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15

 次の日の朝、私は訓練服に身を包むネイノーシュに対して、腰に手を当て向かい立っていた。


 私は怒っているのだと見せつける為に、口を堅く結び、目を眇め睨み付ける。



「まさか今日もだなんて、聞いてませんわ。すでに昨日訓練をしていたではありませんか」



 半分、というか殆ど本気。


 昨日、マンナから聞いたので、今日のネイノーシュのスケジュールはもちろん把握している。



 ちょっと酷すぎよね。


 彼がスケジュールを組んでいるのではないのだから、これは完全に八つ当たりなのだけれど、こうも時間がないのでは、文句の一つも言いたくなるのが人情ってものよね。



 昨日、午後の授業がなくなったネイノーシュのスケジュールが調整され、戦闘訓練に向かうと知ったのは、昼食を一緒にとっている時だった。


 一緒にお茶をと言った私に対し、申し訳なさそうに訓練所に行かなくてはならない、とネイノーシュが告げた。



 その時の、そして今の彼の態度が、まるで小さい子供の我が儘を諌める様に見えるのは、きっと私の気のせいね。


 だって私たち同い年じゃない。


 見た目が幼く見えても、私は16歳なのだから、紳士たる者、レディとして扱うのが当然だと思うの。



「申し訳ございません。ですが、これもあなたの隣に立つためです。今しばらく辛抱下さい」



「分かっております。でも……それではいつ、二人っきりになれるのですか?」



 えぇ、本当に。


 いったいいつになったら、打ち合わせができるのかしら?


 その場しのぎの恋人の演技なんて、いつボロが出てるか分かったものではないし、私も安心できない。



「機嫌をお直し下さい。愛しい姫君。あなたの女神がごとき笑顔が、どうか私の物であって欲しいと願わない日はありません。それとも分かっていて、私を魅了しておられるのですか? ……悪いお方です。愛の奴隷となった私を哀れと思うなら、どうか、姫君に触れる幸運をお恵み下さい」



 触れるか触れないか。


 そのくらいのタッチで、ネイノーシュが私の両頬にそっと手を添えた。そのまま顔を近づける。



 キスをされると思った。虫唾が走る。



 ネイノーシュとキスをする自分のビジョンが頭に浮かんで、その瞬間、彼の後ろに控えるアートと目が合った。



 とたんに、首から熱がゾワリと這い上がり頬を染め、私は思わず息を止めた。



 胸が苦しい。



 でもね、私、逃げないわ。


 やり通すと決めたのだから、このくらいで根をあげていられないの。


 覚悟は決まているの。



 ただ、ただ一つだけ、どうしようもない事もあってね。



 キスする時って、どんな顔をすれば良いか分からないの。



 生まれてこの方、恋をしたことがないものだから、色んなカップルを観察してきたわ。


 でもキスって凄くプライベートですからね、盗み見するのもはばかれて、ちゃんと観察出来た事がないの。


 恋人と極々プライベートな部分をくっつけるのだとしても、好きな人相手なのだから、きっとうっとりとするのよね……たぶん。



 私、うっとりする演技の時は、いつもケーキを思い浮かべてるのだけれど、キスなんて特別な行為の時も、同じで良いのかしらって思うの。


 だけれど、分からないからといって、これを避けるような真似は、姫歴16年のプライドが許さない。


 分からないなら、気合でどうにかするまでよ。



 私は頭の中で早口で呪文を繰り返す。


 ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ、これはケーキ、ケーキ、ケーキ、甘くて美味しいケーキ、ケーキ、ケーキ……



「姫……」



 ネイノーシュが耳に覆い被さる髪に触れるか触れないかのきわどい口付けを落とす……



 …………フリをした。



「打ち合わせが必要ですか?」



 ネイノーシュが私の耳元で囁いた。


 本当に小さな声で、唇も動かさずに言うものだから、活舌はすこぶる悪かったけれど、聞き違いではない。



 常に受け身でのほほんとしているお花畑かと思えば……どうして、ちゃんとわかっているじゃない。


 王子ごときが生意気な事を言わず、大人しく守られていれば良いのに、と思わなくはないけれど、それでも、相手がある程度の事情を把握している方がやりやすいのは確か。




 ケーキ、ケーキ、ケーキ、フルーツが山盛りの甘いケーキ




「もう、そんな事ばかり言って…………でも、許して差し上げますわ。その代わり、今度私のお庭でお茶を一緒してくださる?そろそろ一人でティータイムは飽きましたの」



 ネイノーシュが悪戯な笑顔で胸に手を当て、礼を取る仕草を見せる。



 昨日の紅茶は美味しかった。ふとそんな事を思い出した。


 甘い香りとすっきりとした味わいの、アートが入れてくれた紅茶。



 もう一度飲みたいと思ったけれど、この男と飲むにはぜいたくが過ぎるわね。




「畏まり…………」



 彼は言いきらぬ内に動きを止め、目を見張り、瞬いた。笑顔が消え、今度はうやうやしい態度で頭を下げた。



「御意のままに」



「あら、どうしましたの、急に。あなた、私の恋人から、家来にでもなるおつもり?それでは寂しいじゃありませんか」



 ネイノーシュはフッと小さく噴き出し笑顔を浮かべた。



「できるだけ早く時間を作ります。それまでは大人しく待っていてください」


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