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「アイナ?具合はどうかしら?」



 お母様が部屋を訪ねてきたのは、日が傾きかけた頃だった。


 長い黒髪を綺麗に結い上げ、シンプルだけれど、先端に白く輝く宝石が付いたかんざしを差している。お母様が身に付ける装飾品はそれだけだけれど、お母様の黒髪は光の加減で七色に輝き、いつだって綺麗だった。



「初めから何ともありませんわ。すぐにケムリンをしましたし……」



 しまった、と思った。

 その時の状況を詳しく聞かれれば、ジージールが姿を表したと話さなくてはならず、そうなれば、彼は処罰されるかもしれない。


 だって、彼の役目はそうじゃないもの。私が叱られるだけなら、良いのだけれど。



「そんな顔をしないで……ジージールがあなたを助けてくれたと聞いて安心してるのよ。彼にあなたを任せて良かったって」



 お母様はベッドに腰掛け、私の頬に手を当てた。



「ジージールに感謝をしてるの。もちろんお父様も同じ。あなたが無事で本当に良かったって思ってるのよ」



――コンコン――



「あら?誰かしら?」



 傍に控えていたマンナに目をやった。マンナも知らないようで、小さく首を横に振る。



 侍女がドアを恭しく開け、頭を下げた。



「私も仲間に入れてはくれないか?」



 突然の訪問者の正体は国王陛下、お父様だった。もちろん。娘の部屋を父親が訪ねるのに問題は何もない。ない、けれどもだ。



「まあ、お父様ったら。先ぶれを寄越してくださらないと。私にも準備というものがございますのよ」



「それはすまなかった。アメリアがいると聞いてな、今なら構わないかと思ったんだ」



 お父様が本当に悪かったと思ってるのか、疑問が残る余地がある。お父様は首を傾げたものの、顔面には笑顔が浮かび、口調もどこか軽い。


 それでも私の心にほんのり、暖かなものが灯る。


 王政を敷く我が国において、国王は多忙を極める職業といえる。激務といっても良い職務の合間を縫って、お見舞いに来てくれたのだから、嬉しくないはずがない。



「それは、もちろん……お仕事がお忙しい中、お顔を見せてくださるのはもちろん嬉しいのですけど……ずっと寝ていましたから、頭もボサボサですし、格好も……」



 もちろん、寝間着のまま。人前に出るには勇気のいる姿。


 問題はお父様ではなく、私がこの姿を晒すのが嫌という所なのだけれど、お父様はそこをイマイチ理解していない。



「お前十分素敵だよ。自信を持ちなさい」



「あなた、そういう事ではありません。少し、デリカシーというものを学んでは如何です?」



 さすがお母様は分かってらっしゃる。


 お父様はちょっ…………とだけ、デリカシーにかける所がある。見目は確かに格好良いけれど、王様で、権力者でもあるけれど、女心を分かっていないお父様。


 お父様とお母様は恋愛結婚だって聞いたのだけれど、いったいどうやって、お父様はお母様を口説き落としたのかしら。



「お前は良くて、私はダメというのが今一理解できん……他の男がそうでも、私は特別だろう?な?」



 お父様が首を捻り、お母様に尋ねる。



「私に聞かれても……」



 お母様は澄まし顔のまま、ツンと顔を逸らした。



 全くその通りね。その答えはお母様ではなく、私に聞くべきだったわね。



「アイナ、私は特別だろう?な?アメリアだけなどとは言わないよな?」


 

「…………」



 もう、知りませんわ。そう答えるのも面白そうだけれど



「アイナ?」



 お父様の顔が情けなく歪むのを見て



「フフッ……はい。お父様は特別ですわ」



 お父様がベッドに――お母様の座っているのと反対側に――腰掛け私の頭を撫でた。次にお母様が、その次はお父様が、という様に二人が入れ替りで私を頭を撫でる。

 穏やかな笑みを湛え、私を見ている。あるで赤子にそうするようにだ。



「……何ですか?二人して……」




 私、立派なレディなんですが?


 見た目通りの歳ではないんですが?


 ねえ、髪、更に、グッチャグチャになってない?


 ちょっと恥ずかしくなってきたかも……




「私、子供ではありませんし、立派なレディですのよ?それなのにこんな……や、やめ……」



「フフッ……アイナは可愛い可愛い私の子、それで良いではないですか」



「そうだぞ。お前は世界一可愛い、うんうん……」



 文句を言っているはずの私の声は小さくて、言われているはずのお父様とお母様は何故か笑顔で。



 もしかして私、揶揄われているのかしら?


 だって、私はお父様とお母様の本当の子供じゃないもの。




「あ……あのっ」



 私が言いかけた、その時、お父様がお母様に目くばせをした。一瞬の事だった。


 お母様が頷くと、二人とも急に神妙な面持ちになるから、私の心臓が嫌な音を立てて、耳が詰まった様な、周囲の音がくぐもって聞こえてきて、私は何も言えなくなってしまった。



「これを……お前に……」



 お父様が上着のポケットから、掌に納まる程度の小袋を取り出した。




 それは表面は大小さまざまな、歪な鱗で覆われ、四角い革袋の両サイドに、同じ材質の紐が直接縫い付けられている。

 口部分は丁寧に折り畳まれ解けないよう、こちらもしっかりと縫い付けられている。巾着の様に紐を使い絞らなかったのは、革が固すぎたためだ。


 使用されているのは、アルペリムースという海に生息する怪魚から作られる革で、皮の断面は、宝石が詰まっているかのように見えるのが特徴だ。分厚く、とても硬く、水にも熱にも強い。

 滑りにくく、とにかく丈夫であるという事から、剣の柄の部分や履物、服飾やバッグなどにも使用されている。


 原料となるアルペリムースが用心深く獰猛であるが故に、非常に手に入りにくく大変高価だ。革単体でも大変貴重といえるが、このアルペリムースの革の最大の利点は、魔術との馴染みが良いという所にある。


 魔獣と呼ばれる生き物は魔術との相性が良く、それらからとれる素材は魔術具として加工するのに大変重宝される。その中でもアルペリムースは特に馴染みが良いのだ。






 私は喉を鳴らし息を呑んだ。

 真剣な雰囲気の中で差し出されたこれが、ただの袋でないのは明らかだ。



「これはお守りだ。アイナを守ってくれる魔術を施してある。たとえ、他をなくしても、これだけはなくしてはいけない。必ず、肌身離さず持ってなさい」



 私がお父様から受け取ったお守り袋は、一般的なお守り袋よりはるかに重く重厚感がある。

 お母様がお守りを持つ私の手を、両手で包み込んだ。



「あなたが困った時、必ず助けになるはずです。良いですか?常に持っているのですよ?お風呂も寝る時も……必ず……必ずあなたの助けになります。誰にも渡してはいけません。あなただけがこれを持てるのです。良いですね?」



 お父様とお母様のあまりにも鬼気迫る雰囲気に呑まれ、私は言葉を失った。



 今日、あんな事があったから、お守りを用意してくれたのかしら……これたぶんすごく高いやつ……よね?



 もう三つも防御のお守り付けているのに。もう一つ、しかもこんなにごついの


 でも、それくらい心配してくれた……ってこと、よね?



 これから襲い来る襲撃への恐怖と、私の立場への寂しさが全くない、といえば嘘になる。けれども私はお父様とお母様の気持ちが嬉しくて、ただそれだけで、喜びから体が振るえた。



「はい……ありがとうございます」



 ジワリと目頭が熱くなる。私は満面の笑みを浮かべた。


 











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