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14話(現在⑦)-掌握、自覚

 学園に戻って、初めての長期休暇が訪れた。夏のことだった。

 寮内に留まることを選んだ私に、アルザードはそこまで食い下がらなかった。まさか私の「課題が終わり次第帰省する」などという、稚児でもわかるような方便を信じたわけでもあるまいし、さて。

 まあ現状、ふらりと学園内を散策しても、食堂にいっても、どこにもアルザードの姿を見つけられないのだから、問題はない。肩の荷がおりた気分だった。

 休暇中とはいえ少ないながらも学園にひとの姿はあったが、見知った顔はほぼほぼいない。王子さまは将来の根回しで忙しいらしいし、アイリスも比較的早い段階で自邸に戻っていったのだ。煩雑とした対応を任せられることもなくすごすことの安寧といったら仕方なかったのだけれど、休暇も二週間がすぎたころ、一通の手紙が届いた。

 寮監からいただいたそれにはアヤメの封蝋が施されていて、アイリスからのものだと知る。サンチェス家は、アヤメで財を成した新興貴族だった。彼女のなまえ(アイリス)も、だからこそつけられたものだ。

『アルザードさまが、わたしに会ってくださるんですって!』

 かたくるしい時候の挨拶などを除けば、書いてあるのはそんなことだけ。すこしインクの染みが滲むそれは、そのまま彼女の興奮を表しているようだった。

 彼女の歓喜が伝わってくるそれに、私は思わず眉を寄せた。……アルザードが? 学園内ならいざしらず、わざわざ休暇まで彼女にささげるなんて、どんな気まぐれか。それとも、私のしらぬ間に、アイリスはそれほどまでに好感度を稼いでいたのか。あの、姉さま以外興味などひとつもございません――というツラをしている、アレ相手に? だとしたなら、ヒロインというものは凄まじいなという感慨は抱くが。

 手紙を机に放る。返事は出さなかった。


 さらに何度かアイリスから手紙が来た。そのどれもがアルザードと会話したとか、どこそこに行ったとか……興奮冷めやらぬ想いでしたためられていた。インクのとんで、すこし乱れた文字を追いながら、どうやらふたりが高頻度で会っているのだと知る。よろこばしいことだと思っている私はたしかに存在しているのに、心のすみっこがぐらぐら揺さぶられているのは、どうしてだか。……目の前にアルザードがおらずとも、前の生のわたしの意思は表出するらしい。ああそう、ヒロインとアルザードの恋愛は地雷なのね、あなた。


 休暇も折り返しに近づいてきたころ、また、アイリスからの手紙が届いた。返事などいちども出してやっていないのに、よくやるものだ。

 それは、いままでにないほど悪筆だった。

『アルザードさまはひどくていらっしゃる!』

 かろうじて読めたのは、書き始めのその一文だけ。ほかにもつらつらと、手紙一枚分のなにかをしるしているようだったけれど……彼女の心は嵐にでも襲われているのか、それ以上は波にさらわれたように、とりとめなく散らばっていて、判別できない。情緒の不安定さがみてとれる文字のつらなりだった。

 あれはいったい、よその令嬢になにをやらかしたのか。

 さすがに、私にしたようなことを――つまりは故意に傷をつけるような――そんなことをするとは思えないけど。じゃあ、なに。こころだろうか。あの悪趣味さをもって、それを踏みにじったのか。……やりそうで困る。

「……、」

 さすがに、これを無視はできぬだろう。



 数ヶ月ぶりの帰省に、家の者たちは暖かく私を迎えた。侍女や執事、さまざまな立場の人間の出迎えに応えながらも、一目散に向かったのはアルザードの自室だった。おまえの作為を聞かざるを得ない。なにがあったのかも。

「アルザード!」

 乱雑に扉を開けると、テーブルに向かって書き物をしていたらしいそれが、きょとりと目を見開いて、こちらを振り向いた。私のすがたを頭のてっぺんからつまさきまで認めると、そのひとみを、じわ、ととろけさせて、笑んだ。「ねえさま……? かえって、こられたのですね、」

 アルザードは、毒のようないろけがあった。休暇の間で少し伸びた髪を、耳にかけて、吐息だけで笑む。火傷しそうなほどの熱量の瞳で、私を流し見る。それだけで、もう駄目だった。……あっさりと陥没して、息すらうまくできない。どうして。

 なにを言おうとしていたのだか、いっしゅん、それすらもわからなくなった。

 それでも、強引にくちをひらく。その名を、呼ぶ。

「アルザード、おまえ」

「……姉さま、」

 私の言葉を遮って、アルザードがこちらへ歩み寄ってくる。扉を背にしていた私を囲うように、目の前。扉と、それ自身に挟まれた、かと思うと、彼の手が、私の前髪をかきあげ、きずあとをなぞるようにして、撫でる。

 アルザードの瞳が、喜色ににじんでいた。

「姉さま。いま、アルザード、と?」

「……、」

「あなたが僕の名を呼ぶのを、初めて聞きました」

 とろりと、あつい声が降り注ぐ。

 かたちのよいくちびるが、ふるえる。言われて、きづく。私はいま、これの名を呼んだのか。

「いつも、おまえ、と、そう呼ぶではありませんか。……ああ、そりゃ、第三者のいる場では、呼んでくださることもあるけれど。でも、こうしてふたりきりの場で呼んでくださるのは、初めてだ。……いったい、なにがあったと言うのでしょうか」

 声が近い。学園内ではうまいこと隠せていたはずの執着が、いま、一気に降り注がれている。堰が切って、とめられないのか、腰を折って、歓喜を隠さないそれが、ねえさま、とさえずり、私の傷あとを食んだ。

 ……舌打ちでもしてやろうかと思った。アルザードにではなく、自分に。

 たしかに、私はずっと、意図してアルザードの名を呼んでやりはしなかったのに、いま。さきほどのあれは。……たかぶっているのだと、高鳴る心臓がつげる。たかぶっているのに、それが前の生の影響ではないのが、気に食わない。だって私は、嫌悪のその先で、その名前を呼んだ。前のわたしの影響ならば、そこに乗るのは、隠しきれない歓びだったはずだ。

 まぎれもない、()の心臓が、高鳴る。

 けどもそれを悟られたくなくて、目線をはずす。退けとその一言すら、出てこなかった。……私の意思が、まけているのか。それとも、塗り替えられてしまっているのか。思えば学園にいるあいだ、私は一度だってこれの手を振り払えなかった。それを自覚していなかったのは重症だと思いながらも、なんとか、頭を回転させる。

「……おまえ、アイリスになにかしたでしょう」

「アイリス?」

 アルザードの言葉が、どこかうれしそうに跳ねた。

「アイリスがあなたに手紙でも出しましたか」

 アルザードの、その声音。私に向けられたわけではない、それ。にじみ出た感情。それの意味するところはどこにあるのか。わからず、ただ、それのかがやく瞳だけを見た。

「姉さま、僕ね、どうしてあなたが彼女と仲良さそうにしているのか……不思議だったんです。だって彼女、あなたが嫌いなタイプでしょう。僕と同じ、けがらわしい血が混じっている」

 言葉の合間に、アルザードのキスが落ちる。きずあと。鼻先。目元。あまやかな香りと共に、幾度となく降ってくるそれ。触れた先から熱を感じて、とまどう。――やめろという、ひとこと。それをくちにしようと、舌をうごかすのに、もつれて、うまく、言葉が出ない。

 アルザードはそのさまを、目を細めて観察していた。おもしろそうなものを、見るように。

 そしておおきなてのひらが私の頬をすべり、くちびるが、私のそれをかすめようと、「やめ――」

「――お嬢さま?」

 侍女のだれかだろう。いぶかしげな声と共に、私の背もたれになってしまっている扉が、コン、と控えめに音を立てた。

「ただならぬ様子で、坊ちゃまのお部屋に入っていかれたので……なにかありましたでしょうか」

「……、」

 扉ごしの声に、私は逡巡を示した。

 アルザードは、なにも言わずに私を見下ろしている。……言葉を、ゆだねられているのだ。ここでたとえば私が、第三者の介入を許せば、これの口づけはやむだろう。これが触れようとしたくちびるが、重ねられることはないだろう。ねとりとした視線も向けられることなく、私の心臓が、勝手に暴れだすこともないだろう。

 わかっている。選ぶべき答えなど、ひとつしかないのだ。――……ひとつしか、ないのに。

「……なんでも、ないわ」

「紅茶でも、お持ちいたしましょうか」

「……必要ない……」

 どうして。

 これが、前の生のわたしの意思だったら、よいのに。そうでないことはいま、言葉を紡いでいる自分が、いちばんよくわかっている。

 アルザードは、わらって私のくちびるを、掬った。



「僕は、ずっと疑問だったんですよ、姉さま。あなたはどうして、そんなに頑ななのか……。……ん? ああ、いまはそんな話ではありませんでしたね。なんでしたっけ、アイリス?」

 扉伝いに座り込んでしまった私を追うように、アルザードもまた、しゃがみこんで私の顔を覗く。力の入らなくなった私に、絶望している私に、いとおしげな視線を投げかけてくることを、やめない。

「姉さまが彼女と仲良くする理由は、わからないし、まあ、あなたに自由を、と言った手前、べつにそれ自体は、どうでもよかったんですけど。……でも姉さま、帰省しないつもりだったでしょう?」

 こてりと、それは首をかしげた。

「それは、嫌だったんですよ。僕はお父様に呼び出されていて、帰らないわけにはいかないし、じゃあ一緒に過ごすには、姉さまを連れ戻すしかないわけで。でも素直に来てくれるわけもないので……どうしたらいいかなと考えて、彼女。ああ、彼女が傷ついたら、姉さまは来てくれるんじゃないかな……と思って。そうしたら本当に来てくださった」

「……おまえ……気に入っていたわけでは、ないの」

「まあ、そこそこは。でも姉さまにくらべれば、まったく。……というか、そもそもにおいて僕が彼女といるようになったのは、姉さま。あなたのせいではありませんか」

 なぜそこで責任をすりつけられるのか。

「だってねえさま、それを望んでいたんでしょう?」

「……は?」

「ほかの女に懸想している僕を夢見たのはあなたで、その振りくらいはできますよと答えたのは、僕だ。姉さま、どう、実際それを目の当たりにした気分は。胸がすきました? とてもそうは見えないけれど」

 私が学園に復学する直前の、あの日の話だ。それを免罪符に持ち出して、悪びれもしない。

「あ、傷といっても、なにも本当にきずものにしたわけではないですよ。さすがにそこは、貴族としてね、わきまえています」

「……なにをしたの?」

「あれ、それはご存じじゃない? じゃあ聞かない方がいいんじゃないですか? 彼女の尊厳のためにも、あなたの精神衛生上のためにも」

 息を、吐く。つまっていたそれを、落とす。

「おまえ、おかしいわよ……」

「うーん。いまさらですね」

「だって、そんな。そんなことのために……? 休暇を私と過ごしたい? 私が復学する前の長期休暇のあいだ、一度だって家に寄りつかなかった、おまえが……?」

「ああ、それは、」

 離れていた方が、愛が深まると。

 以前そう言っていたことを、思い出す。それは嘘なんだろうと思った。嘘でなくては、こんな子どものわがままのような願いを抱いたくらいで、簡単に他者を傷つけるような真似をしでかすはずがない。

 私は、これの思考が、まるで読めない。正気で語っているのか、それとも妄想に取り憑かれているのか。それすらも、わからなかった。

 彼のくちびるが、当然のようにつむがれる。

「気付きを与えてあげようと。ただ、それだけですよ」

「気付き……?」

「僕のいない生活は、さぞ無機質だったことでしょう。姉さま、むかしから僕のことを愛していますもんね」



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