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「私の事を憎んでるなら、なおさら本当の話をして悲しませればよかったじゃない。」
まるで安心させるかのように、私の頭を撫でるマルコの大きな手はとても優しい。
「……あなたが全部忘れて幸せになれるのなら、それでいいと思ってました。私もそんなあなたを見守りたかった……あの時までは。」
「あの時って?」
マルコの顔を見つめる。マルコも私を見つめ返す。
「エイデン様が刺されて、あなたの封印が解かれた時です。」
あの時……あの時は自分のことでいっぱいで、マルコがどうだったかなんて全く見てなかったわ。
「あの封印が解かれて目覚めた時、あなたは全部思い出したと言いました。」
そうだっけ?
覚えてないけど、たしかに全部思い出したわけだから、言っててもおかしくはない。
「あなたがそう言った時、私は嬉しかったんですよ。とうとう私のことを思い出してくれたのだ、そう思っていました。でも……あなたは私を思い出すことはなかった……」
マルコが悲しみを帯びた瞳で私を見つめた。
「ごめんなさい。」
その瞳を見つめると、マルコの悲しみの深さが分かるようで胸が痛んだ。
「本当にごめんなさい……」
あの時は本当に全て思い出したと思っていたのだ。
どう謝ればマルコの悲しみを取り除いてあげられるのだろう……
「あなたが悪いのではないと分かっています。分かってはいても、あなたがエイデン様に向かって微笑むたびに私の心は壊れていった……本当ならあなたの隣にいるのは私だったはずなのに……」
マルコの静かな、叫びにも似た言葉が胸に突き刺さる。
「思い出せなくてごめんなさい。」
思い出してあげたいのに……これっぽっちも思い出せない。
「……大きくなったら君は僕のお嫁さんになるんだよ……」
マルコが小さな声で呟いた。
「さっきの夢の……」
小さな二人の子供が、将来結婚の約束をする微笑ましい様子を思い出す。
「小さな頃の他愛ない約束です。」
マルコの手のひらが、そっと私の頰に触れた。
「それでも私にとっては生きる支えでした。」
辛く寂しい毎日の中で、キラキラ光る宝物のような思い出だとマルコは微かに笑った。
不意にマルコがぐいっと私を引き寄せた。
その大きな胸の中にぎゅっと押し込められる。
「あなたが私を思い出すことはないのだ……そんな絶望に耐えるには、あなたを憎むことしかできなかった。」
マルコの絞り出すような言葉に、私は何も言えなかった。
「あなたを側で見つめていたいのに、あなたの側にいればいるほど、あなたが憎くなっていく……」
マルコの悲しみと寂しさを少しでも癒してあげることができたら……
マルコの背中に腕をまわし、マルコを抱きしめ返した。
「レイナ……私の可愛い雨のお姫様……」
マルコが愛おしそうに私の名前を呼んだ。
きっとマルコの中では私はまだ小さな子供のままなのね。
マルコが求めているのは、小さい頃に失ってしまった幸せな日々の続きなのだろう……
「ごめんね……」
そっと呟いた。
マルコの悲しみを癒してあげたいけれど、私はマルコが望むようには生きてあげられない。
「私はあなたのものにはなれないわ。」
ごめんねともう一度呟いた私にマルコは答えない。
マルコがこんな悲しみの中にいると分かってもなお、私はエイデンと一緒に生きていきたい。
エイデンを愛してる……
「分かっています。でも……」
私を抱くマルコの腕に力が入った。
「私はもう、あなたを憎むことに疲れてしまいました……」
マルコの掠れた声が耳元で弱々しく響いた。
「マルクス……」
一緒に帰ろう。一緒に帰って、皆で幸せになろう。そうマルコを説得しようと思って口を開こうとした瞬間、大きな破裂音と爆風が私達を襲った。
「レイナ、無事か?」
えっ?
爆風から守るように私を抱きしめているマルコの腕から逃れ、声の主を確かめる。
「エイデン!!」
見ると竜の門であった岩が砕け、その中からエイデンやレオナルド達が現れていた。
「レオ様……」
私を掴んだままマルコが小さく呟いた。
「マルコ、よかった。」
そんなマルコを見てレオナルドが嬉しそうに笑った。
「おい、レイナを離せ。」
とエイデンが叫んだ瞬間、
「!!」
私の唇にマルコの唇が押し当てられた。
「んんっ。」
何かが入ってくるのを感じて思いっきりマルコを押しのける。
「お前……」
エイデンがマルコを殴りつけたのを見て、慌ててレオナルドとカイルがエイデンをとめる。
「レイナ、大丈夫か?」
振り返って私を見たエイデンが心配そうな顔をして駆け寄ってくる。
「レイナ?」
「何か、飲んじゃったみたい。」
マルコの口から流し入れられた、何かドロリとしたものを飲み込んでしまったのだ。
「ああっ。」
喉が灼けるように熱い。
息が苦しくはぁはぁと呼吸が早くなってくる。
「おい、レイナ?」
エイデンがマルコに向かって叫んだ。
「お前、一体レイナに何したんだ?」
苦しくて目には涙が浮かんでいた。
エイデン……
名前を呼びたいのに、声が出ない。立っていられなくて、膝をついてしまう。手を伸ばしてエイデンを掴んだ。
「レイナ、大丈夫だからな。」
エイデンが私の手を握り返してくれる。
涙で霞んだ視線の先で、マルコが微笑んだ気がした。
「マルコー!!」
レオナルドの叫び声が聞こえる。
様子を見たくても、もう目が見えない。
真っ暗な世界に落ちていく。
でもなぜだか怖くも苦しくもなかった。
「レイナ、レイナ、レイナ……」
エイデンが私を呼ぶ声にまじって、
「一緒にいこう……私の可愛い雨のお姫様……」
マルコの声が聞こえた気がした。
☆ ☆ ☆
「おい、レイナ、レイナ。」
目を閉じて身動きしないレイナに必死で呼びかける。
くそっ。やっと見つけたと思ったのに。
「おい、アラン。」
一緒に来ているはずのアランの姿を探した。
アランは砕けた岩の前で立ちつくしている。
「アラン、頼む。レイナを助けてくれ。」
倒れてしまったレイナを抱きかかえたままアランに助けを求めた。
駆け寄りレイナを見たアランが首を振った。
「……無理です。」
「なぜだ?」
あんなに簡単にクリスティーナを治してみせたじゃないか。
「僕の力は怪我や病気には効きますが、こうなってしまってはもう……」
俺から目を逸らし、俯きながらアランが言った。
泣いているのか、ジョアンナが鼻をすする様な音をたてた。
「う、そだろ……」
息がうまく吸えなくて苦しい。
レイナの綺麗な顔に優しく触れた。
まだ温かいのに、もう手遅れってなんなんだ。
「レイナ……」
ポタポタっと涙がレイナの頰に落ちた。
とまることなく涙が溢れ出す。
「レイナ……死んだなんて嘘だろ。なぁレイナ……何とか言ってくれよ……」
レイナをきつく抱きしめる。
レイナ、レイナ、レイナ……
「うわあぁー。」
俺の叫び声が響き渡る。
もう二度とレイナの笑顔を見ることができないのか? そんなことは耐えられない。
「陛下……」
カイルが俺を気遣うように声をかける。
もう顔をあげる力も残ってはいない。
いっそのこと、俺もこのまま死んでしまおうか……そんな思いが湧いてくる。
そんな俺に雷が落ちたような電流が走った。
なんだ今の刺激は。
レイナを抱く腕が軽く痺れている。
空気が変わった。
そう思い、重たい首をあげると一人の人物と目があった。
「えっ?」
カイルやジョアンナはその人物を見つめて、固まってしまったかのように動かない。
「……間に合わなかったんだね。」
銀白色の長い髪の毛を揺らしながら、その男は横たわるレイナのそばにしゃがんだ。
その圧倒的な存在感におされ、うまく言葉がでない。男が優しくレイナの髪を撫でた。
「俺にここに来るよう言ったのは、あなたですか?」
俺の問いに男が優しく笑った。
「あんな方法しかとれなくてすまないね。」
男が俺を真っ直ぐに見つめた。
「大丈夫だよ。レイナもマルクスも助けるから。」
「ジュール様、おやめください。」
必死な様子で少し若い男が声をかけた。
「アンドレア、君にはたくさん迷惑をかけたね。後は頼んだよ。」
ジュールと呼ばれた男がそう言って、パチンと両手を鳴らした。
レイナの体が数十センチ浮かびあがる。
少し離れた場所では同様にマルコも浮かんでいた。
すごいエネルギーだ。
今まで様々な魔力を使う場面を見たけれど、ここまで凄まじい力は見たことがない。
肌に静電気のようなピリピリとした刺激を感じた。
「レイナ、還っておいで……」
男が小さく呟く声が聞こえる。
一瞬ビクっとレイナの体がのけぞった。
「レイナ。」
思わず叫んでしまう。
静かにレイナの体が花の上に戻ってくる。
「もう大丈夫だよ。」
男が俺に向かって微笑んだ。
「レイナ、苦労かけたね……」
そう言って男がレイナの胸の上に手をかざした。
「何をして……?」
レイナから小さな光の粒が出て、男の手に吸い込まれていく。男が光を吸い込むと、少しずつレイナの銀白色の髪が金茶色に染まっていく。
その綺麗な光景に言葉が続かなかった。
魔力を吸い取っているのか?
レイナの髪の色がすっかり変わり、男はもう一度レイナの髪を撫でた。
その触れた指先がパッと花びらに変わって風に流されていく。
「ジュール様……」
先程の若い男が瞳に涙を浮かべ駆け寄ってくる。
「時間切れみたいだね。」
男の体が少しずつ花びらとして散りながら消えていく。
ブワッと大きな風が吹いた。
「レイナを頼んだよ。必ず幸せにしておくれ。」
花吹雪の中で優しい声が聞こえた。




