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「レイナがいなくなった?」
一体どういうことだ?
部屋の中に戸惑いと不安が蔓延していく。
「サンドピークの牢獄は、女が一人で抜け出せるほどお粗末なものなのか?」
「そ、そんなことは……」
報せを届けたメイドに食ってかかるが、どうにもなりはしない。
「一体どういうことなのでしょう?」
ウィリアムが顎に手を当て考え込む仕草を見せる。
「レイナ様……」
ビビアンは心配のあまり顔色が悪い。
「とにかく、私は行ってくるから。」
ビビアンの服を着て、エプロンとボンネット帽を被ったジョアンナが二人の王を従えて部屋を出て行く。
いくら服だけ変えてもあの大きな態度では、すぐ正体がバレてしまいそうなものだが、仕方がない。
「一体何をするつもりなんだろうな……」
誰にと言うわけでもなく呟いた。
何にせよ、自分が自由に動けないこんな状態ではジョアンナに期待するしかない。
はぁ……
何度ため息をついただろうか……ジョアンナが出て行って15分ほどたった頃、シャーナを伴ってエメリッヒ国王が部屋を訪ねてきた。
「窮屈な思いをさせて申し訳ない。」
エメリッヒ国王の言葉に俺が答えるより早く、シャーナが口を開いた。
「婚約者がしでかしたことを考えたら、当然の処遇ですわ。」
何をいけしゃあしゃあと……キリキリと歯を食いしばりながら、シャーナを睨むように見つめる。
しかしここでシャーナを糾弾しても、何も好転しないことは分かっている。今は何よりも情報が欲しい。
「レイナが消えたとの報告を受けましたが、一体どういうことでしょう?」
「それは我々の方がお聞きしたい。彼女はどこです?」
こいつらは俺がレイナを隠していると思っているのか?
「我々はレイナが牢に入れられた後、彼女には会っておりません。何せこの部屋に入れられてますので……」
「ジョアンナの姿が見えませんが……」
シャーナがにっこりと微笑んだ。
「ジョアンナは昼の観光で疲れたと煩いので、奥の部屋で休ませてます。」
メイドのふりをして部屋を出たのはまだバレてないのだな。部屋を見て姿を確認すると言われたら、さてどうするか……
「……マルコでしたっけ? あなたが連れて来たレオナルドの従者の姿が見えませんけど。」
ジョアンナについて深く追求されずにすんで、とりあえずはほっとする。
「マルコはフレイムジールへの使いとして出しました。レイナの濡れ衣を晴らすにはカイルの助けが必要なので。」
レイナが牢に入れられたと聞いてすぐ、マルコにはカイルを呼びにフレイムジールへと戻らせている。
マルコなら早馬ですぐにフレイムジールに着くことができるだろう。
「そもそも私はレイナがクリスティーナ姫を刺したとは思っていませんので。レイナを牢から出してより疑われるようなことなどするわけがないでしょう。」
エメリッヒ国王に真剣に語りかける。
「あなたが出さなくても、あなたの婚約者が勝手に出てくるかもしれなくてよ。」
シャーナの言葉にカチンとする。
普通に考えて、あんな非力な姫が一人で牢から抜け出せるわけがないだろう。
「レイナが一人で簡単に逃げ出せるなんて、サンドピークの牢はさぞや立派なんでしょうね。」
俺の皮肉にシャーナはふっと笑った。
「普通は無理でも、あなたの婚約者なら分からないでしょ。なんせ化け物なんですから。」
「もうよさないか。」
エメリッヒ国王が口を開いた。
「……真相が分かるまで、あなたにはもうしばらくこちらにいてもらいますぞ。」
そう言い残し二人は部屋を後にした。
「……エイデン様、血が……」
ビビアンがそっとティッシュを俺の口元に当てた。
「……」
噛み締めていた唇がいつのまにか切れていたらしい。ティッシュに赤い血が染みついていく。
「化け物か……は、ははっ。」
静まり返った部屋に乾いた笑い声が響いた。
化け物、それは小さい頃に何度も母から言われた言葉だった。
☆ ☆ ☆
「あ、来た来た。」
メイドの格好をしたままのジョアンナが俺の姿を見つけ手をあげた。
「まだそんな格好してたのか?」
俺の言葉を無視してジョアンナが部屋の中を覗くよう言った。ドアの前ではエメリッヒが疲れ果てた顔で立っていた。
「エイデン王……」
目が会うやいなや、エメリッヒがこちらに寄って来る。
「こちらに来るように言われたのですが……」
部屋にいろと言っていたのに、今度はエメリッヒが呼んでいるからとこちらへ連れて来られたのだ。
「……中を見ていただきたい。」
そう言われて部屋の中をそっと覗きこむ。
「これは……」
ベッドに横たわるクリスティーナの周りには、壊れた家具や、切れ切れのドレスが散乱していた。
何だこれは? 賊でも入ったのか?
「エイデン、見てて。」
呆気にとられている俺の横でジョアンナが動いた。
「おいっ。」
焦って手を伸ばすが、遅かった。
ジョアンナが持っていた盆を勢いよくクリスティーナ目掛けて投げつけた。
フリスビーのように飛んだ盆は、クリスティーナに当たることはなかった。クリスティーナに当たるより前に切り裂かれ、床にボトボトと落ちたのだ。
「これは……風の力か?」
「ね、すごいでしょ?」
ジョアンナがしきりに感心している。
サンドピーク王家は風の一族だ。
姫であるクリスティーナも風の力を持っているとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。
自分の意識がなくなっても魔力はこうやって持ち主を守るのだと知りちょっとした感動を覚えた。
「ボサッと突っ立ってないで、この風何とかしなさいよ。」
ジョアンナがドンと俺の背をどついた。
「何とかって……俺にどうしろって言うんだ。」
「この風はクリスティーナが自分を守るために起こしてるんだから、大好きなエイデンなら切り刻まれないって。」
だから試しに近づいてみろと、容赦なく俺の背中を押す。
「バ、バカじゃないのか?」
どう見ても意識のないクリスティーナが近づいてくるものを無差別に攻撃しているようにしか見えない。試しに近づくなんて話があるもんか。
「大丈夫、大丈夫。」
さっさと行けとジョアンナがひらひら手を振る。
「そもそも好きな人間を攻撃しないのなら、俺よりもまず身内の方が適任だろ。」
「……まぁね。でも……」
ジョアンナがチラリとエメリッヒを見る。
「もう試し済みってわけか。」
心配そうな顔でクリスティーナを見つめるエメリッヒの顔や手には軽い擦り傷が付いていた。
「そういうこと。だからあなたが来るよう頼まれたってわけ。クリスティーナがあなたのことを好きなのは皆知ってることでしょ?」
「エイデン様。」
クリスティーナの兄であるサンドピークの皇太子、ロナウドが俺の姿を見つけ駆け寄ってくる。
「お願いです。クリスティーナを、クリスティーナを助けてください。」
俺にすがりつくようなロナウドに微かな同情を覚える。その服やズボンの破れを見ながら、こいつも試してみたんだなとぼんやりと考える。
やっぱり近づくものは無差別ってわけだよな。
そこまで考えて、ん? っと疑問がわいてくる。
「俺がクリスティーナに近づけたとして、一体どうするんだ? 俺は医者じゃねーんだから、具合なんか分からないぞ。」
「それは僕が……」
そう言って一人の少年がジョアンナの隣に立った。
「お会いするのははじめてですね。」
はじめましてと微笑む少年の顔にはまだあどけなさが残っている。
「ジョアンナ様の未来の夫の、アランです。」
思わず口があんぐりあいてしまう。
未来の夫だって?
ねっとジョアンナの肩にそっと手を置きながらアランがにっこりとジョアンナに笑いかけた。
「誰が未来の夫よ?」
ジョアンナがアランの手を振りほどく。
「あれー、クリスティーナ様を助けたら結婚してくれるって言いませんでしたか?」
「言ってないわよ。デートくらいするって言っただけでしょ?」
二人のやりとりを見ながら軽い頭痛がしてくる。
「ジョアンナの夫って……お前いくつなんだ?」
どう見ても俺より下だよな。
まじまじとアランの顔を見る。
「18ですよ。」
アランが答えた。
18……一瞬くらっと目眩がする。
「おいババア、何子供に手出してんだ。年考えろよ。」
「手なんか出してないわよ。この子が勝手に言い寄ってくるんだからしょうがないでしょ。」
「ジョアンナ様にババアなんて暴言、許せませんね。」
「ややこしくなるから、アランは黙ってて。」
ジョアンナとアランが口々に反論する。
だめだ……
ただでさえ悩みの種が多いのに、また新たに現れた頭痛の種に、大きなため息と共に頭を抱えるのだった。




