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11話(現在⑤)-みとめてはいる

「…………偶然ですよ?」

 私がなにかを言うより先に、それは手の中に持つ本をかかげて、無実を告げた。

 学園内の、書庫。吹き抜けの二階建てになっているそこには、私の背丈よりもはるかに高い本棚が、壁一面といわず、通路にまで設置されている。国内でも有数の蔵書数を誇るというそこに、ここ最近私はよく訪れていた。

 学園に復学して、なにに一番困っているかといえば、それはまちがいなく勉強だった。いちおう、屋敷にこもっている間も最低限の勉強は家庭教師とともにおこなっていたとはいえ、この最先端の場所ではどうにも、付け焼刃の感が否めなかったのだ。復学にあたるさい、最低限の学力試験はおこなわれて、それで問題なしと判断されたから、通常の年齢通り、五学年として通うことを許されはしたが。

 元よりプライドは高いほうで、凡庸に埋もれることを、なにより自分が許せない。くわえて、シュウェルツの話を聞いた今では、なんとしても最優の成績を収めて卒業してやろうという気にもなる。

 そういう理由で、もっぱら最近は書庫のお友達になっているのだ。

「……べつに、なにも言っていないでしょう」

「だって姉さま、いま僕のこと睨んだじゃないですか」

 この広大な書庫で居合わせたら、そりゃあね。

 けども文句を言わずにおいたのは、一拍のち、アルザードの手に持っていたそれが、たしかにこのあたりの分類のものだったから。王国内の各都市における、文化の成り立ち。また、経済について。

 アルザードは、優秀だ。本人のくちからなにかを聞いたことはないが、たとえば父はよくこれの天才ぶりを自慢げに語っていたし、学園に戻ってからは、「あのアルザードさまの」、という目を向けられることも多かったのだから、それを認めざるを得ない。まあもとより、その胆力はあった男だ。初対面の第二王子相手に、微塵も臆さないような。

 アルザードは、良い弟、の仮面を被ったまま、話しかけてくる。

「……姉さまは、お勉強? よろしければ、お手伝いしますよ」

 ひとけのないこの場所でふたりきりなど。さっさと立ち去ってやりたかったが、私の背後は本棚で、唯一の通路につながる空間はアルザードの身体でふさがれていた。それほどに狭い区画なのだ。

 いまは、ひとふたりぶん、適切な距離をあけてそばに立っているが、それがどう転ぶかなどまるでわからない。私の警戒に、アルザードは特になにも言わずに、本棚に自分の持っていたそれを差し込んだ。

 彼がこちらに近寄ってこないのを確認しながら、仕方なく膨大な本たちのタイトルを、視線でなぞる。

「この区画にいるということは、経済関連のことをお知りになりたいんじゃないですか? 対外関係か、対内関係か。それとも領地のあたりのことですかね。……姉さまは熱心でいらっしゃいますね。最近よく、書庫でお見掛けしますよ」

「……」

「邪魔しては良くないと、声をかけるのも自重していました。こうして偶然お話しできるのは、僥倖ですね」

 ひとけがないからと、声をかけることもためらわない。私がなにもしゃべらずとも、アルザードは鼻歌でも歌いそうな調子で、言葉を重ねる。本の背表紙をなぞりながら、迷うそぶりもなく何冊かの本を抜き出す。

「最近の姉さまは、ずいぶんと羽を伸ばしているようでいらっしゃる」

「……不満?」

「いいえ。姉さまの自由をうばいたいとまでは……いつかも言いましたね、これ」

 一気に引き上げた警戒に、それでもこの男は子どもみたいに笑う。

「羽をもがれた姉さまはたぶん、なによりも素敵だとは思いますけれど……でも、僕はね、反抗するくらいの気概のあるそれの羽を踏みつぶす方が、興奮するので」

「…………クソみたい」

「口が悪くていらっしゃる」

 アルザードの手には、数冊の本。タイトルを視線でなぞって――おや、と思う。どれもこれも、さきほどアルザードが口に出したようなものがまとめられているような、そんなものだったから。

 一貫して、アルザードは上機嫌だった。そんな彼が、私に手の内のものを渡して、これがおすすめですよ、などと言う。

「ねえさま、たくさん知恵をたくわえて。僕などを越えて、だれよりも優秀で在って。そんなあなたを、屈服したい。……できたら、素敵だと思いませんか?」

 とろりとした熱が、私をからめとる。

 アルザードの腕が伸びて、私のくちびるに触れた。本を抱えた腕では、取り払ってやることすらできない。

 黒曜のひとみが、ほそめられた。ただ、やわいそれを楽しむような、あわい触れ合い。私が一歩、引き下がろうとした――そのとき。唐突に、アルザードはその手を引っ込めて、背後を振り返った。アルザードに意識のすべてを向かせていた私は気付かなかったけれど、だれかが現れたらしかった。

 対するアルザードは、それの存在をしっていたらしい。気軽に、名を呼んだ。

「アイリス」

 ――またおまえか……!

 さけばなかったのを、ほめてやりたい。

「あ、あ……っ、アルザードさま……! お邪魔してしまいましたか……!」

「べつに。ただ姉と会話していただけだから」

「姉……? あっ、ヴィオレットさま!」

 身体をずらして私の姿を見せると、それを認めたアイリスが、ぱあと声を華やがせて、私の名を呼んだ。

 アルザードは、その様子に違和をおぼえたらしかった。学年のちがうふたり――それも私は本来、平民出の人間と、率先して口を利くタイプでもないのだから、当然といえば当然だった。その端正な顔に、わずかに眉が寄る。

「……知り合い?」

「……え、えっと! はい! 以前いちど、温室でお会いして……」

「ああ。姉さまの城だという……」

 納得がいったのか、わずかに表情をゆるめてはいるが、それでもアルザードは、露骨にわずらしそうだった。

 それはたぶん、アイリス本人がどうというわけでもなく、だれに対してもこうなのだと、学園に入ってからしった。アルザードの噂はいやでも耳に入っているが、どうにもこれは一匹狼のきらいがあるらしい。次期侯爵とオトモダチになりたい貴族は多けれど、袖にされることがほとんどだと、そう嘆かれているのをよく聞いた。シュウェルツなどあれでむしろ、仲の良いほうだというのだから、驚きもする。これはほんとうに私以外に興味がないらしい。

「てっきり、恋仲の方との逢瀬かと……」

「恋仲だって、姉さま」

 どことなくうれしそうに、それがわらう。

 私のくちびるを撫ぜていたことなど見えてはいないだろうし、会話も耳には届いていないだろう。もしもシュウェルツのときのように盗み聞いていたとしたら、これの異常な片鱗を見て、冷静でいられるはずがない。

 だったとしても、いやなところに居合わせられたという思いは、消えない。なぜだか居心地が悪かった。

「……おまえ、」

 がしかし、聞いておきたいこともあったので、私は居心地の悪さを抱えたまま、口を開く。

「……おまえとアイリスは、仲がいいの?」

「同じ学級で学んでいますので、その程度ですね」

「よくしていただいています!」

 真顔で返答するアルザードと、笑顔のアイリス。……なるほど、まだそこまでアルザードの好感度を稼いでいないらしい。そもなにかしらの親愛イベントが発生しているのかどうかも分からないが、とりあえずシュウェルツとアルザードのように、原作から逸脱して険悪になってはいないようで、安心した。

「あ、わたし、ご姉弟の団欒を邪魔していますか? でしたら、退きますね! こちらにある本だけ――失礼」

「……おまえ、手伝ってあげたら?」

「……僕が?」

 なぜ、と言葉に出さないまま、その暗い瞳が問いかけた。思いきり不審そうに、また、不満そうに。

 小さな背で、ひょこひょこと背の高い本棚を見上げている彼女。それを特になんの感情も込められていない瞳で眺めているアルザード。……私に対してはだれが頼まずとも、アルザードが自ら見繕った本を手渡してきたというのに、えらい違いである。

「この子、編入したてなのでしょう。それならば私の勉学よりも、そちらの面倒を見た方が、よほどよい。さいわい、同じ学級で、おまえは優秀なのだから」

「え、そんな! 悪いです……!」

「……。優秀」

 私の言葉を、アルザードは復唱した。声に、わずかに喜悦が乗った。

「姉さまは、僕が優秀であると、認めてくださるのですね」

 私に向け、ふうわりと、笑って。それから、アルザードは無機質にアイリスに視線をやった。器用な変容だった。そして、わずかな逡巡。

「きみは教えてほしいと思うの、アイリス」

「えっ、ええと、教えていただけるなら! はい!」

「……ここにいるということは、先の講義の課題? ならば――」

 ふたりが問題なく会話を始めたのを見て、私はこれさいわいとその場をあとにしようとする。

「姉さま」

 そして、狭い通路を強引に抜けようとしたところで、声がかかった。振り返る。

「つぎの長期休暇、一緒に帰りましょうね」

「……」

 もう、何週間後かにせまった、それ、

 帰ったらおまえ、また寝台にもぐりこむのでしょう。ならば帰ってなどやるものか――とは、さすがにアイリスのまえでは言う気にはならなかったので、結局、なにも言わずに去ることにした。


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