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朝食後、ネノスの所へ行く為に着飾っている時の事だ。
「ねえ、聞いてくれる?…………本当はこんな事、言いたくないんだけどね……」
私の髪をすいてくれている侍女に、私はさも言いにくそうに切り出した。
「私、ネノスのスケジュールどうにかならない?ってマンナにお願いしたの。そしたら、それはネノスの付き人の仕事で、私ではどうしようもないっていうの」
「はい……そうでございましたか」
侍女の反応はいまいちだ。
ネイノーシュのスケジュールは彼の付き人が管理する。極々当たり前の事だ。私の不満は理不尽極まりなく、侍女も、どう返事をしたら良いのか分からないのだろう。
まあ、当然ね。
「それはそうよねって、私も理解できたのだけれど…………それでちょっと思ったのだけれど、ネノスってスケジュールに余裕がなさすぎじゃないかしら」
「姫様はお寂しいのですね」
「そうなのかしら……そうね。きっとそうね」
もちろん、そうでなければ四度も脱走しないわよね。ちゃんと答えてくれて嬉しいわ。
「私がマンナにスケジュールの調整をお願いしたら、だいたい何とかなるのに。あの付き人、アルテムって、弟だからって適当な仕事をしてるんじゃないかしら」
頷きながら、侍女は丁寧に髪を結わいていく。
私の話を聞いていたマンナが、わざとらしい咳ばらいをした。
「姫様、お寂しいのも解りますが、ご婚約者殿は姫様とご結婚した後の為に、覚えなければならない事が多いのでございます。姫様と遊んでいる時間がないのは当たり前でございます。昼食は一緒に取られているではありませんか。今はそれで充分かと存じます」
「ネノスが忙しいのは理解しているわ。でもね、何でもかんでも、詰め込めば良いってもんではないでしょう?マンナもそう思うから、たまぁ……に私がお願いした時は、予定を調整してくれるわけだし……」
たまにでございますか?マンナのため息交じりの呟きが聞こえてくる。
「それに今、ネノスがやっている事なんて、貴族なら躾けられていて同然な、基本的な事ばかりじゃない。ネノスは貴族よ?お家では貿易業も営んでいるのだから、世界情勢にも詳しいし、それほど根を詰める必要はないと思うの」
「失礼ですが、現在ご婚約者殿が学ばれているのは、貴族の基本的な部分ではありません。姫様が幼少期からコツコツ学ばれてきた王族としての教養でございます。それを短期間でなさるのですから、姫様のおっしゃるようにはまいりません」
「あら、ネノスは優秀よ。それにさっきも言ったけど、ただやれば良いってものではないでしょう?疲れていては効率も下がるのよ。きちんと休息息抜きが必要よ。彼に休息の時間はあっても、息抜きの時間があるようには思えないわ」
「姫様の知らぬ所で、きちんと休んでいらっしゃるはずです。心配する事はありま……」
「まあ!最近のマンナてイジワルね。ネノスが息抜きするのに、私と会いたがらないはずがないわ」
「姫様、もうその辺りにしてくださいませ、他の者たちに聞かれたら、誤解を生んでしまいます」
「あら、誤解だなんて……」
私は鏡越しにニヤリと笑みを浮かべた。マンナは私の不敵な笑みを見て、両手をキュッと握る。
マンナが私の異変に気かついた。何を言い出すのかと、待っている。
そう、私はお父様とお母様に直談判した内容を、まだマンナには話していない。私が真実に気が付いたとしても、マンナは協力してくれないと思ったから。
なので、ここからはアドリブで、私に付いて来てもらわないといけないの。頑張ってね。
「実は朝食の後、お父様とお母様に、ネノスの付き人を変えてもらうようお願いしたの」
マンナの顔色が変わる。表情に怒気を孕み、やや目を眇め、鏡越しに私を睨み付ける。
「姫様……それはどういう……私は何も聞いておりません」
マンナってば怖い顔。近頃は頻繁にそんな顔をしているわね。
そうよ、ちゃんと私を叱ってね。私はあなたがいないと暴走するのだと、ここにいる面々に焼き付けてね。
「マンナはどうせ反対するでしょう? でも、お父様とお母様は分かってくれたわ」
私は鏡越しにマンナの目をしっかりと捕え、頷いた。得意げな態度は崩さないまま、ごく自然に見えるよう合図を送る。
「慣れない王宮暮らしは、何もネノスだけではないもの、弟のアルテムも同じはずよ。彼もきっと大変だったと思うわ。私より年下の身ながら、兄の付き人なんて。それに先日の事件もあるわ。なら、私の婚約者に相応しい付き人が必要だと思うでしょう?」
さあ、どうかしら。今の会話を全員がちゃんと聞いたかしら。
私の髪を結っている侍女は、マンナと私の間に挟まれ、萎縮している。ドレスルームで服を選んでいる侍女たちは聞こえないフリをしているが、時折、視線をこちらに向けている。
マンナが事情を把握していなかった分、私たちの間に漂う緊迫感は本物に近いはずだ。マンナが取り乱した瞬間なんて本当に珍しい。正し、ほんの一瞬の事なので、はっきり目撃したのは私ぐらいかもしれない。
マンナを出し抜いたような気がして、実に気分が良い。
「姫様のおっしゃる通りでございます」
マンナが頭を下げた。
それは我儘だと私を窘める時、マンナが頭を下げる事はほぼない。
この光景を目撃した者で、珍しい物を見たと、思わない者などいないに違いない。私ですら、今後見る機会はないのでは? と思っているくらいだ。
「もう決定事項よ?」
私の勝ちね。私は表情で語る。
私はすでに、マンナを見ていない。勝ち誇ったように侍女たちに視線をやり、彼女たちに見せつけている。
侍女たちがマンナを見やり、彼女らが見せる驚きの表情の中に、ジトリとした視線が一つ。
賽は投げられた。きっと動き出す。
そんな予感ともに、背筋を寒いものが走った。




