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マルコが触れた額が熱い。
エイデンにキスされた時と違って、全くドキドキはしないけれど、不思議と嫌ではなかった。
「お願い、あなたが言う私が忘れてしまったことを教えてほしいの。」
マルコがふぅっと小さく息を吐いた。
「座りましょうか?」
マルコと二人、岩にもたれるようにして腰かけた。
静かだわ……
こうして静かに座っていると、蝶の羽音まで聞こえてくるような気がする。まるで世界に二人だけ取り残されたようで何だか物悲しい。
「さっき私のことをマルクスと呼びましたが、何か思い出しましたか?」
いいえ、と首を横に振る。
「何故だか自然と口から出たの。それと……」
気を失っている時に見た夢の話をする。
「そうですか……そんな夢を……」
「あなたの名前はマルクスなの?」
私の問いかけに、マルコは頷いた。
「ええ。マルコは愛称で、マルクス ガードランドが私の本当の名前です。」
マルクス ガードランド……
私のいとこなのだからガードランドの名をもっていても当然なのだが、何だか不思議な感じだ。
「あなたの見た夢は昔の私達ですよ。」
マルコの私を見る瞳は今までと違ってとても優しかった。
「あなまが6歳、私が10歳の時ガードランドは滅びましたが、それまでここで二人よく遊びました。」
ダメだわ……全く何も思い出せない。
目の前に広がる景色を美しいとは思うけれども、懐かしいとは思えなかった。
「あなたはとてもお転婆で可愛らしかったですよ。」
そう言ってマルコは懐かしむような、慈しむような表情で私を見た。
「どうして私、何も覚えてないのかしら?」
6歳までここで過ごしたのなら、少しくらい覚えていてもいいのに。
マルコの顔が暗くなる。
「それはあなたがガードランドのことを忘れてしまったからですよ。いえ、あなただけじゃありません。世界がガードランドのことを忘れてしまったんです。」
「確かに私はガードランドのことをそんなに覚えてないけど、世界中から忘れられたわけじゃないわよ。」
現にエイデンの祖父であるジョージはガードランドの話をしてくれる。
「本当にお気楽ですよね。」
マルコがはぁっと呆れたようなため息をついた。
「今まで不思議に思ったことはないんですか? たった数十年前に滅んだ国の場所が忘れ去られてしまったことに。」
滅んでほんの数十年のガードランドが古の国と言われることに違和感はないのかとマルコが言う。
「それに、ガードランドの生き残りが今まであなただけなことに疑問はなかったんですか?」
マルコに問われて始めて考えることばかりだ。
小さい頃、竜の門を閉じて国が滅んだとは言われていたけれど……
「生き残りが私だけっていうのは間違ってない? あなたのことは知らなかったから、ガードランド王家は私だけしかいないと思ってたけど。」
ガードランド出身者には会ったことはないけれど、探せばきっといるはずだ。
「そんな人はいませんよ。」
マルコはククッと冷たく笑った。
「皆記憶を塗り替えられましたから。」
マルコの声はぞくっとするほどに冷たかった。
「記憶を塗り替えられたって、そんなこと有り得るの?」
「ええ。」
とマルコが言った。
「龍の力があれば、記憶の操作など簡単なことです。」
「知らなかったわ。龍の力ってすごいのね。でもどうしてそんなことを?」
わざわざ記憶操作してまでガードランドのことを人の記憶から消す必要なんてあるのかしら?
「……少し昔話をしましょうか。あなたが産まれてからガードランドが滅びるまでの物語を……」
そう言ってマルコは悲しい話を始めた。
☆ ☆ ☆
「レオナルド!!」
執務室のドアを勢いよく開け、部屋へなだれ込む。
「陛下!?」
「ど、どうしたんだい?」
手にしたプチシュークリームを口に放り込もうとしていたレオナルドが驚いたように目を丸くした。
「何かありましたか?」
予定より早い帰国に、カイルが心配そうな顔をする。
「マルコはどこだ?」
俺の言葉にレオナルドが首をかしげる。
「どこだって言われても……マルコはエイデンについてサンドピークに行ったじゃないか。」
「じゃあ帰ってないんだな?」
「帰って来てないけど……何かあったのかい?」
やっぱり帰ってないのか……
何とも言えない怒りがわいてくる。
「レイナがいなくなったのよ。」
ジョアンナが軽く今までの流れを説明する。
「ではフレイムジールへと知らせを届けるマルコが戻らず、レイナ様も牢から消えてしまったというわけですね。」
はぁっとカイルがため息をついた。
「どうしてこういつもいつも問題が起こるんでしょう……」
カイルが首を振りながら呆れたような表情を見せた。
「それでマルコがレイナを憎んでるかもしれないって思って急いで帰って来たんだね。」
大変だったねとレオナルドが言った。
「マルコは一体どんな奴なんだ?」
「どんな奴って……エイデンの知ってる通りだよ。」
知ってる通りと言われても、俺はそんなにマルコについて知りはしない。
「私もそんなに詳しいことは知らないんだ。だから教えてあげられることはあまりないなぁ。」
レオナルドが困ったような顔をする。
「そんなよく知りもしない奴を側に置いていたのか?」
信じられない気持ちでレオナルドを見た。
「マルコとは国を出てしばらくしてから出会ったんだよ。どの国だったかは忘れたけどね。」
「それで連れて来ちゃったの?」
ジョアンナが聞いた。
「まぁそんな感じかな。なんだか悲しい瞳をしていてね……多分辛いことがあったんじゃないかとは思うんだけど、特には聞いてないんだよ。」
人には知られたくないことや聞かれたくないことだってあるだろうっとレオナルドが小さく笑った。
そりゃそうだが……
レオナルドの向かいの椅子に腰掛けた。
「俺が知りたいのは、マルコが本当にレイナを憎んでいたかどうかだ。」
レイナと同じ時にマルコがいなくなったのだから、マルコが怪しいのだが……まだマルコがレイナを攫ったと決まったわけではない。
マルコがレイナを憎んでいたのならその可能性は高くなるが……
「シャーナ様は、マルコがレイナ様をすごい瞳で見ていたと仰ったんですよね?」
カイルの問いに、
「ああ。憎しみのこもった目で見ていたと言ってたぞ。」
そうですか……とカイルは考えこむような仕草を見せた。
「それはちょっと間違えてると思うな。」
レオナルドが口を開いた。
「マルコがレイナを見る目は憎んでいると言うより……」
「レオナルド様!」
カイルがレオナルドの言葉を遮る。
なんだ?
二人の様子が何だかおかしい。
「隠したって仕方ないじゃない。」
そうジョアンナが口を挟んだ。
「しかし……」
カイルの言葉を無視してジョアンナが言った。
「マルコはレイナを愛しそうに見つめてたわよ。そしてそれをバレないよう必死で冷たい表情で隠してたって感じ。」
頭をガンっと殴られたような衝撃を感じる。
愛おしそうにって……マルコはレイナの事が好きだったのか?
「お前達そのこと知ってたのか?」
俺の問いかけに、レオナルドとカイルが気まずそうな顔をする。
「秘めた恋って奴ですね。」
アランが楽しそうな声をあげた。
「何でそんな大切なこと俺に知らせなかったんだ?」
「知らせなかったわけではありません。てっきりご存知かと思ってましたので……」
カイルの言葉にレオナルドも頷いている。
「結構分かりやすかったんだけどね。」
「知ってたらサンドピークに同行させたりするわけないだろ。」
マルコがレイナの事を好きだとしたら、レイナに近づけたりするはずがない。
「まぁエイデンはレイナしか見てないから、きづかなくても仕方ないか。」
レオナルドがプチシューをぽいぽいっと勢いよく二つ頬張った。
「エイデン様って意外と間抜けなんですね。」
いちいち感に触ることを言うアランは無視する。
「じゃあマルコがレイナを自分のものにするために連れ去ったってことか?」
うーん……とレオナルドが唸り声を出す。
「マルコがそんなことするとは思えないんだけどなぁ……」
「じゃあレイナはどこに行ったんだ?」
誰も答えが分からず黙ってしまう。
俺が知りたいのはレイナの居場所なのだ。
「マルコが行きそうな場所に心当たりはないのか?」
レオナルドが首をひねる。
全く役に立たない……
「まぁ少し落ちつきなよ。」
レオナルドがプチシューの皿を俺の前に移動した。
「少しわけてあげるからさ。」
はぁっとため息をつく俺にカイルが言った。
「ところで……この方は誰でしょう?」
「えっ? 僕?」
っとアランが自分を指差した。
そう言えばカイル達にまだ紹介してなかったな。
フレイムジールへ連れて来る予定はなかったが、なぜかついてきてしまってアランを見る。
「あっ、カイルにも見えてたの?」
レオナルドが嬉しそうな声を上げた。
「よかった。誰もつっこまないから、私にしか見えない亡霊なのかと思って怖かったんだ。」
レオナルドがほっとしたように笑った。
「やだなー、生きてますよ。」
そう答えるアランも楽しそうに笑っている。
なんなんだ、こいつらは……
何だか頭が痛い……
結局何も分からないまま、意気投合したレオナルドとアランを残しレイナの部屋に入る。
レイナ……無事でいるだろうか?
行き先に手がかりすらないことに絶望に近い気持ちがわく。
でもきっと見つけ出してみせる。
手がかりがないから、世界中くまなく探せばいいだけだ。そう自分に言い聞かせた。
疲れた……サンドピークから急いで帰ってきたので体はクタクタだった。
レイナのベッドに倒れこむ。
枕からふわっと微かにレイナの香りが漂ってくる。
何となく甘いその匂いに、切なさが込み上げる。
やばいな……
レイナの残り香を嗅いでるなんて誰にもバレるわけにはいかない。
そう思いながらも、レイナのいない寂しさを埋めたくて、レイナの枕に顔を埋めた。
好きな女の枕を匂うなんて、今までの俺からは考えられないことだなと自分で自分がおかしくなってくる。
俺って変態だったのか?
いやいや枕の匂いなんて皆嗅いでるだろ……
頭の中で小さな俺が数匹集まってくだらないやりとりをしている。
「ん?」
何だか背後に気配を感じて頭を上げた。
「えっ?」
自分が見ているものが何なのか分からず、言葉がうまく出なかった。




