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突き当りにある壁の一部に、入ってきた時と同じく一際苔むした箇所がある。そこに魔力を込めるだけで地上への出入り口は開く。
アートは出入口から少し手前にあった休息所に私を下ろした。先程と同じく自分の上着を床に敷いて、その上に私を座らせ、それから私が渡した魔法具を外すよう言ってきた。
「外に出れば敵に襲われるかもしれないわ。なので、私よりもアートが身に着けていた方が良いわ」
けれど、アートは首を横に振る。
「俺はこう見えても魔法師だ。映し身を出していれば、それほど危険な事もない。アイナが仕掛けてくれた爆薬が囮になってくれるんだろう?その間に外へ出て、転移できる所まで行ければ良いんだから大丈夫だ。それよりも、アイナだ。そんな状態で万が一襲われたらどうする。頼む、アイナが無防備でいるって方が俺は怖いんだ。解ってくれ」
時間をかければ掛ける程状況は不利になっていく。私はアートを説得するのを諦め、彼の魔法具を外した。
「今度は俺が付けてやる」
「え?い、良いわよ。自分で……」
「良いから任せろ」
アートはまず私の胸にブローチを付け、次に耳飾りを、耳の軟骨部分に引っ掛けた。
彼の意外としっかりとした固い指先が耳の淵をなぞり、沸き起こるゾクリとした感覚に、私は奥歯を噛みしめ体を震わした。
辛うじて声を漏らすのは我慢できたけれど、固く噛んだ唇にアートが
「そんなに噛んだら痛いだろう?」
そう言って指を這わす。
「だって……」
その後は恥ずかしくて言葉にならない。アートがニヤリと笑む。
最後にアートはガーターベルトのチェーンを取り付けた。
一度はスカートの中、ガーターベルトに付けようとした。けれどアートは、止まらなくなりそうだからと呟くと、それらを私が彼にしたのと同じように足首に巻いた。
仕上げに私が魔力を込めれば完了だ。魔法具は私を包み結界を張る。
「アート、これを持って行って」
魔法具を外したアートに、代わりに私が渡したのは、私の瞳に被されていた薄く透明な魔法具だ。
「これは発信機になってるの。これをもって建物の結界から外に出れば、きっと私の護衛達が気付いて来てくれる。合流するのも早まるはずよ」
確かにこれ自体が発信機になっており、マンナ達が彼を見つけやすくなるというのは本当。
けれどこれの機能はそれだけでない。 これは映像や音を記録できる魔法具だ。エグモンドおじ様の凶行の証拠が収められている。これを手に入れる為にこれまでの苦労がある。ようやく手に入れた証拠なのだ。
「これ、結構貴重な物だから、絶対になくさないでね。必ずマンナかカク、それから宿にいた男の人覚えてる?ジージールっていうの。彼らの誰かに渡して。これさえあれば軍を動かす理由になるし、私が助かる確率が上がるわ」
素材は柔らかく、割れる心配もない。私はそれをハンカチで包みアートのポケットに押し込んだ。
「分かった。じゃあ、行ってくる。できるだけ早く戻ってくるから、それまでいい子に隠れてるんだ。良いな?」
やっぱり最後は子供扱いなのね。
私、恋人同士みたいな雰囲気でドキドキしていたのにちょっとだけ残念だわ。
「ええ、気を付けて、私もきちんと隠れてるから安心して」
お守りもあるしね。私はお道化て笑う。
一度はアートも立ち上がり、出入り口に向かった。けれど部屋から出る前に戻って来て、私の前に膝まづいた。
「どうしたの?何か忘れ物?」
アートが私の頬に手を添え、壁に頭を打ち付けない様、私の後頭部をかばいながら迫ってくる。このままでは顔と顔がぶつかるなと考えながらも、私は彼を避けようとしなかった。
しっかりと私を捕える彼の黒い瞳から目を離せず、私は吸い込まれる様に、彼の唇に自分の唇を重ねる。
二回目のキスは一回目よりも長かった。
味わうように唇を啄まれ、息を吸うタイミングさえも解らず息苦しさから喘ぐ。
「愛してる、アイナ……愛してるんだ」
「あぁ、私もっ……あっ……愛、してるわ」
けれど味わい尽くすには、時間が足りなさすぎた。
やがて唇が離れ、視線だけを絡ませ合う。アートは名残惜しそうに頬を指先で撫でながら、立ち上がった。
「行ってくる」
頬と唇に彼の感触が残り、私はそっと掌を重ねた。
「行ってらっしゃい」
私は欲情し、潤んだ目でアートを見送った。
私を守ってくれてありがとう。
私を抱きしめてくれてありがとう。
約束を大事にしてくれて嬉しかった。
あなたの入れてくれた紅茶、すごく美味しかった。
お菓子も本当は食べてみたかったの。
私の我儘に付き合って、町を案内してくれてありがとう。
町中で歩きながら食べるって、初めての経験だったの。緊張したけど、とても楽しかった。
時計塔ではとっても素敵なものを見せてくれてありがとう。
あなたのお気に入りの場所に連れて行ってくれた事忘れないわ。
愛してくれてありがとう。私も愛している。
こんな事をしてごめんなさい。
私を許さないでね。私の事、忘れないでね……ってたぶん、我儘が過ぎるわね……ごめんなさい。
私は、アートの背中が見えなくなると同時に、腕に記れた術式をなぞり魔力を込めた。
直後遠くで爆発音が聞こえ、それからやや間を開け、アートが外へ出て行く気配がした。冷たい外の空気が流れ込んでくる。
もう引き返せない。彼を生かす為に、私はやれるだけの事をするだけだ。
私はアートが置いて行った上着を上から重ねて着ると、ワンピースを裾を破いて縛り動きやすくする。仕上げに両手の指を鳴らし、拳を握り肘を後ろに引けば、私はすでに武器を握っていた。
四つに折りたたまれた、五十センチ程の黒い二本の棒。これが私愛用の武器だ。
「さあ、やるわよ、王女様。今まで鍛えられた腕前を、世間様に披露する時間だわ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この辺りからもう少し先のシーンまでを、Adoの「私は最強」という歌を聞きながら書きました。
この歌が(私は映画を見ていないので、この歌の使われ方などは知らないのでイメージとは違うかもしれないですが)アイナの心境にぴったりだなと、初めて聞いた時に感動し、それからずっと聞いてました。
アイナは普段から本心を隠し、囮としての役目を全うする為に生きてきました。(死ぬつもりはないのであわよくば逃げようとしていますが、役目を放棄するつもりはありませんでした)
この場面では、まさにこの歌の歌詞のような事を言い聞かせながら、アートを死なせない為に必死に踏ん張っていたんだろうと思っています。
前向きな歌とは逆で悲しく苦しい思いです。イメージが崩れるかもしれないですが、良かったらぜひ聞いてみてください。




