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「おい! 誰か! 逃げられたぞ!?」



 遠くから声が聞こえてきた。野太い男の声だ。バラバラと複数の足音と共に、声も増えていく。



「頭に知らせたほうが……」


「トップに知られたら大変だぞ!」


「探せ!」



 爆破するなら今かしら。



「大丈夫だ」



 アートの、私を抱きしめる腕に力がこもる。私は大丈夫よ。言いたくて、彼の胸におでこを付けて、頬を摺り寄せる。



 もしも逃げた事がエグモンドおじ様に伝われば、私たちが見つかるのも時間の問題だ。だってエグモンドおじ様もこの通路を、きっと知ってるもの。


 王だけが持っている見取り図だけれど、他の者に全く知らされていないわけじゃない。こうして私が教わっているのだから、エグモンドおじ様も先王から教わっている。


 だからこそ、お父様も見せてくれたのだ。隠し通路を利用され追い詰められたら、知らないのでは対処しようがないから。



 これからどうしよう。



「あれ?これ、誰のだ?」



 アートの戸惑う声が聞こえた。顔を上げれば、アートの鼻先に見覚えがある小さいものが手を伸ばし止まってる。


 映し身だ。しかもこれはジージールの映し身だ。何度も見ているし、何より、この映し身はジージールに瓜二つなのだ。間違え様がない。



「私を探しに来てくれたの?」



 嬉しさから声が心なしか声も弾む。


 そう、いつもの様に私を心配して、あの煙の中で私を怒鳴りつけた時の様に。


 私はジージールの映し身に手を伸ばした。私はここよと、私を探しているはずのジージールに教える為にだ。


 けれど直後、私は現実を突きつけられる事になる。



「え?」



 ジージールの映し身は軽やかな身のこなしで私の手を避けると、アートの頭に乗った。


 気のせいかしら。だってジージールは私を妹の様に可愛がってくれて、私にとっても兄も同然の存在で。だから何かの間違いよね?


 一度目はそう考えられた。けれど二度三度手を伸ばしても、その度にジージールの映し身は私から逃れ、アートのどこかしらに隠れた。


 まるで、私なんて知らないと言わんばかりに。アートの元へお使いに来たのよと言わんばかりに。



「アイナ?誰の写し身か知っているのか?」



 そう尋ねるアートは気まずそうで、私は本当の事を言うべきなのはわかっている。けれど言いたくない気持ちの方が勝ってしまった。

 私は拗ねているふりをしながら



「さあね、でもあなたを探しているみたいね」



「俺を?じゃあ、兄貴のかぁ?でもいつものと随分雰囲気違うんだよな」



 アートは映し身をよく見ようと手の上に乗せた。映し身も素直にアートの手の中に納まり、大人しく腰かける。アートがいくら見ようと、目の前の写し身とたった一回、後ろ姿を見ただけのジージールとを結びつけるのは難しいはず。



「わっ」



 座っているのに飽きたのか、映し身がアートの周りを飛び回り始め、それがいつかの光景と重なる。


 昔はああやってジージールの写し身と遊んだな。


 映し身に自我を宿すのは難しい。けれど長く顕現している映し身であると、蓄積される記憶と共に自我に芽生える事もあり、ジージールがこの映し身を作り出してもう十年近く経っている。


 私の事も覚えてくれていると思っていた。寂しい……ちょっとだけね。



 映し身は命令を忠実に実行する。間違いなく映し身の目的はアートであり、ジージールが王子を探している。


 アートを、王子を助けたいって、きっとそういう事なのよね、ジージール?


 つまりは私と一緒。ジージールと私は同じ気持ちなのね。



 私は溜息交じりに笑みを零し、飛び回る写し身に伸ばしかけた。けれど、どれだけ求めても、写し身は私に触れられるのを良しとしないだろう。私は止めて手を下ろした。



「アイナ?どうした?」



 それまで写し身を目で追いかけていたと思っていたのに、彼はしっかり私を見ていたらしい。アートが私の手を取る。心配そうに、けれど優しく微笑むアートが首を傾げ、私の反応を待っている。


 私の些細な変化に気が付いていくれるあなただから、あなたがどれほど私を見てくれているのか分かる、私は王子(あなた)を生かそうする皆の望みに、素直に頷ける。


 決意とは裏腹に涙が溢れ、私は涙が自然と零れ落ちる前に目を細め、眉間に皺を寄せた。歯を食いしばり、まるで痛みを堪えているかのように、彼に演技して見せた。

 堪えきれず微かに漏れるうめき声は、静かな隠し通路では何物にも遮られず、私の荒々しい気遣いがと共に通路に響いた。



「まさか、どこか痛むのか?」



 まさか怪我をしているのか。アートが素早く上着を脱ぐと床に敷き、そこに座るよう私を促した。遠慮しても仕方ないと分かるから、私も大人しく座る。



「どこが痛む?ずっと我慢していたのか?」



 これが演技だなんて、アートはこれっぽっちも疑っていない様子だ。真剣に私を心配してくれている。良心は痛むけれどそれ以上に嬉しいなんて、私もなかなかに歪んでるわね。



「我慢してたわけ……じゃないの。違和感があったけど……大したことないって、おもっちゃって……それで」



「症状は?魔法で何とか出来ると良いんだけど……」



 アートがお互いの額をくっつけて体温をはかる。口の中を覗き込み、脈拍をはかる。



「ゴメン、捲るよ」



 私の袖をたくし上げ、異常が出ていないか肌を撫でた。



「んっ……」



 ぞわりとした、決して不快ではない感覚が私を襲う。



「痛いか?」



「いえ……だいじょぶっ」



 恥ずかしい。声が上擦る。



「大したことないわ。ちょっと息苦しいだけ」



 アートは舌打ちし、剣呑な様子で階段の上を睨み付けた。上の彼らが何かをしたと考えているに違いない。

 王の子の中には毒殺された者もいる。王の子がどうして一人しかしないのか、アートも知っているのね。


 私を殺したがっていた彼らが、何もせずに牢に閉じ込めた理由がジワリジワリと苦しめて殺す為。そう言われても違和感はないし、寧ろ納得できるだけの過去がある。


 王の子の遺体は憎しみで溢れていた。


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