それはまるで新雪のような恋で
『また、会えますよね?』
ごく短い通話の後に送られてきた短いメッセージ。いつの間にか通話は切れていたので士郎は、そのメッセージにもちろんです。と返信した。
その後、夕食を食べ忘れていた事を思い出した士郎は、台所の冷えた夕食に小さく苦笑しながら電子レンジの扉を開けるのだった。
夕食を温めて、食べ終えた後スマホでSNSをボーッと流し見して、俺以外はなんともいつも通りな感じなんだな、等と感じながら冷蔵庫から飲み物を持って部屋に戻り、それを飲みながら未だに画面に残っている通話履歴と、メッセージを見て先程までのやり取りが夢では無いことを確認する。
あまりにも運命的で、まるでご都合主義に感じる程のそれを見ながら冷えたレモンティーが入っているグラスを傾ける。それを一気に飲み干して、ため息のような大きな息を一つ吐き出しながら天井をぼんやりと眺めていた。
何を考える訳でもなく虚空を眺めた後に、士郎は気持ちを強引に切り替える為に複数のブラウザゲームを立ち上げて、今日やっていなかった事を消化し始める。
「明日はバイトか……」
ポツリと呟いたそれが、士郎を現実に引き戻してくれるかとも思っていたが、そういう事もなかった。既に日を跨ぎ、いくつかのゲームはログイン画面に戻ります。という表記が現れている。
士郎は今度こそ一つため息をついて、寝る前に一通りの日課を済ませてしまおうとマウスを滑らせた。
デイリークエストを一通り消化しきり、時計を確認すると時刻は一時を示していた。士郎は、アラームをセットしてPCの画面を落としてから、部屋の電気を消してバイトの為にベッドの中に潜り込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「ううぅ~~~……アルさんがまさかシロー君だったなんて……うう~~……」
恵はベッドの上で枕を抱きながら、呻き声を上げていた。それもその筈だ。昔から探していた人が偶然とはいえ、まさかゲーム内で知り合った人なんて予想外過ぎた。運命のイタズラとはこういう事を表すのだろうか……等と恵は考えながら呻き声を上げながらベッドで転げ回るのを止めて、自分のスマホの画面を確認する。
そこに小さく表記される時刻は二十二時過ぎ、いつもの恵ならばこれから生放送といく所なのだが、今日ばっかりはそういう気分では無いようだった。
では何をするかというと――特に何かある訳でも無いので下に降りて、この家のたった一人の使用人であり、恵の掛け替えのない親友である彼女の元へ向かう。
自室の扉を開いて、家の中にしては長い廊下を歩き、階段から一階へと降りてリビングの扉を開けて。
「楓、いるー?」
恵の声に返事は無いが、何やら料理を作っているような音と、ふわりといい匂いが奥からした。その音の元へと歩いて行くと、メイド服を着こなし腰に届くくらいの長い髪をポニーテールでまとめ、凛としたイメージを持たせるスラッとした桑の実色の瞳。そして、彼女の耳にはその名と同じ楓のピアスが身につけられていた。
「楓いるじゃんっ、返事してよー」
「どうかしたんですか、お嬢様。今は明日の料理の仕込みをしているんですけど……」
「やる事無いからお風呂沸かして欲しいなって思って。今大丈夫?」
「ほぼ終わりみたいなものですから、問題ありませんよお嬢様。すぐにご用意しますね」
楓はそう言って一度火を止めると、艶やかな黒髪を揺らしながら風呂場に向かっていった。
恵は楓の作っていた料理をチラリと覗き見たり、冷蔵庫の中に何か夜食に出来そうなものがないかと覗いていると、楓が戻ってくる。
「まだ仕込みは終わってないんですから、退いてください。お嬢様」
「はーい」
「所で、何かいい事でもありましたか?」
「ふぇ!? 今日はどうしたの突然……あったけど、それがどうかしたの?」
「いえ、何だかいつもの機嫌のいい時の声と違いましたから」
楓が鍋の様子を見ながらそう言うと、恵は不思議そうにぺたぺたと自分の顔を触ってから、
「そ、そんなの分かるの?」
「はい、いつから一緒に過ごしていると思うんですか?」
凛とした表情の楓が悪戯っぽく微笑みながらそう言った。確かに、小さな頃から楓とは一緒の時間を過ごしてきた。両親は物心つかない頃に既に他界したらしく、恵は両親が仲の良かった楓の家族と一緒に暮らす事になったのだが、ある程度大きくなってからは両親が遺してくれた家に楓と二人で住んでいる。
ちなみに楓の両親は三日に一度くらいのペースで会いに来ているついでに掃除をしに来てくれる。昔、どうしてそこまでよくしてくれるのかを聞いてみた事があったのだが、曰く恵の両親にとても助けられていたらしく、その恩返しらしい。
「そう言えば楓って、私が呼びに行くといつも起きて何処かにはいるよね。楓の部屋って上のはずなのに……深夜に居ないと思って下に降りても居るんだから、楓っていつ寝てるわけ?」
「それはメイドの秘密ということで、お嬢様」
そう言って楓は口に指先を当てながら、楽しそうに笑った。
楓に頼んでから数十分経ったあたりで、恵は自室のPC前から立ち上がって風呂へと向かう。決して忘れていた訳では無い。SOのタイムアタッククエストで納得のいくタイムが出ずに、繰り返しプレイしていただけだ。なので、忘れていた訳では無い。なお、その納得のいくタイムが出た訳では無い。
脱衣所で服を脱ぎ、下着姿になった自分の姿が鏡に映る。白磁の陶芸品のような白い肌。年相応……位の主張し過ぎない位の胸。それに加えて目を引く雪のような白く長い髪と、紅玉のような赤い瞳。
アニメやファンタジー物のノベルが一般化した今では、人によっては喉から手が出る程に欲しい見た目だろう。
浴室の扉を開けて、身体を洗い流した後にお気に入りのシャンプーとボディーソープで身体を洗う。泡を流した後は、楓が温度を調整してくれた湯船の中に身体をゆっくりと沈める。
今日の緊張や疲れが溶けていくような感覚になる。恵は、ぶくぶくと水面に泡を作り、ゆらゆらと揺れる自分の白い髪を見つめながら今日の事と、昔の事を思い出していた。
昔からの想い人なのは確かだが、今のこの距離感でも十分に心地良い。ゲーム仲間としてなのか、それとも昔出会った恵としてなのかは分からないが、また会おうとも、言ってくれてもいた。
彼がどう思っているのかが、それが不安で不意に距離を詰めるのはどうなのか、なんて恵の頭の中では脳内会議が開かれていた。
(どうするのがいいんだろうなぁ……)
◇◆◇◆◇◆◇
結局何も決めることの出来ないまま、風呂を出る。温まった肌がほんのり赤みを帯びて、自らの身体を扇情的にアピールしていた。
ゆったりとした寝間着を着て部屋に戻る前に、冷蔵庫の中に入れていた冷えたペットボトルを持って自室に戻る。
白姫のSNSアカウントの通知欄には毎日のように誰かがあなたをフォローしました。という一文とアイコンが表示される。タイムラインをぼんやりと眺めた後にそっとSNSをそっと閉じてFLを起動する。オンラインゲームである以上、高難易度のクエストは複数人でのプレイが推奨されるが、一人でも出来るコンテンツは結構ある。特にクラフトと呼ばれるコンテンツはとんでもない時間とゲーム内通貨を要するので、『時間があるのならクラフトをやれ』と言われる程のものだった。
黒風のマイショップの売上を確認して回収すると、今売り時である新武具の素材になるアイテムや強化用のアイテムを作りつつ、黒風に必要な物の素材を他のプレイヤーのショップから買って、自作する。
他にやる事を考えては見たが、特にやる事も思いつかなかったのでスマホを見てみるが、やっぱり思いつかなかったようでググッと身体を伸ばすと、その後バフっとベッドに倒れ込む。
そして、恵は一言キリッとした顔で、
「もう寝ようっ」
そう言って、スマホを充電器に刺して部屋の電気を消した。
◇◆◇◆◇◆◇
「うおおぉぉおおおぉっ!?」
朝の開口一番。士郎の雄叫びが部屋に響く。スマホの画面に映し出される時間は朝の十時。朝というよりは昼前という表現の方が正しいのかもしれない。
ちなみに、士郎は今日シフトに入っている――という事は、つまるところ遅刻だ。士郎は、出発の用意をしつつ職場に謝罪の電話を入れて急いで飛び出した。
「遅れてすみません!!」
「おぅ、まあいいよ。今日は平日だし特に何かがある訳でも無かったから二人で回せたし」
隆広が笑いながらそうフォローを入れてくれる。店内を歩いている店長に改めて謝罪をしてから、士郎はフロアに出て巡回をする。
いつも自分のやっているゲームが朝の割には人が多く待ちが出来ているな……と思ったが、今日が新曲追加の日だということを思い出した。
四台あるうちの半分は、士郎の知らない曲と譜面がプレイされていた。士郎は出来るだけそれを見ないようにして、仕事が終わったあとに思う存分プレイしようと考えて、フロアを見て回っていると。
「……え?」
視界の先で、一人の人物を見つけ思考が停止する。その人物は、士郎の事に気づきクスりと微笑むと、
「来ちゃいました、シロー君」
「け、ケイ……? おいおい……マジかよ……」