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今から城へ? 冗談でしょう?
城へ送ろうと言われ、まずは思ったのはそんな言葉だった。
今、エグモンドおじ様に連れていかれるわけにはいかなかった。もしそうなったら、きっとお父様とお母様が悲しむだろうと、結果が目に見えていた。
「さっき、マンナに連絡しましたの。ここで待っていないと、マンナが困ってしまいますわ。それに私、パンフレットを買うの、まだ諦めてませんの」
焦りから適当に口に出してしまった言い訳は、ここに残る口実としてはかなり苦しい。何せ、突っ込み所しかない。
「何でそうなるんだ。好きなものに情熱をかけるのは大事だがな、まずは身の安全だ。お前は次期国王となる身だ。パンフレットは後で、誰かに任せれば良いだろう」
エグモンドおじ様の言い分はごもっともで、反論の余地などない……普通なら。けれど今は非常事態の真っ只中。反論の余地がなければ作れば良い。
「自分で買うから良いのではないですか。おじ様は女性を口説く時、他人に任せるのですか?」
「それとこれとは違うだろう?」
「似たようなものですわ。他人が買っても、自分で買っても手元に残る物は一緒です。ですが、劇場で観劇した後、感動に浸りながらパンフレットを買うという体験は、自ら赴かなければできません。女性を口説き落とし、デートできたとしても、自分で口説かなければ、彼女の態度の変化、ふとした時の表情を見れませんわ。おじ様」
「なるほど……納得した。けれどだ。よく考えて見ろ。この混乱の中、劇をすると思うか?」
ぐぬぬ……さすがエグモンドおじ様。
一番痛い所を付いてくる。
理解できるわ。だって、私も全く同じ意見だもの。
けれど、もしもこれが、本当に町中を巻き込んだ火事ならの話で、まだエグモンドおじ様の話の隙を突くことはできる。
ただ、今それを口に出すべきか否かは別問題だ。
こうなった以上、せめて私は、本来の役目くらいは全うすべきだとも思ってきている。
「それに、また襲われたらどうするつもりだ。刺客があれだけとは限らないんだぞ?だから、私に君を城まで送らせてはくれないか?」
口で言いくるめるのは完全に失敗した。
せめて私にマンナくらいの説得力というか、ゴリ押し力というのか、そういった能力があればこんな場面でもなんとかなったのかしら。
もっとしっかりお勉強しておくんだったわ。
エグモンドおじ様の手が私に伸びてくる。
私の役目を考えるのなら、この場合、私は大人しくエグモンドおじ様について行くべきだった。
そしたらその後、アートはどうなるの?
芽生えた一抹の不安は、咄嗟の行動に現れる。
私はつい、エグモンドおじ様の手から逃れ、一歩後ろに下がってしまった。
エグモンドおじ様がハッとして、目を軽く見開いた。
「……子供ではないのだから聞き分けなさい」
エグモンドおじ様の言葉に怒気が孕む。
状況はすこぶる悪い。もしかしたら、#気付かれたかもしれない__・__#。
だって、この状況で劇を見たいだなんて。子供じゃないのだから。
腹をくくるべきか、私はグッと奥歯を噛みしめた。
けれど、私が拳を握ろうとした、まさにその時だった。
「大変不敬とは存じますが……ここは私にお任せ下さいませんでしょうか」
突然、私とエグモンドおじ様との間に、アートが割って入ってきた。
いくら彼が本物の王子といえども、彼の意識は下位の貴族。王族に逆らうのは恐ろしいかったに違いない。顔が見えなくとも、声色に必死の覚悟が滲む。
「君はアイナの護衛だな?部が過ぎる。下がれ」
「アイナ様は私が必ずお守り致しますので、どうか……」
フンッ……エグモンドおじ様が不機嫌に鼻を鳴らし、部屋の外に出ていった。
もしかして、見逃して……くれた?
エグモンドおじ様から放たれる独特の気配に、ゾワリと全身鳥肌が立った。
魔獣と対峙した時によく感じたそれによく似ているけれど、それよりも、もっとねっとりとした薄暗い気配。
「…………っ」
もう猶予はない。確信した私はとっさに、アートの腕を引き窓から逃げようとした。
けれど、やはり私は焦って冷静じゃなかった。
自分たちが囲まれている事もすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
窓の前で武器を構えた覆面が、ぴっと私に杖の先を突きつける。
私一人なら間をすり抜け逃げる事もできたかもしれない。けれどアートを連れたままでは、それも難しい。
自分が背を向けたとたん、逃げる素振りを見せた私を、エグモンドおじ様が意地悪く笑った。
「まるで私が君に害をなすかのような態度だな。不愉快だよ」
不愉快だと言いつつも、エグモンドおじ様は笑みを浮かべている。
その表情はいつものエグモンドおじ様とはまるで違っていて
「おじ様……信じたかったのに……」
いつもの優しい笑みを浮かべ、大事な身なのだからと叱咤してくれるおじ様が、本当のおじ様なのだと思っていた。好きだった。それなのに……
「どうして……」
泣きたくて堪えるから、声が震えた。
「#お前で最後__・__#だ…………やれ」
最後の一言に息をのむ。
覆面集団の指示役が手を上げ、それを見たアートが私を小さく抱き抱え、覆い被さった。
ーーバン!ーー
ーーダン!!ーー
ーーバン!バン!ーー
魔法を弾く激しい音と衝撃がアート越しに伝わってくる。
「本当によろしいので?」
「ああ、予定と違うが問題ないだろう。部屋のすみに置いてある荷物は綺麗に片付けておけ」
「承知しました」
こんな奴ら、私が蹴散らしてやる。そう思うのに、体が動かなかった。
「おじ様……」
呟きと一緒に涙が零れた。
「杖がなくても魔法は使える。助けが来るまでは、俺が守るから」
アートの言葉にハッとする。
そうよ、私戦わなくてはいけないのだわ。その為の王女だった。それをすっかり忘れて、憎い相手に守ってもらうだなんて、無様ね。
けれど……それでも……考え方を変えれば、王子を盾にするなんて気持ちの良い物かもしれない。
だからこのままアートの腕の中にいても良いかもしれない。
きっとすぐにマンナかジージールが来てくれる。その時まで持てば良い。
最悪の事態を免れさえすれば……。
期待とは裏腹に時間は無情に過ぎていき、攻撃はなおも激しくなっていく。
「ふふっ……フハハハ!」
エグモンドおじ様が声高く笑った。
「助けなら無駄だぞ、お前の蝶なら私が握りつぶしたからな」
「な!?」
蝶って私が飛ばした?
潰されたということは、知らせが届いていないということで、つまりマンナは何も知らず、今も城で私の帰りを待っているということだ。
「マンナ……」
「ではな、アイナ。向こうで兄弟たちと無事出会えるのを祈っているよ」




