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「もちろん、ここに残るわよ。だって外は危ないもの」



 私は答えながら、窓に近づいた。

 三階建ての宿の二階。高台にある宿からの景色は、たとえ二階からでも町並みを見下ろせる。晴れた日には遠くキンリ山脈を望めるらしい。といっても美しい景色も、今の私には無意味。


 けれども、まったく見えないともなると、話は違ってくる。



「どうして?」



 窓の外は景色がけぶり、視界が悪い。さっきまではそんな事なかったのに。


 背中がゾワリとした。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 もしかして間違えた?ドキドキしながら、記憶をたどる。



 演習に参加した時使用する爆薬をくすねて、夜寝不足になりながら作ったのは、今より幾分か昔の事で、使わないとしまい込んだのを取り出したのは、昨日の夜だ。


 ここに来る途中、ジージールの耳元に小声でささやきながら彼の注意を逸らし、地面に落とした。その後、体の向きを変えながら、こっそりと足で踏みつければ準備は完了。時間が来ればごく少量の煙だけが出てくる。けれど、それだけ。

 目に見える火も煙のほとんども魔法で見せている幻覚。多少混乱するだろうけれど、持続時間もほんの数分間の代物。


 ジージールならきっと一目で見破る。彼にとったら子供騙しな魔法具のはず……だと思っていたのに。



「これって、まさか本物の煙?」



 もしかして火薬の分量を間違えた?それとも、こっそり読んだ本の記憶を頼りに作ったから、魔法式を書き間違えたとか? けれど、もしそうなら……



 本当なら、私はアートを拘束したままジージールを外に追い出し、その隙に外へ逃げるつもりだった。


 誰の手の届かない場所へ。誰も知らない私になって、本当に自由になるの。


 私だってそのくらい望んだって良いじゃない。


 これまでずっと我慢してきた。


 姫として求められる姿を保ってきた。国の為、お父様とお母様の為。


 だからもう良いでしょ?好きなように生きてみたって良いでしょ…………って、そう思ってしまったの。




 大変な事をしてしまったわ。




 私は窓にかぶりついて身をのりだし、外に出ようとした、その刹那、視界の端に暗い影が私を目掛け伸びてきたのを捉えた。

 ゾワリと肌を撫でる殺気に、私は咄嗟に窓から飛びのき距離を取る。向けられた、白く光る刃に気が付いたのはその後だ。


 魔獣と対峙した時、一瞬の判断が生死を分けるなんて、よく聞く話だ。

 私も咄嗟の場合に生き残れるよう、繰り返し訓練を積んできた。体に染みつく程、繰り返し、何度も、無意識に体が動くようになるまで。


 私の体は飛び退きながら、全身に魔力を巡らせ、腰に手を当てた。武器を取る為だ。

 染みついた習慣から戦闘態勢に入ったのだけど、いつもならそこにあるはずの愛用の武器がない。

 当然よね。私は今、町娘に扮しているのだから、それらしく見える様に、武器は隠してあった。



 一瞬の判断が生死を分ける。生き残った人達はそう口にする。


 あの時、後一歩でも前に踏み出していたら、咄嗟に逃げていなければ、諦めず刃を振るっていなければ、自分はあの時きっと死んでいた。


 私も同じ。

 もしも不用意に窓に近づかなければ、武器をいつもの場所に仕込んでいたら、きっと追い詰められる事はなかったはず。


 私の脳裏を死が過る。けれど、私はまだ死んでいない。私はまだ、足掻けるはずだ。


 侵入者の腕がしなり、私に向けて振るわれる。体が硬化した今の状態なら、少なくとも致命傷にはならないはず。攻撃してきたところを捕えれば、付け入る隙もある。


 私はある程度の怪我を覚悟し、痛みに備え歯を食いしばった。けれども、予想に反して刃は私に届かなかった。



――バキッ!――



 突然侵入者が椅子で殴られ、態勢を崩した。よろめいた所に、至近距離で放たれた魔法弾が頬骨を砕く。



「え?」



「大丈夫か!?」



 歯を見せ食いしばる彼は、興奮して息が荒い。彼の手と足に縛り付けられたままの椅子が折れている。



 剣の打ち合いをあんなに怖がっていたのに。戦闘には慣れていないのかと思っていたのに。


 こんな時は来ちゃうのね。



「あ、あり……」



 一応助けてくれたのだから、憎い相手でもお礼を言わなくてはね。姫として以前に、人として当然言うべきよね?



 これだけ王子に対して嫌悪感を持っていても、私を助けてくれたアートを格好良かったとか思ってしまうし、ドキドキしてしまう。


 それともこれが、吊り橋効果とかいうやつで、惚れ直したとか、そんなのではないのかしら。


 でも、どっちにしたって、どうでも良いことよね。



「……あ、ありが」



 どうでも良いの。けれど素直にお礼の言葉が出てこない。そうこうしている内に、今度は部屋のドアから新たな侵入者が現れた。



 ジージール? 本当に結界を張ったのよね?


 それにしてはポンポン侵入者が入って来すぎじゃないかしら? 後で覚えてらっしゃい。



 新たな侵入者は、床で伸びてる彼と同じく暗い色の装束に身を包んでいる。


 ドアに背を向けるアートでは、たぶん間に合わない。



 今度は大丈夫。間違えないわ。



 幸いにも侵入者は、倒れている仲間を見て、一瞬動きが止まった。

 また、室内に二人もいるものだから、どちらが私か判断する時間もかかってしまった。


 とはいえ、一秒にも満たない程のわずかな時間だった。


 その僅かな時間が、私に床を蹴り一足飛びで侵入者の足元に潜り込み、腹部分のたわんだ服を掴むだけの隙を生んだ。

 侵入者が息をのんだ次の瞬間、私の小さな拳は、その細腕には似つかわしくない力で、腹の急所を抉る。

 侵入者が潰れたアヒルの様な声で呻き、床に崩れ落ちた。



「そんな……馬鹿な……」



 あなた方私を舐めていたのね。


 表に殆ど出ず大事にされているお姫様だって、世間の評判を信じてくれて、侮ってくれてありがとう。



「すげぇ……」

 


 杖を構えたものの、何もできず固まったまま、アートが思わず零した呟きは、床で悶える彼と同じ感情が見え隠れする。



 私は胸の前で腕を組み胸を張った。



「だから言ったでしょう?私、体力には自信があるのよ?」



 だから山道を行くくらいわけないの。自信たっぷりに言い放つ。今と何の関係があるのかと言われれば、それで終わりだった。


 けれど、アートは一瞬キョトンとした後に、目を瞬き、



「ふ、ふふっ……」



 笑った。あの日みたいに笑った。



「すごいな。はははっ……そりゃ山道も付いていくって言うはずだ。あの時は断って悪かったよ」



「そうよ。私ちょっとすごいの」



 そうよね、あれから一か月とちょっとしか経っていないもの。変わっているはずがないのよね。



「ふふっ……ふふ……」



 私もつられて笑う。


 かわってしまったのは、私だけ。認めたくないけれど、これが現実なのよね。






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