6
マンナにしては珍しく慌てた様子で駆けて来た。私とネイノーシュの間に立ち、《申し訳ございません》と言う。
私には《大丈夫ですか?》と言っている様に聞こえた。
「ネイノーシュ様、ここは姫様のお庭で、姫様の許可なく立ち入りを許されておりません。いくらご婚約者様と言えども、無作法が過ぎるのではありませんか?」
「入り口で、私なら問題ないと言われ、そのような場所とは存ぜず入ってまいりました。大変申し訳ございません」
そうなのだ。彼を通したのは門番であり、彼は誹りを受ける言われはない。それに私に近しい者達が素通りであるのだから、私の恋人で婚約者の彼が通れるのは当然の様に思えた。
この場合無作法なのは、突然間に入り込み言いがかりをつけるマンナの方だ。ネイノーシュもそれを言いたいに違いない。
本当なら私がマンナを諫める所だろうけれど、私はただ彼女の背中に隠れ、息を吐いた。
1,2,3……
目を閉じて心の中で数を数える。そうすれば、心乱れた時落ち着くと教えてくたのは、ジージールだったろうか。
何にせよ、マンナのおかげで、突然現れた彼に乱された心を、落ち着かせる時間ができた。
4,5……
これから彼、アートは付き人としてネイノーシュと一緒に城に滞在するのだとすれば、私はいつでも彼に会えるが、同時に彼の目に晒されることになる。
ネイノーシュの恋人として傍にいる私を。夫婦として寄り添っているふりをする私を。それから、きっとネイノーシュに憎悪をぶつけてしまう私を、彼は見てしまうだろう。
こんな場所まで付いてくるのだから、彼らの兄弟仲は決して悪くないはずだ。
ともすれば、私に向ける笑顔が消える所じゃない。きっと今度はアートが私を、悪意や軽蔑と言った感情を持って見る様になるに違いない。
それは…………嫌、だな。
でも、ネノスに憎しみをぶつけないってのも、絶対無理な話。
本当なら、私が仲の良い兄弟として、彼と一緒にいられたはずなのに。それがどうして、憎い男と結婚する羽目になり、愛した男にそれをずっと見られるなんて。まるで拷問みたい。
でも。良く考えれば、逆であるよりずっとマシね。
それにすべてが解決したら、私なんてお役御免なのだから、本当の家へ帰れるかもしれない。ちょっと前までは、知らない人たちばかりの家に帰るのはどうなのかしらって思っていたけれど、彼がいるなら話は別。
私たちは兄弟だもの。ずっと一緒にいられるのではなくて?
そうよ!それだわ。
それでは、気合を入れて罠を考えなくて行けない。私を殺したいなら、人の出入りが激しくなる今はチャンスだから。絶対に動くはず。
黒幕を捕まえれば、私はもう王女じゃなくなる。
そうして終われば、アート一緒に遊べるし、屋台のお菓子を奢る約束も果たせる。
もう一度、鐘の塔に上って、あの景色を一緒に見て、それから今度こそ例の山に連れて行ってもらって、野菜を取りに行く。だって……わた、し……アートと…………同じ……?
嫌な予感がして、私の思考はそこで途切れた。
「え……」
本能がそれ以上考える事を拒否しているのは、思い出してしまったとある事実が、私にとってこの上なく不都合だからだ。
心臓がバクバクして、上手く息が吸えない。自分の息を吸おうとする音が煩くて、私は思わず怒鳴りそうになった。
「…………かれましては、少しでも早いご回復を……」
不意にネイノーシュの言葉が耳に届き、私はハッとして口を閉じた。
どんな会話をしていたのか想像がつく台詞。私が具合が悪くて休んでいたとか言ったのだろう。私はネノスの台詞の途中で、マンナに声を掛けた。
「私は大丈夫ですから、下がりなさい、マンナ」
「姫様、ですが……」
「下がりなさいと言ったの。聞こえなかったかしら?」
私の強い物言いに、マンナは驚きつつも、一礼すると黙って私の後ろに控えた。
意地でもこの場には残るつもりらしい。でもそれで良かった。マンナがいなかったら、今の私は、私自身の暴走を止められなかったと思う。
私の為に汚れ役をやらせてしまったのだから、しっかりと私も主人の務めを果たそう。
「マンナの無作法は、私を思うがあまりの暴走ですの。私が代わりに謝りますわ」
私は胸に手を当て、軽く頭を傾ける。これに慌てたのはネイノーシュだった。
「滅相もございません。私なら大丈夫だと言った兵士の言葉の意味をもっとよく考えるべきでした。そうすれば、先にお伺いできたのに、怠ってしまいました。落ち度は私にございます」
「あら」
私はクスリと笑ってみせた。
「いつも通りもっと砕けた態度でいてくれないと。恋人にそんなに畏まれては、私寂しいですわ。そう、木の上から私を助けて下さった時の様に……ね?」
ネノスが目をぱちくりとさせ瞬いた。変わった自身の姿と、先程の私の様子から気付いていないと思っていたのかもしれない。
実際、気が付いたのはついさっきなので間違ってはいない。
「あ、の時は……状況が特殊だったと言いますか……それは、その……ご勘弁ください」
「そう、なら仕方ないわね。マンナ、あのソファーを片づけて、椅子とテーブルを用意してちょうだい。私もっと彼とお話ししたいの」
本当は顔をも見たくない……と言いたいところだけれど、先程より、少しだけ、ほんの僅かだけだが、彼と一緒にいたいと思ってしまっている。
それが前向きな感情からきた言葉ではなく、真実を知るのは恐ろしいのだけれど、どうしても確かめたかった。
「姫様、ご無礼を承知の上で申し上げますが、今日はもうお休みになられた方がよろしいかと存じます」
人前だからか、マンナの態度がいつもよりも畏まっている気がする。
こうなると、私って本当に偉そうだ。
でも、まあ、どうでも良い事よね。これでも一応姫ですし。偉いのは間違いないですし。どういう風に見られても、もう関係ないのだし。
それよりも大事な事があるのだから。
「いいえ、休みません。準備を」
私は先ほどよりもっと口調を強めて言った。私が引き下がるつもりがないと分かったのだろう。マンナは礼を取る。
「かしこまりました」
そう言ったマンナは、いつもの彼女だった。




