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「休憩にしよう」
ネイノーシュを指導していた兵士、コーキンが告げたのは、模擬戦を初めてしばらく経ってからだった。
いくら模擬戦とはいえ、使用するのは刃を潰しただけの、それ以外は実際の剣とは何ら変わりない代物で、ネイノーシュも疲労感を滲ませている。
アートがネイノーシュから剣を渡されよろめいてしまったのは、その重みがアートが想像していた以上のものだったからだ。普段、武器を持っての訓練などしないアートにとって、それは予想外の重さだったのだ。
ネイノーシュはそんなアートを「貧弱者め」と言って笑った。
アートも意識すれば、この程度の重さではよろめかない。ネイノーシュも解っていた。けれど、このような軽口は二人にとって、正確にいえば、兄弟らにとっては日常の風景だった。
アートはネイノーシュにタオルと飲み物を渡すと、剣を置くため、僅かな距離だが、ネイノーシュから離れた。
日常的なやりとりと、側に兵士がいるという気の緩みが、兄を守るという己の立場を忘れさせた。
結果、ネイノーシュに被害は及ばなかったものの、アートは王族の一員になるというのが、どういう意味を持つのか身に染みるはめになる。
控室として使っている棟から兵士が全員で来てきた。
訓練だろうか。アートは彼らを見送った後、ネイノーシュの元へ戻った。その時、コーキンから王弟のエグモンドがもうじき到着するのだと聞かされた。
ネイノーシュが首を傾げる。
「そういえば昨日お前がそんな事を言っていたな。でも午後からではなかったか?」
ネイノーシュの言う通りだ。昨日の夜の時点では、エグモンドの訪問は午後からだった。
予定の変更が公けになったのは、今朝の早くの事だ。
急遽決まった、同盟国の要人の訪問の為に、予定が変更され時間が繰り上がったのだ。
たかが王女の婚約者はもちろん、一介の兵士が詳しい事情を知る由もなく、コーキンが言った
「上の事情でしょう」
という言葉に、二人はそうでしょうとも、と頷いた。
王弟殿下が現れたら、剣を下ろし礼を取らねばならないだろう。この時アートが考えていたのは精々このくらいだ。
なので、何の前触れもなく、パリンとガラスが割れる音が訓練場に響いた時も、単純に驚いただけだった。
コーキンがネイノーシュを庇うように、己の体を盾に、近くにいた兵士たちもネイノーシュを囲い周囲を警戒しているを見て、血の気が引いた。
「連絡通路!上に誰かいるぞ!」
兵士の一人が叫んだ。
ネイノーシュは兵士に守られている。アートは兄を横目で見やると、すぐに魔法で体を浮かせ飛んでいった。
「ダメだ!アート!戻れ!」
後ろでネイノーシュが必死叫んでいる。だが、それは聞けない。アートは指に嵌めていた杖を元の形に戻し、握った。
兄貴には指一本触れさせない………アイナの為にも……絶対に守らないといけないんだ。
「そこで何をしている!?」
不埒者がいると思われた連絡通路に、彼女が、男と一緒にいた。
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彼女は俺の何かと問われれば、俺は知らない人だと答えなければならないだろう。
他ならぬ彼女がそれを望むのだから。
一目惚れだった。
これまでの人生で初めて味わう、強烈で色鮮やかな衝撃に襲われ、俺の全てが彼女に支配されたかのような感覚に陥った。
背は低く、歳より幼く見える彼女。
はしゃぐ姿が可愛らしくて、妹と同じくらいの見目の彼女に、俺は、邪な気持ちを抱いた。
だが、こんな日はもう二度と来ない。次はなんて約束したが、果たされる日は来ない。
だがらこそ自制心が働いた。
それなのに、兄が彼女と結婚するなんて。
また、会う事になるなんて。
二回目に会った時、彼女は全く違う装いで、あの時と同じように――だが、全く違う雰囲気で――踊っていた。
俺とは言葉を交わさず、俺を拒絶して。
彼女は変わってしまった……いや、これが本来の彼女なのかもしれない。
彼女は王女なのだから。
俺が出会ってしまった彼女が何者だったのか、答えは出ない。
だが、それでもだ。
俺は、今もなお、彼女に支配されている。




