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「これからどうする?」



 アートが私に尋ねた。


 まっすぐ私を見つめるアートの目は憂いを帯びて、私の答えが分かっているかのよう。


 本当はね、アートが私に何を言って欲しいのか、分かっているの。

 一緒に逃げようといえば、アートはすべてを捨ててでも、私と一緒にどこまでも行ってくれたと思う。


 けれどね。あんなに仲の良い兄を危険が迫る場所に捨ててきた事実を、アートは決して忘れないでしょうし、どれだけ恋しくても家族に会いに行けないと思い知らされる度、彼は私に隠れて耐える様になる。


 そうなったら、私はアートにすべてを捨てさせた事が許せなくなる。そんな気がするの。



 王子()を憎んでいるけれど、同じくらい(アート)を愛しているから。



 アートがいけないのではないの。問題は私。


 おそらく私は、アートを傷つけるしかできない。憎しみで歪んでしまった心が、どうあってもあなたを拒む。受け入れられないの。



 だから私は彼の思いに気付かないふりをする。



「とりあえず、隠れ家に行きましょ。そうすれば、いずれ誰かと合流できるでしょう?」



 そうか、アートが短く頷いてほんの一秒、二秒程度目を閉じた。辛そうに見えたのはその一瞬だけ。


 再び目を開けたアートはやけに晴れ晴れとしていて、笑顔でこう言った。



「空からだと目立つし、地上を行った方が良いよな」



 提案事態には賛成なのよ? 私もそう思うし。ジージールじゃあるまいし、こんな時に空を飛んでいたら、狙い打ちにされちゃうもの。


 けれどね、抱き上げる必要なくない?



「きゃあ!」



 アートが突然幼い子供によくする、いわゆる片手抱っこをするものだから、私は落とされまいとアートの頭にしがみついた。


 だってね、振り落とさそうでびっくりしたの。今も心臓バクバクしてるし、突然の事態に驚いただけなのよ?


 胸がざわざわして、ちょっとだけ苛立つの。ふざけないでって言いたいのに。


 私は唇を噛んだ。



「振り落とされない様にしっかりしがみ付いてろよ」



 言うや否や、アートは私を抱き抱えたまま屋根から飛び降りた。声がちょっと笑ってる。


 その際風がフワリと吹き、私たちは軽く浮遊するかのように、誰もいない裏路地へと下りた。



「なっ……ちょっ……レディっな、なんて……」



 何を考えているの?ちょっと待ってよ。年頃のレディになんてことをするの?


 顔を真っ赤にしながら訴えるが、まともに声にもならなず、口をぱくぱくさせるだけで終わる。


 自分から抱き付くのと、突然抱き付かれるのは似ているようで全然違う物だ。

 こんな成りでも私は16歳。立派な大人の仲間入りする年頃で、気安く触れて良いものではないの。


 訴えたところで声にもならないのだからと、地上に降りる頃には、私はアートの腕の中で大人しくしていた。




「北に古い教会があるの、まずはそこに向かうわ。場所分かる?」



 王族が緊急時に避難する隠し通路、隠れ家が城下町にもいくつかある。その中にはエグモンドおじ様でも知らない隠れ家もあり、その一つが町の北にある古い教会だった。王と王太子にしか知らされない、お母様でも知らない秘密の隠れ家の入り口が。



「知ってる。その前見た。石造りの苔むした教会だろ?」



「そう、それ。では、まずは大通りに出ないと」



「了解」



 上空から町を見渡した時に、ここが町のどの辺りかは大体見当がついていた。この道をまっすぐ行き、突き当りを右に行けば、大通りに続く道へといけるはずだ。


 アートもきちんと見ていたようだ。私が言う前に走り出した。よりにもよって、私を片手抱きしながら。



「お、おち、おち……下ろしなさい!一人で走れるわ!」



 落ちそう……というのはない。本当の所、片手抱きの割に、アートの腕はしっかりと私を支えている。後は、私が彼の肩にしっかり掴まっていれば、落ちる心配はない。


 ない……けれどもだ。間違いなく私が走った方が早い。



「その方が早いし、襲われた時対処も出来るでしょう!?」



「……わかったよ」



 アートが小さく舌打ちし、しぶしぶ私を下ろす。


 何でそんなに残念そうなのよ? アートってば、いきなりキャラ変わり過ぎじゃない? 


 どうしたの?……いえ、本当に……何が?


 アートが私の手を握り、グッと引き寄せた。肌と肌とが触れ合いそうな程近づき、アートが私の耳に唇を寄せる。



「じゃあ、アイナ……」



 私の正体が周囲に漏れない為なのだろうけれど、なにせ近い。囁きと共に漏れる彼の吐息が耳にかかり、ぞくぞくする。



「手を離れない様にしっかり握って。俺に付いて来て」



 声変わりを過ぎた低い声が耳に触れる。反射的に「ん……」と声が漏れ、返事と勘違いしたアートが満足そうに頷いた。


 アートは片手を私を繋ぎ、いつでも魔法を打ち出せるようにだろう。もう片手に杖を握った。


 慎重に確認しながら先へ進む。


 でもね、アートよりも、私が前を進んだ方が良いのではないかって、思うの。


 だって私近接戦闘得意だし。アートってどう見ても後衛じゃない?


 私の訴えに、アートは渋い反応を見せた。真っ向から否定しない辺り、私の言いたいことは分かっているみたい。



「私、強いわよ?」



 分かっている、アートが頷く。



「でもいくら強くても、君は女の子なんだ」



 握った手にアートが唇を寄せた。触れるか触れないか、生暖かい息が手の甲にかかる。


 まるで紳士が淑女にするように。けれどどこか俗っぽく。



「俺に守らせろよ」



「っ……」



 私は言葉に詰まって何も言えなくなった。


 嬉しくなかったといえば嘘になる。照れているのか、自分の提案を無下にされ怒っているのかなんて私にもよく分からない。

 けれど間違いなく私の顔は熱を持ち、まともに彼の見れず俯いた。



「あなたのお兄様の代わりに?」



 その代わり出たのはこんな残酷な言葉だった。



「ああ、そうだよ」



 ひやりとした声と共にアートが離れた。今度は彼の背中しか見えない。



「喜ぶかと思ったんだ」



「こんな時に何を……」



 淑女として扱えば、私が大人しくなるとでも思ったのかしら。



「一緒に花を見る約束を果たしたくて……多分山へ行くのは無理だと思ったから」



 私は息を呑んだ。


 今じゃない。先日の中庭での話だ。一面白い花で埋め尽くされ、あまりの美しさに言葉がでなかった。けれど今となっては一番思い出したくない、忌まわしいあの日だ。



「あんなに見たがっていたから、きっと喜んでくれるって……」



 ああ、駄目よ。私、気付いてしまったわ。


 誰もがあの光景に感動し目を奪われていた中、あなただけは気付いていたのね。


 私が真実に絶望していた時、よりにもよってあなただけは、私を見てくれていたのね。



「やっぱり、自然に咲いているのじゃないから、駄目だったか?」



「……止めましょう? 今は逃げるのが最優先よ」



「そう、だな。急ごう」



 私は彼に手を引かれ大人しく付いていく。いつでも武器を取り出せるよう、準備をしながら。






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