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8


 豪華絢爛な城の一室、宛がわれた部屋で、ネイノーシュがベッドに腰かけ仰向けに倒れた。



「さすがに、家のとは大違いだな。寝心地が全然違う」



「服に皺が寄る。寝るなら着替えた方が良い」



 お茶の用意をしながら、アートが言った。このままでは本当に着替えを出しかねない弟に対し、ネイノーシュはいらないよ、と答え起き上がった。


 ならばせめて上着くらいはと、アートはネイノーシュに上着を脱がせると、皺にならない様丁寧にハンガーにかけ、クローゼットに仕舞った。

 それから一息つきたいであろう兄の為、紅茶を入れ、カップをニ客と茶請けのクッキーをサイドテーブルに置いた。



「ありがと」



 いつもながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる弟に苦笑しつつ、ネイノーシュは礼を言った。



「どうも」



 アートも笑いながら答える。



「これどうしたんだよ」


「お茶もクッキーも家から持ってきた。まだあるよ」


「クッキーだけか?」


「日持ちしないのは無理だったけど、他にも種類あるから」


「やり、さすがアート」



 ここまではいつもの、よくあるやり取りだった。二人の間には朗らかな空気が漂う。アートが表情を曇らせ、気まずそうに切り出すまでは。



「あ、兄貴さ……」



 アートがそう切り出した辺りから雰囲気が変わった。アートはそれまでと同じように笑顔だし、答えるネノスの表情にも変化は見られない。けれども



「何だ?」



 答えるネイノーシュの声色は間違いなく、低く緊張感を孕んでいる。

 いつもなら続きを急かすネイノーシュが《何だ》と言ったっきり黙っている。中々切り出さないアートに対し興味がないのか、それとも待っているのか。


 アートは喉ぼとけを、音を立てて上下させた。



「今日はゴメン、俺、つい姫様のことを……」



「あぁ、あれか。まずくない……とは言えないが、ま、大丈夫だろう」



「でも、明らかに不敬だったし、これでもこの話がダメになったら……」



「その時はその時だ。それに嫌な話だが、最後に物を言うのは金だ。その点において、うちは問題ないだろう。本業は貿易だし。領地もいざとなったら返納すれば良い。今のところ問題なく運営できるんだ。王家も受け取り拒否しないだろ」



 貴族の地位がなくともやっていける。サラリと言ってのけれるのは、実際に経営に携わっているネイノーシュだからこそだ。どちらかというと領地経営に重きを置いており、本業は次男のセオドアが手伝っている。貴族に執着しない所をみるに、ネイノーシュも貿易業の方に興味があるのかもしれない。


 だが、現状のままでは、本業から遠ざかっていくのは間違いない。



「兄貴はこのままアィ…………姫様と結婚するのか?」



 アートは自分が持つカップに口を付け、紅茶を飲むフリをしているが、姑息な小細工など兄にはバレているのだろうと解っていた。


 もちろん、アートの緊張はネイノーシュに伝わっていた。

 あえて普段通り振舞おうとしているが、目が合わないし、せわしなく動いているのが、返って不自然だ。アイナと言いかけ息を整えたのも、しっかりネイノーシュの耳に届いていた。



「んーそうだな……」



 山から野菜を取り戻ったネイノーシュ(あに)達が()()()()()を訊ねても、アートは町を案内して別れた、としか言わなかった。様子も普段通りで、寧ろそれが何かあったのだろうと思わせた。


 あの日彼に何があったのか。正確に言うならば、アートの感情面に何が起きてしまったのか。


 はっきりと見て取れたのは、婚約の話が両親から切り出された時だった。


 昔から言い聞かされてきたネイノーシュ自身は、ついにこの時が来たか、としか思わなかったが、アートの動揺は明らかだった。


 その時の様子を思い出し、ネイノーシュは溜息を吐いた。



「する……んだろうな。昔から決まっていた事だ」



「昔?」



「知っていたのは兄弟では俺だけだったからな。アートが知らなくても無理ない。でもお前がまだヨチヨチ歩きの時にはもう……全部決まっていたらしい」



「そんな前から………………兄貴はそれで良いのか?」



「そうだな、思うところがないわけではないが、メリットの方が大きいからな。こんな身分でも一応貴族の端くれだ。領地の為にも精々コネを作って役立たせてもらうさ」



「何も兄貴が犠牲になる事ない」



 お前が代わりになりたいのか、言いかけてネイノーシュは口を噤んだ。


 残りの紅茶を一気に煽り、席を立ち背を向ける弟を、ネイノーシュは苛立ちにも似た複雑な気持ちで見つめた。

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