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「外で何が起きているのか確認してきて」
誰に向けられた命令なのか。言わずともジージールは私を振り向いた。困惑が見て取れる。
「何の為に、この部屋を魔法で守っているの?こういう時の為でしょう?何が起きているのか分からなければ………………ね?」
「……分かった」
「お願いね」
ジージールは渋々頷き、外へ出ていく。
私はというと、締まるドアをジッと睨み付け、聞き耳を立てていた。
――パタン――
ドアが閉まり、閉ざされた空間に私とアートの二人きり。
ジージールが駆け出す足音が聞こえてくると、ますます外界は遠く、二人の距離が近く感じる。
アートが椅子から腰を浮かした。けれども私はすかさず
「何でも良いから、ジッとしてて……」
私が切った縄は、彼の右手を右足だけ。抵抗する気があれば、縄を自身で解く事も、逃げる事も出来はずだ。けれども、アートは私に言われた通り、大人しく座り直した。
「いい子ね」
言いながらアートと目が合う。今はまるで別人のような容貌だけど、雰囲気は間違いなく彼のもので。
どうしてそう思うのかはわからないけれど、その彼にじっと見つめられ、私は落ち着かない気持ちになった。
けれど、躊躇している時間はない。
私は振り切るように、ワンピースのポケットからブローチを取り出すと、それを彼の胸元に付けた。
次に私は人目をはばからずスカートを捲る。アートが見ていてもだ。恥ずかしがっていては、それこそ何もできなくなってしまう。
晒された素足に、アートが慌てて顔を背けた。
「何をしてるんだよ!?今、それが……」
「喋らないで」
ジージールが聞いているかもしれないから。盗聴していないとは限らないもの。
そう。今の私の行為はマンナやジージール、お父様やお母様にも内緒だ。もしもジージールが盗聴していたとしたら。ジージールが異変に気付き戻ってきたら。おそらくこんなチャンスは二度ともう来ない。今しかないのだ。
我ながら無茶だと思う。アートは何の説明もないまま連れてこられ、明らかに異常な状況でじっとしていろと言われる。
彼がどんな気持ちでいたのか。この時の私には想像もできなかった。
ただアートが私に言われた通り口を閉じ、しんぼう強く私の指示を待っているのを見て、ただ安心しただけだった。
ガーターベルトのチェーンを外すと、鎖がシャランと音をたて、ドキッとする。
今の音、ジージールに聞こえなかったかしら。…………急がなきゃ。
それを今度は、多少緊張感を孕みながら、アート足に巻き付ける。両足に。
仕上げは耳飾りだ。耳に引っ掛けるだけのもの。自分の髪に隠れた耳から、耳飾りをむしり取った。
私は――大人しく座っているアートの足の間――椅子に膝を乗せ、反対にアートは背もたれに背中を押しつける。
向かい合う私たちの距離は一層近づき
「動かないで……」
私は彼の耳に触れ、耳の淵の固い部分を指の腹でなぞった。
アートがビクッと体を震わし顔を背け、結果、私に突き出される形になった耳が、見る間に赤く染まる。
素直で分かりやすい反応は、とても可愛らしくて、ただただ辛い。
アートの耳に耳飾りを付ける。これで終わり。すべてではないけれど、私がいつも身に着けている魔法具をアートに渡せた。
とはいえ、いくら魔法具といっても、このままでは子供の玩具と大して変わらない。
これらの魔法具は、私を守る為にお父様とお母様が用意してくれたもので、すべて連動しており、魔法具を一つ発動させれば、互いに効力を高め合いながら、体に沿って結界を展開する仕掛けになっている。
発動できるのは、私だけ。お父様もお母様も、マンナだってこれを扱えない。私だけが、これを魔法具として扱える。
つまり、これをアートが身に着けている限り、彼が、私の庇護下にいると証明できるというわけだ。正し、万人に対してではなく、私を取り巻く王子の秘密を知っている者達への証明だ。
今、彼を正面から見る勇気が私にはない。今、目が合ったら、きっと私は泣いてしまうはずだから。
魔法具を起動する為に、魔力を込める。たったそれだけ。本当にそれだけだ。
私はたった今付けたばかりの耳飾りに、唇を寄せた。
「ん゛……」
アートが拳を握り、ギリリと歯を食いしばる。きっと怒ってるのね。
私はフッと息を吹きかける。すると、三回だけ、連動している魔法具が淡く点滅した。これで完了。どんな時も魔法具がアートを守ってくれる。
それだけを確認して、私はアートに背を向けて立った。
「逃げたければ、早く逃げて。一応この中はジージールが結界を張っているから、外よりは安全だし、その内誰かが見に来るでしょうから、ここに居たければ……」
その時、私の指先を遠慮がちな加減で、触れるものがあった。
それは嫌に熱くて、触れ合う指先が痛い程で、振り払いたいのに振り払えなくて。心まで痛くて、私は目頭が熱くなる。
「ア……の……姫様は?」
名前、呼ばれかると思った。……びっくりした。
そんなはずがないじゃない。自分に言い聞かせて目を閉じて、拳を握る。
自分が息を吸う音が聞こえてくると、熱が引き、私の中に静けさが戻ってきた。




