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「アート、お願いがあるの」



 初めは泣いている理由を誤魔化す為の演技だったけれど、もう今しかない。私は意を決して声をかけた。

 息も絶え絶え、外に出れば血色が良い事に気付かれたはず。だけれどここは明かりがあるとはいえ、十分とはいえず薄暗い地下通路。アートは簡単に騙されてくれた。



「何だ?俺ができる事なら何でもしてやる」



 だから死ぬな。アートは最後の言葉を飲み込み、代わりに私の額に手の甲を当て、それから頭と頬を撫でた。その手つきがとても優しくて、私は幼い頃熱を出した時にマンナが同じようにしてくれたのを思い出す。

 確かその頃はまだジージールとも一緒に遊んでいたわね。

 


「助けを呼びに行って欲しいの」



 魔法での転移はできなかった。何度か試してみたけれど、その度魔法がかき消された。ひょっとしたらだけれど、外から転移で入ってくる事はできても、外部への転移はできない様になっているのかもしれない。

 なので、助けを呼びに行くという事は、つまり、その足で屋敷を抜け出し、転移魔法が可能な場所まで行かなくてはいけない。

 そんな事を毒で苦しんでいる私ができるはずもなく、アートはカッとして声を荒げた。



「アイナを一人置いて行けっていうのか?絶対嫌だ!」



「お願い、冷静に、考えて。私このまま死にたくない。牢屋を、爆破、させれば……はぁはぁ……あなたからも目を逸らせるわ……」



 地上はすでに警戒態勢に入っているはず。捜索は屋敷の中だけでなく、すでに外にまで及んでいるかもしれない。

 この状態の私が足手まといになるのは、誰が見ても明らかだ。私はこのままここに隠れて、アートが一人で助けを呼びに行った方が良いに決まっている。



「この通路は、ハァ、ハァ……代々の王と第一王位継承者しかっ、知らないから、エグモンドおじ様も、知らないの。絶対に見つからない、わ。だから……」



「でも……」



 ギリリ、音を立ててアートが歯を食いしばった。アートの葛藤が痛い程伝わってくる。



「俺は一緒に……」



 私も一緒に居たいな。

 一緒に、そう言われて頭の中で想像が膨らんだ。そうなったらどれだけ素敵な事が分からない。


 今更だけど、あの時一緒に逃げてって、私を遠くへ連れて行ってって言えば良かった。本当に今更だけれど。


 だって風はもう止んでしまったもの。

 


「一緒に…………ここで死ぬ?」



 もしも彼がそれを望むのなら、本気でそれでも良いと思った。それでアートが永遠に私だけのものになるのなら、それも幸福の形の一つなのかもしれないと。


 けれどアートははっとして、顔をくしゃくしゃに歪めた。がくっと膝から崩れ落ち、私の前で両手両膝を付く。ポタリ、ポタリと雫が落ち、石畳の上に黒いシミを作った。

 アートが顔を上げる。涙は彼の頬を濡らし、唇を濡らしている。


 今度は私が、アートに手を伸ばした。腰を浮かし彼の頭を、私の小さな胸に抱きかかえる。



「ごめん、なさい。冗談よ。ハァ、ハァハァ……私もあなたと、一緒が良いわ」



「俺が弱いからか?俺がきっとアイナを、命に代えても守って見せるから……だから」



 そんな事を言わないでくれ、絞り出すような声に、私の胸も締め付けられる。

 私はアートの頭に頬ずりするようにして、首を横に振った。



「違うの。そうではないわ。私ね、あなたとの……未来を、思い描いて、しまったの。ハァ、ハァ、ハァ……あなたと一緒に、生きていきたいって……願ってしまったの。だから、叶わない、ならいっその事って……ごめんなさい」




「………………分かった。助けを呼びに行ってくる」



 苦渋の決断だったに違いない。それでも顔を上げたアートはもう涙は止まっていて、私は彼の頬の涙跡に口づけを落とした。しょっぱい味がした。



「ありがとう」



 私たちはもう少し進んだ先、屋敷中の隠し通路と繋がる小部屋を目指し移動した。目的の出口の近くにあり、私が隠れる場所もある。アートに抱きかかえられながら、道を案内する。

 初めは私も歩くと主張したのだけれど、それについてはアートは頑として譲らす、横抱きにしてくれるという条件で私の方が折れた。


 ついでに、この時アートの顔を元に戻した。


 敵に知られている今の顔よりも、元の顔の方が良いのではないかというのが理由だ。


 後、これは恥ずかしかったから言わなかったけれど、私がアートの顔を見たいというのもあった。横抱きにされている間、ずっと彼の顔を見ていられるのだもの。私が作った顔より、本物のアートを見たいに決まってるじゃない。



「揺れは怖くないか?」



 気分はどうだ?具合が悪い所は? 時折アートはそう尋ねた。彼の口調は甘く、まるで愛しい人を甘やかすような響きがある。それに加え今まで見たこともないような優しい笑顔を向けてくれるから、私はその度に胸が高鳴り、ぞくぞくした。

 私のこれは結局は仮病なのだから、そういった欲求も正常に起こるのが辛いところだ。


 不謹慎なのはわかっているしけれど、本当の恋人同士になったみたいで楽しい。アートの気持ちを考えればそうも言っていられないのだけれど、本当にずっとこのままこうしていたい。

 彼の暖かな腕と胸に抱かれ、ひたすら甘やかされて、私はただ彼の愛に埋もれているだけなんて、素敵じゃない。


 土壇場に来て、一つ夢が叶っちゃったわね。



「何で笑ってんだ?」



 言い方は軽いけれど、彼の眼差しはやっぱり甘くとろけるようで、彼の黒い瞳に映る私も幸せそうに微笑んでいる。

 息は荒く、苦し気に。演技を演技と見破られない様に気を付けながら、私は小さく噴き出すように笑った。



「……だってね、私、今、幸せだなって」



「何言って……いや、そうか。そうだな。俺も幸せだよ。何たってアイナをこの腕に抱けているんだ」



「フフッ……そう、で、しょう?」



「ああ、だから、ここから逃げ出せたらもっと一杯、楽しい事しようぜ。今度こそ、兆しの花を一緒に見に行こう。それから国中の色んな美味いもんを食べて……俺もダンスを習おうかな。そうすれば一緒に踊れる」



「好きぁ、ように……体を動か、せば良いのよ。けれど、素敵ね。きっと……楽しい、わ」



「ああ、だからしっかり隠れて待ってろ、すぐに助けを呼んでくるから」



「ええ、待って、るわ」



 通路の終わりが見えてきた。私は心の中でさよならを言って、彼に頬をすり寄せた。







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