12話(現在⑥)-こくはく!
ヒロインの特殊能力なのかしらないが、彼女はたびたび、私と誰か――アルザードやシュウェルツといった、物語に重要な役どころのキャラクターたち――がなにかしらの会話をしているところに現れた。盗み聞きのような真似をされたのは最初の一度きりだけであったが、それでも偶然と呼ぶには高い頻度だったので、いっそストーカーでもされているのかと思ったほどだ。まあ彼女がそれほど器用な真似ができるわけもなく、おそらくはヒロイン特有のイベント収集能力かなにかのたまものなんだろうけれど。
そして彼女は今日もまた、当たり前の顔をして温室に現れる。
「ヴィ、ヴィオレットさま……わたし、最近気付いてしまったことがあるのです!」
もとより立ち入り禁止にしているわけでもないし、私にそれを拒絶する権利などないのだけれど、うらもおもてもないような、輝かしい笑顔を向けられるのは不得手なもので、むしろ私の方が温室から遠ざかる羽目になるほどだった。
まあ、そうすると彼女は私の学級にまで顔を出してくるようになるので、またすぐに温室に戻ることになったのだけど。衆人環境でこんな、天真爛漫を絵にかいた子と一緒にいるのを目撃されるのは、耐え難いのであった。
「……なにかしら」
辟易した私を気にする様子もない。彼女は、はい、と元気よく頷きながら、その輝かしい瞳で、私を見上げた。
「アルザードさまのことなのですが、彼、ヴィオレットさまのことが好きなのではなくて……!? 禁断愛というやつですよ、きっと!」
「なにを言い出すかと思えば……」
「だってあの方、ヴィオレットさまの前ではあからさまに様子が違うじゃないですか! ……ちょっとそんな興味なさそうな顔なさらないで!」
「だってほんとうに興味がないのだもの。……どうでもいいけれど、あなた随分と気安い口を利くようになったわね。はじめて会ったときはあんなに泣きそうな顔をしていたのに」
「あ、あれは……っ!」
アルザード絡みの話題はめんどうなので、露骨に話の舵を違う方向に切らせていただく。こういうとき、シュウェルツであったのならそれに応じてはくれないし、そもそもアルザード相手では会話にすらならないのだが、彼女は単純……もとい純粋なので、簡単に思う方向に動いてくれるだろう、きっと。
いつぞやシュウェルツと共に座っていたベンチに、アイリスとふたりで座っている。こぶし一つ分ほどしかあいていない距離は居心地悪いが、彼女にとってはこの距離が自然らしかった。私が距離を置いて腰掛けても、気付いたら彼女は触れ合うほどの距離まで迫ってきているので、ちょっと気に食わない。
なぜアイリスに気に入られたのかといえば、偶然の産物でしかないと思う。私たちが何度もばたりと出会い、その度に会話をしてやっていたから。書庫でアルザードを押しつけたのも、好意的に受け取られているような気がする。もっと冷たくしてやればよかったか。
「あれは、おふたりのうつくしさが悪い! 美形というものの迫力はすさまじいのですよ!」
あなただって顔立ちは悪くない……というか、物語のヒロインに抜擢されるほどだ。まちがいなく上玉に入るだろうに、まるで私の顔が天上のものかのように褒めそやす。
どこかあどけなさの残る彼女と、悪役、を具現化したような私では、系統はだいぶ違う。隣の芝は、というものかもしれない。
「……でも、たしかに少々気安いですよね。自覚はあるんです」
ぷくりとしたくちびるを不満げに突き出しながら、彼女は私からちょっとだけ距離を取った。
「アルザードさまなど、この距離感でいてヴィオレットさまがお叱りにならないことを驚いておられました」
「ああ……」
「編入してひと月も経つというのに、お友達がいないから、そのぶんヴィオレットさまに甘えてしまうんですよねぇ……。ヴィオレットさま、おやさしいので」
私とておまえがヒロインでなければこんなに相手はしてやっていない、とは言いようもないので、適当な相槌を打つに留めておく。
アイリスは、ころころと表情を変える。腹の底を読ませぬようと教育される貴族としては、やはり異質ではあったが、異様ではなかった。ある種才能なんだろうと思った。ひとに愛される才能。
いまも、拗ねたような顔をして見せたかと思えば、今度は一転、身を乗り出して、「あっ、それで、アルザードさまの話に戻るのですが!」と元気な様子を見せている。
「……なに?」
話題は奪えなかったらしい。どうして私の周りにいる人間はこうも……。
まあ、文句を言っても仕方ないので、白旗をあげることにした。昼休みはまだ長い。ぞんぶんに聞いてやろうじゃないか。
なんて悠長に構えていたら突然、アイリスが爆弾発言を投げた。
「わたし、アルザードさまをお慕いしているんです!」
「…………は?」
「だってあの方、すごいではないですか。わたしと同じく、市井の出で、それであそこまで優秀なんですよ……!? それに、あの黒曜の瞳もすてき、無機質で、なにも映していないようなあれが、あなたのことをみつめるときだけ、きらりとかがやくの! ねえヴィオレットさま、あのギャップ、よくないですか……! わたし、あの方があなたをみつめる、その横顔に恋したんです!」
「は、あ……? そう……」
なんともまあ、奇特な。私への執着、そのすべてを悟っているわけではないだろうが……その片鱗を見てなお……というか、その部分になにかを見出して恋に落ちるとは、ヒロインはだいぶ不思議な感性をしているようだった。
前の生の私なら両手を挙げながらうなずいただろうが、あいにくヒロインの恋バナに興味がないのか、うんともすんとも言ってはくれない。
ももいろの頬が、いっそう上気している。アルザードよりもずっと純粋な瞳が、アルザードが私をみつめるときのような熱を宿して、きらめいた。
「ねえ、ヴィオレットさま。わたし、あの方がほしいわ!」
「……ほしい?」
こころがざわめく。前の生のわたしの残滓が、わずかに反応を示した。
「だって、すてきなんですもの。……ああ、こんな物みたいな言い方……不快にさせたでしょうか……!」
「べつに、それはどうだっていいけれど、」
勝手に沸いて出たよくわからぬ感情を、どうにか押し込める。
「あれの私に向ける感情は、すくなくとも恋情ではないし、そんな、横恋慕のような言い方」
近親愛の否定というよりは、そんなうぶで可愛らしいものではないし、三角関係になるつもりもない、という意思でこたえる。アイリスは、桃色の髪をゆらした。あれが恋ではないというのですか、と。彼女の目には、あれが純愛にでも映っているのだろうか。純愛、家族愛、狂気のまじっていないものだったのなら、まだ多少、ましだった。
「というか、それを私に告げてどうしたいの。応援が必要?」
「いえ、それは、まったく! ただ、この胸の内を聞いていただきたかっただけです」
「それなら良いけど」
勝手に仲を育んでくれと思っている私にとって、イベントが勝手に進むのならそれに越したことはない。私の見えないところで、勝手に好感度を稼いで、勝手にアレを落としてくれ。
たぶんそれを望んでいないのは、前の生のわたしくらいのものなのだから。
無意識のうちに握りしめていたこぶしを、ゆっくりとゆるめた。
「うまくいきそうだったら、教えてね」
「はい、もちろん! もうすぐそこに、長期休暇があるじゃないですか。できたらそこで、彼をお誘いしたいの」
サンチェス領とフォスター領は、そこまで遠くない。馬を走らせれば半日もかからず到着するていどの距離だ。
なおさら、休暇のあいだは帰れないなと思った。私の見ぬ間に、すべてを終わらせてくれれば良い。