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「本当に賢いお姫様ね。」
いつ部屋にやってきたのか、突然現れたシャーナを見て私達は固まっていた。
「ねぇ、知らないの? 女の子はね、少しお馬鹿なくらいが可愛いいのよ。」
にっこりと笑うシャーナの笑顔が不適で恐ろしい。
「ビビアン……」
なんてことなの……
シャーナの後ろで黒ずくめの男に腕を掴まれているビビアンの首元には、キラリと光るナイフがあてられている。
「全く、何をこそこそしてるのかと思ったら……あれだけ城下町見学ツアーに参加するよう言ったのに。」
シャーナがクリスティーナを咎めるように見た。
「わたくしがどこにいようとシャーナ様には関係ないじゃありませんか。」
クリスティーナも負けてはいない。
「ま、ここでガタガタ言ってても仕方ないわね。」
シャーナの合図で黒ずくめの男がビビアンの鼻と口を布で押さえた。ビビアンが崩れ落ちる。
「ビビアン。」
駆け寄ろうとする私をシャーナがとめる。
「動かないで。」
再び黒ずくめの男が動いたのを瞳がとらえた時にはもう遅かった。
男の手から放たれた小さなナイフが勢いよくクリスティーナのお腹に突き刺さる。
「クリスティーナ様。」
一瞬の出来事で、クリスティーナ本人も突き刺さったナイフに目を見張っている。
「そんな……」
ゆっくりと倒れこむクリスティーナの体を支えた。
「クリスティーナ様、大丈夫ですか?」
お腹に付き刺さったナイフが痛々しい。ドレスには血が染み出してくる。
「すぐにお医者様を呼びますからね。」
クリスティーナの体を支えながらシャーナの様子をうかがう。
私がクリスティーナを抱えたままシャーナ達二人から逃げることは到底無理だ。床に倒れたままのビビアンもほってはいけないし……どうしよう……
ぽたんと落ちるクリスティーナの血を見ると、焦って全くいい考えが浮かばない。
「下手くそ。なんで一発でしとめられないのよ。」
シャーナが黒ずくめの男に悪態をつく。
急所を外れていたことが幸いし、クリスティーナは意識もあるし体も動かせる。
でも……このままだといつまでもつか分からないし、逃げられもしない。
「うっ……」
痛むのか、クリスティーナの顔が歪む。
「クリスティーナの方はさっさと片付けてしまってね。レイナ姫にはまだやってもらわないといけないことがあるから生かしといて。」
そう言いながらシャーナが部屋を出ていこうとする。
「なんで? なんでクリスティーナ様を?」
エイデンへの嫌がらせに私を消すならまだ理解できる。でもクリスティーナ様を殺そうとするなんて……
「……理由はそのうちわかるわよ。」
ニコッと笑うシャーナの顔は、この場に相応しくないくらいに明るく綺麗だった。
ひらひらと手を振りながらシャーナが部屋を後にするのを見送って、黒ずくめの男が私達に歩み寄る。
あー、もう。
どうすることもできず、クリスティーナを抱えるようにして男を睨みつける。
にやりと男が不敵な笑みを見せた。
「ダメ。」
抵抗もむなしく、男の手が私からクリスティーナを奪いとる。
「やめて。」
男がクリスティーナに刺さったナイフを抜こうと手をかける。
だめだめ……クリスティーナ様がやられてしまう。
エイデン……お願い助けて。
ボッ
一瞬男の手に紅い炎がまとわりつく。
今のって……?
男がナイフから手をはなし、首を傾げる。
何もないことを確認したのか、再び男が動きだす。
ダメ。
そう思った途端に再び炎が捲き上る。
一瞬で消えてしまったけれど、あれは間違いなくエイデンの炎だった。
私がやってるの?
だったらお願い、クリスティーナ様を守って。
「お願い、エイデン私に力を貸して……」
手を握り合わせ、目をつぶり祈るように願った。
体の中から何かが溢れていくような、何かに包まれているような、温かで不思議な感覚に襲われる。
「……うおっ。」
紅い炎が男を取り囲む。
慌てふためく男を見ながら急いでクリスティーナの元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
クリスティーナがはぁはぁと苦しそうな表情を浮かべながらも頷いた。
ビビアンは?
様子を見ようとする前に、男が襲いかかってくる。
「うおー。」
男が叫びと共に火に包まれる。
大変。
このままじゃ、焼き殺してしまう。
焦って火を消そうとするけれど、どうやって消したらいいのか分からない。
「お願いよ、もう火はいいからおさまって。」
私の叫びに反応して、新たな火柱がたちのぼる。
うそでしょ……
このままじゃ私達まで焼かれてしまう。
「すごい、ですね。」
クリスティーナの声は掠れている。
「これはエイデン様の炎ですよね……」
こんな風に守られているなんて羨ましい……
消え入りそうな声でクリスティーナが言った。
もう立つ力もなくなってしまったクリスティーナの上半身を何とか支える。
「レイナ様……」
クリスティーナが細く綺麗な手を私にのばす。
その手をきゅっと握りしめた。
クリスティーナの瞳が微かに細まった。
「レイナ様と……仲良くなれてよかった……もし助かったら……今度は……サボテン料理……」
クリスティーナの切れ切れの言葉に必死で首を縦にふる。
涙が溢れ出してくる。
クリスティーナが静かに瞳を閉じた。
ええ、ええ、サボテン料理一緒に食べましょう。
だからお願い助かって。
「キャー。」
私達を取り囲む炎の向こうで叫び声が上がった。
よかった、誰か来たみたい。
クリスティーナを見ると顔色は白く血の気がないけれど、息はある。
よかった。
ザワザワし始めた部屋の中で救助を待ちながら、クリスティーナの冷たい体をしっかりと抱きしめた。
☆ ☆ ☆
「もう夜なのね……」
小さな窓から月の光が差しこんでいる。
ビビアンとクリスティーナ様は無事かしら?
はぁっと小さなため息がもれた。
きっとエイデン心配してるでしょうね。
それにしても……まさか牢獄に入れられちゃうなんて……
冷たいベッドに腰掛けて、目の前の鉄格子をぼんやりと眺めた。見張りはいないが、頑丈そうな鍵がその存在感を放っている。
はぁっ。
恐ろしいほどの静寂に、私のため息だけが響いている。一体いつになったらここから出られるのかしら?
燃え盛る炎の中から助け出されほっとしたのもつかの間、すぐに捕らえられここに閉じ込められてしまった。
「クリスティーナを刺したのは、レイナ様よ。」
厳しい声で私を捕まえるよう命じたシャーナは、私と目があうとニヤリと笑った。
あの時シャーナ様が私にはまだやるべきことがあるから生かしておくよう男に命じたのは、このためだったのかしら?
たしかに部屋をあれだけ燃やしてしまったのだから、完全に無罪ってわけじゃないかもしれないけど……クリスティーナ様を刺した犯人にされるなんて、たまったもんじゃない。
「これじゃあ、クリスティーナ様の言うとおりになっちゃいそうだわ。」
クリスティーナ様はシャーナ様がフレイムジールとサンドピークを争わせたいのではないかと言っていた。
このまま私が犯人にされてしまったら、戦が起こらないにしても両国関係は今までどおり良好とはいかないだろう。
何とか誤解を解かなければ。
でもシャーナ様の企みである以上、ここで私が何を言っても誰も信じてはくれないわよね。
皆の誤解を解くには、クリスティーナ様が回復して説明してくれるしかないように思えた。
やっぱりまだまだここから出られそうにないわね。
ベッドの上に座ったまま足を抱えて丸くなる。
「煙臭い……」
さっき炎に巻かれた時に煙のにおいがついてしまったみたいだ。
右手を広げて、えいっと唱えてみる。
「やっぱりダメかぁ。」
手のひらサイズの炎でも出れば明るくなるのにと思ったが、無理だった。
もう一度膝を抱え、頭をのせて目をつぶった。
あの時の炎はやっぱりエイデンの炎だったのかしら?
今まで感じたことはなかったけれど、あの時は何かが体をとりまいているように感じた。
私を封印する時に使ったエイデンの魔力が私の中にまだ残ってたのかもしれないわね。
本当にいつもエイデンは私を助けてくれる。
ガチャガチャと音がして慌てて顔を上げた。
誰かしら?
暗がりで動く人物に、不安で胸がドキドキと音を立てる。
「レイナ様、ご無事ですか?」
鍵を開けて入って来た意外な人物に驚いた。
「マルコ? どうして?」
なんで普通に鍵をあけて入ってこれたの?
私の容疑は晴れたのだろうか?
「エイデン様の命で助けに来ました。さあ行きましょう。」
「え、でも……」
「このままでは、反論することなく処罰されてしまいます。」
まだ私の容疑は晴れていないのだと分かり暗い気持ちになる。
「大丈夫ですよ。このままこっそりフレイムジールに戻り、後はエイデン様にお任せしましょう。」
マルコがにっこりと微笑んだ。
その笑顔に心がざわめく。
なんだろうこの違和感……
いつも私を冷たい眼で見るマルコから向けられる笑顔に戸惑ってしまう。
それでも牢獄から出たい気持ちには勝てなかった私は、マルコから差し出された手をとってしまった。




