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10話(過去④)-きずあと、破棄

「ねえさまはきっと、あの方と結婚したらしあわせになるのでしょうね」

 アルザードは、雑談とも呪詛ともつかぬような声色で、そんなことを言いだした。

 シュウェルツと引き合わせてから、数日が経った、ある雪の日のことだった。外はどんよりと暗く、積雪のせいで外にも出られない。

 フォスターの領地があるカロン地方の天候は、不安定だ。冬ちかくになると度々白銀の世界に覆われ、閉ざされる。シュウェルツが訪れたときは晴天だったが、この時期においてむしろそれはめずらしいことで、ひとたび雪の季節が来てしまうとどこにも行けなくなってしまうことが多かった。かれが訪れたのがあと二日でも遅かったのなら、いまごろこの屋敷に閉じ込められていただろう。この雪は、あと何日を置いても溶けることはなさそうだ。

 音を吸収する、静謐ななか、暖炉のなかで火がはじける音だけが聞こえていた。

「……なあに、いきなり」

 暖炉の前、ロッキングチェアに腰かけていた私は、読んでいた本を閉ざした。静謐をやぶった弟を見る。……また、私の部屋に無断で。

 侍女や執事はなにをしているのだか、なんて言っても無駄か。ふたりきりの姉弟の団らんを邪魔せぬようにという心遣いなのか、アルザードがあらわれるとき、いつだってそれらの姿はなかった。みんな、これの猫かぶりにすっかりと騙されているのだ。

「あの方との結婚生活のそのさきなんて、考えたこともないわよ」

「では、かんがえてみてくださいよ。そこであなたは、しあわせにわらっている?」

「……なんだというの。しあわせや不幸なんて、貴族の結婚に不要なものじゃないの。それを考えろだなんて」

「……それもそうですかね」

 アルザードは、ちょっと首をかしげながら、暖炉の火にあたろうと、しゃがみこんだ。彼の背中だけでは、なにを考えているのか読むことはできない。

「……なにが言いたいの? まとまりのない会話は嫌いなんだけれど」

「殿下は……」

 アルザードは、それからいっとき、黙ってしまった。

 考え事なら自分の部屋でしろと思いつつ、言っても聞かぬのだからその小さな背中を、ぼんやりと見つめる。

 それからほどなくして、うまく言葉がまとまったらしい、アルザードは口を開いた。

「ねえさま、僕はただ、いやだなぁ、と思ったんです。不満というほど、つよい感情ではなく、漠然と」

「……私が、シュウェルツさまのものになるのが?」

「いいえ。それはぜんぜん、かまわない。むしろご自由にどうぞ、と思っています。僕が嫌なのはね、ねえ、ねえさま、わかります?」

「知るわけないでしょう」

「うん、そうですよね……。僕がいやなのは、あなたが、しあわせに笑うこと。僕の目の届かぬところで、僕の触れられないところでわらうあなたなんて、かんがえただけでおもしろくない……。だれかのものになるのだけなら、なんとも思わぬのに」

「……なにを言っているの?」

 パチ、

 暖炉のほのおが、はじける。アルザードが、火ばさみで薪の位置をうごかした。そんなこと、使用人にやらせればいいのに、平民の出のせいか、これは未だになんでも自分でやりたがった。

「ねえさま、あの方だけは、だめだよ。だってあの方は、きっとねえさまをしあわせにしてしまうでしょう。恋などせずとも、愛など抱かずとも、きっと、べつの情をはぐくめてしまうでしょう」

 それはよくないんですよ、と、なめらかに謳う。

「だから、ねえさま。婚約を、とりやめましょうよ。殿下は……いえ、王家は。……もとより、次期侯爵のあなただから、選んだのだと聞きました。ならば現状、爵位を継げぬあなたに婚約者としての価値なんてない。だから、喪も明けたのに表立って婚約者だと周囲に吹聴しないんじゃないですか? きっと王家だって、穏便に破棄する方法を探していましょう」

「……そういう一面も、あるでしょうけど。でも、残念ね。大人たちのさまざまな作為に、私たちが干渉できるものでもないわ」

「……では、そうせざるを得ない状況をつくるというのは、どうですか?」

 かげ、ゆらめいて。一段、炎がおおきくなった。

 うかぶのは、ゆえつだった。

 アルザードが、こちらをふりむく。黒髪がわずかにゆれて、隠しきれない醜悪な笑みが、ふりそそいだ。捕食する寸前、みたいな、そんな顔。

 ――……なに。

 不吉な予感だった。背筋を、冷たい息吹が走り抜ける。部屋のなかが、二度も三度も、一気に下がった気さえして、思わず立ち上がる。

 音を立てて、本がおちて、それから。それから、体温。アルザードの左手が、私の腕をつかんで、離さない。

「ねえさまは、不幸でいるのが一番似合うんですよ」

 オレンジの炎のなかにある、その熱さを身に宿した、火種。

 火ばさみが、つかんで。――めのまえ!



「ねえさまは、ねえさまの若さにしか興味のない、年老いた貴族の後家に入るか、それとも僕に飼い殺されるか……ふたつにひとつしかありませんよ。嫌な方をえらんでくださいね。がんばって、それを叶えるから」


 アルザードは、わらっていた。

 王家に婚約破棄の申し入れをし、そしてそれが受け入れられた、その日のことだった。

 ……あの日。雪に覆われた、静謐な日に起きた()()。火の怖さをしらぬ子どもが、暖炉の近くで戯れて起きたものだと――そんな話を、アルザードが創作した虚構(うそ)を、誰も彼もが疑わなかったらしい。

 私の治療が終わって落ち着いたころには、だれも私に事情など聴いてはこなかった。それはたぶん、配慮だったのだろうけれど。

「……おまえなど、しんでしまえばいい」

「ええ」

「おまえのこと、なにひとつ理解できない……!」

「理解してもらおうなど、おこがましい。そんなこと、いちどだって思ったことはありませんよ」

 寝台に横たわる私を、それは見下していた。

「ねえさま、聞くところによると、学園の入学まで拒否なさったとか。それは、どうして?」

「……おまえ、私のしあわせをすべて奪うんでしょう。おまえが次、これ以上にひどいことをしないという保証があって? そんなものが用意もできないのに、新たな世界に行って、のうのうと暮らせるわけもない!」

「なるほど。……僕は、ねえさまの自由をうばいたいわけではないのに」

 痛ましいものを見るように、目を細めた。

 よく言う。おまえのやっていることは、暴力による支配だと気付かないのか。傷を理由にシュウェルツとの婚約破棄を申し入れたが、それだって、なにも本当にこの傷あとが彼にふさわしくないと思ったわけではない。そんなのはただの方便で、これ以上彼と接触して、またなにか行動にうつされるのがいやだっただけだ。

「……おまえの顔など、見たくもない。大声で叫べば、誰か来てくれるかしら」

「屋敷のなかで、僕は怪我をしたあなたを献身に支える弟だと思われているよ」

 齢十二そこらの、そんな子どもが、どうしてそこまで信用されているのか。もちろん猫かぶりが要因のひとつではあろうが、なにもそれだけで屋敷の人間すべてが騙されてやるほど、見る目のない人間ばかりではないはずだ。

 ならば、天性の人たらしなのだろう。現在の私にも、原作の私にも持ちえなかった才能だ。

「……うとましい」

 まぎれもない、呪詛だった。

 包帯に覆われた肌は、いまだにじくじくと痛んでいる。きっとこれからずっと痛み続けるのだろう。一生残るきずを、のこされた。

 私の強い視線にも、アルザードは頬を赤らめて、笑んでいた。

 ――どうしたら、これをこわせるのだろう。

 浮かぶのは、そんな衝動だった。こわすなんて、私にできるはずもないのに。思考だけは、凶悪な感情に支配されている。

 ……顔を焼かれて、いっしょう消えないという傷あとをのこされて。

 それでもアルザードへの愛が消えない前の生のわたしは、いったいどれだけの破綻者なのだろうか。わたしを排除するすべは、ないのだろうか……。

 私はアルザードよりもなにも、頭のなかに居座った女を、消してしまいたかった。

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