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1話(現在①)-つきたてたい

「ああ、ねえさま――」


 耳に触れるのは、声変わりを終えたばかりの男の声。とろり、蜂蜜を熱湯で溶かして垂らしました、と言わんばかりのあまやかで、熱いもの。

 いとおしいものを見つめるように頬を赤らめながら、いつもただ一人の、唯一と定めたらしい私を見下(みくだ)している。

 ――死んでしまえ。

 帳も落ちた頃合い、まるでひめごとのように、しかし同時に、そうするのが当然と言わんばかりに、寝台へと入りこんでくるようになったそれは、血のつながりのある、一つ年下の弟だった。

 これがそうするようになったのはいつからだったか。――私が十二のときだった。ひとり、自問自答にくれる。

 夜に眠れぬと泣くような年齢でもなかったくせに、もっともっと悪趣味な理由から、こうして私の側に侍るのだ。私はそれが、そらおそろしい。まぎれもない、執着の一端であると、しっているから。

 それでも、これが全寮制の学園に通うようになってからは、少なくとも、いちどだって寝所にもぐりこまれることはなくなっていた。だって第一に、帰省すらしなかったのだから。

 だっていうのに、どうして帰ってきたのよ。入学して三年も経って、ようやく?

 首筋に、あつい吐息がふきかけられる。二の腕にはずっと鳥肌が立っているのだけど、うす布ごしのこいつにはとどかない、いや、きっとわざときづかないふりをしている、私はそれが癪で、いつも心の中で、醜い罵倒をしつづけている。

 さっさとしんでしまえばいい、こんな男!

 そいつは、いつも、私の顔を見るたびに頬をなぞる。故意につけられた、きずあとの部分を。

「醜いあと、ですね、ねえさま。ああ、でも、似合っています。ねえさまは、おうつくしいから……」

 十五歳にもなって、物事の分別がわからぬはずもないだろう。私を覆えるくらい、すくすくと伸びた手足、とうてい子供とは呼べないような、女性を魅了してやまない、甘やかな顔立ち、それをどうして、血のつながった女に惜しげもなくさらすのか……さらさら理解できない。だってそんな、恋人に向けるようなそれを喉から手が出るほど欲している女なんて、きっとほかにいくらでもいるのに。

 相手なんてしたくなくて、のしかかってこられても、抱きつかれようとも、私はいつだって目を閉じたまま、眠ったふりをしつづける。いまだって、それのだきまくれになっているけれど、抵抗はしてやらない。それをしたって喜ぶだけだってこと、長い付き合いで理解しているのだ。

 きっといまは、ふだん凪いでいる、水面のような、闇よりもくらいひとみだって、いっそわざとらしく、とろとろと溶かしているんだろう。見なくてもわかる。こいつは、そうやって私を、あるいは、そのこころを嬲って、愉しんでいるのだ。

「ねえさま……世界でいちばんうつくしいお方……あいしてる……」

 頬に残された醜いきずあとを、なぞる。この顔を醜いといいながら、うつくしいと、矛盾めいたことを毎夜毎夜、私の耳に注ぎ込んだ。あつい吐息で、あつい身体で、さいなむのだ。……頭が、おかしい。

 十三を迎える歳から、十八になる歳までの、主に貴族が通う、全寮制の王立学園。これは、それに通っていて、いままでいちどだって、そのながい休暇で帰省することだなんて、なかった。なかったのに、ふらりと帰ってきたかと思えば、かつての習慣を、繰り返す。

「ねえ、ねえさま。返事をして。僕たちの逢瀬が、いったい何年ぶりだと……?」

「逢瀬……?」

 私の声は、あざけりをふくんでいた。おまえが勝手に、私に、血のつながった姉に、懸想しているだけでしょう。いったいいつ、私が、おまえの十分の一でも、想いを返した?

「おまえが勝手にもぐりこんで、勝手に私に触れる……それだけの行為が、逢瀬ですって?」

「ええ、そうです。だってあなたは、それをいちどだって拒んでいない。いまだって」

 身体を覆ううでに、ちからがこもった。

「ねえさま、僕が憎い? 憎いのなら、どうぞ。その枕の下にかくした、あなたの凶器を、僕に突き立てて……? 何度だってその機会はあったのに、ねえさまはいちども実行してくださらない。そうしてくれたならと、僕はずっと望んでいるのに」

「……なんのこと?」

 しらをきってみせる。

 たしかに、こぶりのナイフは常時そこにありましょう。けどもそれは、私のおまもりで、とりでだった。いざとなれば、おまえを殺すことなど易いのだと、そう思わせてくれるたぐいのもの。

 それを明かそうだなんて、思えない。心を守る鎧だ。

 視線が合う。暗闇のなかだっていうのに、やっぱりそいつの溶けた表情を判別できてしまうのが、癪で仕方ない。

「僕を殺さないのは、僕を愛しているから? うしなわれるのが、怖いんでしょ?」

 見透かしたように言う。私の否定を無視するのは、この男がいつだって、私の言葉を聞いていない証。

 在りもしない妄想を、願望を、――を、こいつは、自分のなかで勝手にさだめて、私に押しつけてくるのだ。昔から、いつだって。

 端正な、お人形みたいなかおだちをしているくせ、それを台無しにしてしまうくらいの、最悪な性格……いや、性癖?

 『むかしのわたし』だったら、これも受け入れたのかしら。

 なんて、考えるだけ無駄な事。もう、過去――前世といったほうが正しいのだろう――のことなんて、ほとんどおぼえていないのだもの。

「私、おまえがきらいよ」

 前世のわたしが愛した、闇夜を体現したかのような髪とひとみを持つ、攻略キャラ。もう、本編での彼とほとんど同じ……いろけのある顔で、けれども、微妙に異なった性格のそれが、私の罵倒にも、うれしそうにわらった。

 『わたし』が好きだった物語が始まるのは、あと数ヶ月後の話。外の世界一面を覆う雪が融けて、すこし経ったらもう、すぐそこにそれはある。

 だっていうのに、現状、修正がきかないほどの乱れが起きているのは、どうして?

「殺すこともできないほどの嫌悪に、なんの意味がありましょうか。そんなていどのものなら、いっそ捨ててしまってはいかかです?」

 ぬくい。

 これの身体は、いつだってなまぬるい温度を保って、私の境界を溶かそうとする。

 ひとの心なぞ持ち合わせてはいないくせに、自分勝手な理由で私の顔に傷跡を残した張本人のくせに、ずいぶんわかりきった口を利くものだ。

「姉さま」

 その、みょうにぬくい手が私の頬に触れたから、ゆるり、目をまたたく。

「僕は姉さまに殺されるのが、ゆめなんですよ」

 といき。この男の、さらりとした髪の毛。うすいくちびる。

 ふりそそいで、重なった。ライラックの甘やかな香りが、鼻につく。

「――……ッ」

 茫然としたのは、一瞬。

 手を上げようとして、彼の自重でそれが叶わないことを知る。むかしだったら、いくらだって抵抗ができた、のに、たった数年で、こんな。

 こんな、無力な存在に成り下がってしまったのか、この私が。

 平民の胎から産まれてきたような、けがらわしい男以下の、存在に? 侯爵の位を賜った父と、古くは海の向こうの王家の血が入る母との間に産まれた、この私が。

 そんなこと、ゆるされるはずもない――。

「おまえ……っ!」

 口を開く、ゆいいつ自由になる、それを、ただ、非難するために。

 でも。この気狂いには、私の感情なんて、ほんのひとしずくだって理解できないらしい。頬をなぞる、やわらかな髪。変わらない、至近距離。熱にうかされた、あつい瞳、のなかに、私が映っている。嫌悪と苛立ちを、微塵も隠さない私が。

 開かれたくちびるは、また、ふさがれて――今度は、ふかく、ふかく。

 目じりからそうっとこぼれるのは、生理的な涙。心では、ずっと、とても口には出せないような、侯爵令嬢らしからぬ罵倒がとびかっている。

 私は、毎日、毎夜、毎瞬、この男への嫌悪を募らせていくのだ。

 どこで、歯車が狂った?


 ――おまえが愛するのは、私ではなく、あの可憐なヒロインのはずなのに。



 私は恐らく正気ではないので、おかしな記憶がこのあたまにこびりついて、離れないでいるのである。

 色狂いなのか、破綻者なのか、べつにどっちだっていいのだけれど、夢うつつで見る妄想とは格が違って、これが夢でない論拠すらもあるのだから困ってしまう。

 あの男を、弟を、一目見たときからよみがえってしまった記憶。この世界のすべて。

「はじめまして、おねえさま」

 その瞬間から私の世界は姿かたちを変えたのだから、私がアレをうらむのも、仕方ないでしょう。

 すべてきらい。弟も、弟をうみだした父も、私の頭のなかに根付いたものも、あるいはこの生を決定づけた、神かなにかも、すべて。

 人格というほど確かではない。けども、妄想と片付けるほど霞がかった、手の届かぬものでもないのだから、私はそれを『前の生』と呼んでいる。

 前の生のわたしは、私と弟が結ばれることをなによりも望んでいるのだから、救えない。

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