、かつて国内外に名を轟かせた高名な魔法師だった。若い者たちは知らなくとも、マンナの活躍を覚えている兵士も少なくない。
そのマンナが門を開けろと言っているのだ。すぐさま指示が出された。
地面に着地したマンナが走ってくると、彼女の勢いを殺さない様、門戸の脇に備え付けられた小さな扉が開かれた。そうしなければ、正門ごと突き破りかねないと知っているのだ。
マンナは魔法師だったが同時に格闘家でもあり、戦いの場においては、敵味方問わず狂戦士と呼ばれるほど恐れられた存在だった。
現在のマンナにそこまでの狂気はない。母となり乳母となり過ごしている内に、彼女の棘は殆ど目立たなくなっていた。
なので、もしも門が空いていなかったとしても、数秒くらいは待てただろう。
城から城下町へと続く道は、得体の知らない者達であふれていた。
城壁を登り、門を破ろうと魔法が放たれる。そんな中にマンナが飛び出して来た。
彼らは黒い装束に身を包み、装束の間から唯一覗く目が、ぎょろりと一斉にマンナに向けられる。
「マンナ・バニールだ!」
一人が高らかに声をあげた。
城門の近くに陣取っていた黒装束たちが、マンナに一度に襲い掛かってくる。
中には逆に距離を取る者や、躊躇している者も何名かいたが、それは先ほどの叫びの意味を正しく理解している者達だろう。
魔法師たちが持つ杖には魔力を溜めておく為の魔石と、魔力を込めるだけで魔法が発動できる術式が予め刻まれている。
いかに先手を打ち魔法を展開するかが勝敗を握る事も多く、古今を問わず魔法師たちに支持されているやり方だ。
もちろんマンナも同様だった。ただ彼女の場合、杖の形をしていないだけのこと。
武器を持たず飛び出してきたように見えてしまうのがいけなかった。
マンナ目掛けて放たれた魔法は、ことごとく術者に跳ね返され、武器を振りかざし襲い掛かってきた者達は、マンナに攻撃の手が届く前に、血を噴き出し倒れた。
銃のような遠距離からの攻撃であっても、弾丸はマンナに届く遥か手前で弾け、近くの味方に当たった。
何をしても彼女に攻撃は届かないし、どれだけ離れていても彼女の攻撃は当たるのだ。
「私は急いでるの。道を開けなさい‼」
マンナが吠えた。その眼光だけで人を殺せそうだ。
彼女が現れ、ものの数秒で十数人もの仲間が倒れた。マンナがにらみを利かせながら歩くだけで、黒装束たちは、一定の距離を取りつつ後退していく。
そんなマンナの前に、一人の男が立ちはだかった。やはり覆面をしている。しかし、マンナと比べても背は低く、だが、体つきを見る限り子供ではなさそうだった。
マンナは男の異様さに気が付き、拳を握り直し構えた。男からは殺気を微塵も感じられないのにも関わらず、濃い血の匂いが漂ってくる。
マンナは目の前の男を睨み付ける。彼は間違いなく手練れているし、現役だろう。ブランクのある自分が相手になるのか、不安がジワリと沁み出す。
けれどやるしかないのだ。
城襲うような連中の中に、こんな手練れがいるのが実に気に入らない。
仮に彼らが国を掌握したとして、豊かになる未来が想像もつかなかった。
「アイナ様の未来に、お前のような者達はいらないの」
背後から爆破音とそれに伴う爆風が吹き抜け、猛々しい雄たけびが聞こえた。城門が破られたのだろう。
だが……いや、だからこそだ。マンナは目の前の男を倒しアイナの元へ駆けつける、その一点のみに集中した。
先に行動を起こしたのは男の方だった。
極めて小声で呪文を紡ぎながら、マンナに向かい駆けだす。マンナはいつもようにグローブに仕込んである魔法を発動させた。これで男の魔法も他と同じようにマンナには届かず、男自身も血を流し倒れるはずだった。
だが、消されたのはマンナの魔法のだった。同時に、稲妻でも落ちたのかと思う程の痛みと衝撃がマンナを襲う。
並みの人間であれば死んでいたかもしれない。お守りを持っていなければ、マンナでもどうなっていたのか解らない。
マンナは随分と久しぶりに、自分がいつも首から下げているペンダントの存在を思い出した。これが最後に発動したのは16年程前だ。
あの時は襲われたアイナをかばい、代わりに魔法を受けたのだ。その後は、己の未熟さを恥じ、訓練に勤しんだものだ。今回も同じようになるだろう。
「化物が……」
男が苦々しく言った。
間違いなく魔法が直撃したのにも関わらず、転ぶどころかふらつきさえしない、マンナはまさに化物と呼ぶのに相応しい。
つい口から突いて出てしまったのだろう。男は唇を噛みしめ、己の失態に冷や汗を流した。
「お国へ帰らなくて良いのかい? 坊や?」
男の発した言葉はオワリノ国の物ではなく、外国の、しかも、執拗なる英知神大陸で広く使われているものだ。外国の手練れとなれば、国内の者相手するのとは訳が違う。下手したら長くなりそうだ。
「私は私の制限をすべて解除する」
初めから全力でやるしかない。マンナは普段は抑えている力を、解放するためのキーワードを口にした。
普段はカールががかった白い髪を、リボンで纏めているだけのマンナだが、本来の姿はそうではない。本来の彼女は、筋肉質だがシャープな出で立ちで、頭に大きな、後ろへカールした二本の角を持つ。
男もマンナを変化させまいとしたのだ。だが、マンナが新たに張った結界が男の魔法を掻き消し、どんな刃も弾も通さなかった。
マンナが自身の制限を解除するキーワードを発する前に、すでに結界を張っていたのだろうが、それがいったいいつなのか、男には全くわからなかった。
打開策を打ち出せず、焦る男にマンナが追い打ちをかける。
「水を、雷を、風を」
それらすべてが一度に男を襲い、男も悟った。
死ぬ気でやらないと、やられてしまうと。
彼の自国ではトップクラスの実力を持つ魔法師だったが、それでもマンナ・バニールは簡単に勝てる程甘くない。狂戦士と呼ばれた彼女の実力は、老いても尚健在なのだと、思い知らされる。
これは、大勢の人々をも巻き込んだ、実に八時間以上にも及ぶ死闘への幕開けだった。
後にこの夜の事件は、オワリノ国にとって最大の転機として歴史書に記されることになる。




