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3話(現在②-1)-王子さまの来訪

 応接間に、かがやく黄金の糸、おだやかなアクアマリンの宝石に、白磁の陶器をもつ、かれがいた。

 王子さまという存在は、そのすべてがうつくしくなければいけない決まりでもあるのかもしれない。どれをとっても一級な見目は、成長すると一層、迫力を増して、いけない。純粋に彼に憧れていた、十二や十三の頃を思い出す。初恋に近い、海にただようかのような、悠遠な憧れだった。

 私の元婚約者殿はなぜだか、婚約を解消して以来、はじめてフォスターのお屋敷にわざわざ足を運んでこられた。顔を合わせるのは、何年ぶりになるだろうか。指折り数えてやろうとして、そんな悠長なことをしている場合ではないか、と現実が引き止めた。

 私はいま現在、屋敷から外に出ることは、なくなったもので。こうしてふたりきりで顔を合わせるのなんて、もう何度もないと思っていたのに、よもや今日、その一度目がくるなんて。

 弟がひさしぶりに帰省して、そして次の日にこのひとが現れたとなっては、私としては少し、なにかしらの作為を感じてしまうのだけど、まあ、それを教えてくれる人でも、悟らせてくれる人でもなかろう。

 前の生のわたしの知識いわく、たしか彼と愚弟は悪友だったはずだし、現在もそうなんだろうな。学園入学まえは顔を合わせる機会もそれほどなかったからそんな関係にはならなかったけれど、現在は両者とも全寮制の学園に籍を置く身なのだから。

 そして、そんな彼が、私をご所望していた。アルザードでもなく、フォスター侯爵でもなく、私と話がしたい、と。

 なぜと呆けたのは一瞬。はらはらとした様子を隠せぬまま、王子をお通しした旨をつたえにきた使用人のためにも、ひさしぶりに令嬢としての仮面をかぶろうではないか。 ちょうど、弟はふらりと厩に向かって、すこし馬を走らせて来るだなんて言っていたし、父は王都に出向いている。ある種、彼らの監視なぞないほうが、気も抜けるというものだ。

 目が合って、ふわりとほほえむその人に、隙を見せてはならぬということ、私が一番よく知っている。このひとは、そして、王家に連なる者とは、いついかなるときも、腹の底なんてひとつもわからないんだから。国の益になるためなら、小娘一人くらい手玉に取るでしょうよ。

「王子さま。殿下。礼を尽くした方が、よろしくて? 私にとってあなたは、もう気軽に口を利いてはならぬお方」

「平服して、ひざまずくと? きみにそれは似合わないよ、ヴィオレット。たとえそれが形だけのものでもね。どうぞ昔のように、シュウェルツと」

「……では、お言葉に甘えて。シュウェルツさま」

 耳障りのよい、低い声。

 わずかに笑みを含んだ、けどもなにかたくらみをいだいているような不思議な響きを、なかなか気に入っていたことを、ぼんやりと思い出す。記憶よりも低い声をすんなりと受け入れられたのは、前の生のわたしの影響か。むしろなんだか、なじむ。この声がいったいどういう台詞を吐くかなんて、もう、おぼえてもいないのに。

 このひとは、攻略キャラクターなんかではなく、サブエンド持ちのサブキャラだったから、そも、あまり象徴的なエピソードはたぶん、それほどなかったのだけれど。でも、前の生ではアルザードに次いで推していた人でもある。なぜかって、イイ性格をしていたから。悪人ではないけれど、善人でもなかった。

 皮張りのソファに腰を掛けながら、用意された紅茶に手を伸ばす。ゆるされたのなら、以前とおなじよう、ふるまってやろうではありませんか。いまさら無作法ものとなじられたところで、失うものもなにもない。

「このような時期に来なくてもよろしかったのでは。王都よりもずいぶん、雪が積もっているでしょう」

「でも、来れぬほどでもない。今日は幸い、天気も良かったし」

 雪に覆われた、カロン地方。王都よりも北に位置するここに来ることに対する労苦、それに比するなにかが、あるとでもいうのか。

 私は不審を隠さず、彼の動向を注視する。

「本日のご用件を、お伺いしても?」

「……アルザードは出かけているのかな。昨日から帰省していると聞いたけど」

 片眉をあげる。王子さまの口からその名が出ることを、想定していなかったわけでは、ないけれど、でも。

 出かかった言葉を、紅茶とともに飲みこんだ。清涼感と共に舌に残るあと味は、我が領地の名産で、王家にも出荷して、お褒めの言葉をいただいだ一品だ。鎮静の効果のある薬草を炒ったもの。おちつけ、おちつけ。口の中で、二度唱える。アレとの不和を、いまさらこの男に見せてなんになる。

「さて。ひょこりとそのうち現れる気はしますが」

「ふぅん」

 シュウェルツは優雅に足を組んで、背もたれに深く腰掛けた。視線は私に向け、なにかを探るように相槌を打ったかと思えば――ぐるりと応接間を見回した。そのおめがねに叶うような、一級のものしか置いていないはずだけれど、果たして。

 成金趣味と思われるのはごめんだから、アイボリーで全体を統一させて、落ち着いた雰囲気を演出させた。けども、面白みもないと舐められるのは癪だからと、手先の器用な職人の作った骨董品や、あるいは壁際に飾る絵画の選定にも気を遣った。どれもこれも、私が直々に配置を考え、選定したものばかり。屋敷に引きこもっていると、こういうことしかやることがない。

 まあ、お眼鏡にかなうもかなわないも、きっと彼はなにも言わないだろうけど。よくもわるくも公平なのだ。なにかの肩をもったりはしない。

 部屋を眺めたまま、なにもいわないでいるものだから、私は焦れて、彼の名を呼んだ。「シュウェルツさま」

「アルザードもこの場にいたほうが、よろしくて。それならば呼んでこさせますが」

 壁際に控える侍従に、視線を送る。「ああいや、」彼はそれを制して、もったいぶりすぎたか、と苦笑した。

「正真正銘。きみに用があるんだ。きみにだけ」

「……」

「たまには、会話をしようよ。きみの近況を聞かせておくれ」

 屋敷にとじこもるようになって、早数年。そのあいだ一度たりとも私に接触してこなかった、この元婚約者殿が。

 今さら私と会話をしようとするという意図って、なに。

 目を細めてそれを探ろうとする私とは裏腹に、彼は、能天気にも思える、へらりとした笑顔でそれをさえぎった。……ちょっと、腹の探り合いなんてごめんよ。私がもう何年、社交の場に出ていないと思っているの。

 邪魔な前髪をかきあげそうになって、やめる。いけない。普段人目をきにしないせいで、所作が雑になっている。

 侯爵令嬢らしさ、と口のなかで唱える。かつて骨身にまで染み込ませていたはずなのに、どうしてこう。口のなかにひろがる苦いものを、紅茶で嚥下させる。

 ながい前髪で、うつくしかった顔立ちのその半分を覆い隠した。この人と会っていたときにはなかった、醜い跡。醜いからこそうつくしいと愚弟が褒めそやす、屈辱のしるし。私はこのしるしが特別醜いだなんて思っていないけれど、それでも、だからといってこんなものをわざわざ、あのおだやかな瞳に映そうだなんて思わなかった。

「きみは、相も変わらずアルザードが嫌い?」

「……それを聞いて、なんになりましょう。私がアレに向ける感情を知ったところで、あなたに益はありません」

「つれないね」

「婚約者でもないあなたに、私のこころをすべて見せる必要など、どこにもありませんからね」

「なら、もう一度婚約でもする?」

「タチの悪い冗談は嫌いなの。あなたのそういうところ、ほんとうに直した方がいいのではなくて」

「手厳しい。俺はべつに、きみとならうまくやっていけると思っているだけなのに」

「……王子さまが口にするには、ずいぶん軽率な言葉ですこと」

 口がまわる。用意した台詞をそらんじるように、平静のまま、言葉が出る。不敬だとなじるひとではないし、壁に控える侍従が止める気配もない。何年か前とおなじようなやりとりを、いま、くりかえしているだけだった。

 なんといえばいいのか、この感覚。十年来の昔馴染みに抱くような、安心というか、信頼というか。一国の王子さま。継承権第二位の、そのひと相手にいだいていい類のものでは、ないけれども。頬が、ゆるみそうになる。これはやすらぎだろうか。それとも、前世の影響?

 私のささやかな安寧など知らないのだろう。彼は紅茶を啜りながら、さて、とことばを紡いだ。

「でも、実際きみは今後どうするつもり? このまま一生、ひきこもっているとでも?」

「まあ、しかるべきときが来たら結婚させられるのでは? アルザードの見繕った、趣味の悪い男と」

「きみがそれを、甘んじて受け入れると?」

「まさか。そういうわけでは、ないですけれども、……」

 ねえさまは、不幸でいるのが一番似合うんですよ。

 言葉を区切って、かつて囁かれた言葉を、口のなかで反芻する。私をしあわせにするような男との婚姻なぞ、アレがすべて握りつぶすに決まっている。父の権力をすこしずつ受け継いでいるアレになら、天性の才のある愚弟になら、きっとそれも可能なんでしょう。わずらわしいことに。 私たちの婚約解消だって、もとはといえばアルザードが一枚噛んでいる。……もっとも、この王子さまがそれを知っているのかは、定かじゃないけれど。

 まあ……アルザードの言うがまま生きる気は、ない。飼い殺しにされてやるくらいなら死んでやるさとも思うくらいだ。

「……あなたに私の腹のなか、全部お見せするわけにはいきません。だってあなたは、私の味方にはなってくださらない」

「……敵でもないけれど?」

「そうかもしれないけれど、あなたの近くにはきっと、アルザードがいるでしょう。信用するにはすこし、弱い」

「あはは……まあ、否定はしないけれど……。ではこれだけ聞いてもいい? きみはかつての夢を、諦めたの?」

「……、」

 表情を動かさないようにしたつもりだったけれど、たぶん、取り繕えなかった。だって私の無言に、シュウェルツは、見透かしたように笑ったから。

 かつての夢。侯爵の地位。私を支えていた柱の、ひとつ。

「……本題に入ろうか、ヴィオレット。今日はね、交渉に来たんだ」

「交渉?」

 穏やかじゃないひびきだ。


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