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この胸のぬくもりを、なんと呼べばいいのか俺は知らない。
物心ついた時には母はいなかった。
存在しないわけではなかったが、俺にとっては母という名前の、メイドよりも遠い他人だった。
まさかジョアンナが俺の事を見守ってくれてたとはな……
たしかに俺の事を恐れずに口煩く命令されてはいたが。母のような気持ちを持っていてくれたとは思いもしなかった。
全く分かりにくいったらない。
二人きりになった部屋でレイナが笑う。
「似た者同士なのね。」
「どこがっ。」
あんな口煩いババアに似ていてたまるもんか……
そう思いながらも、何だか口元が緩んでしまう。
孤独だと思っていた子供時代、意外にも俺は守られていたのだと思うと何だか複雑な気持ちだ。
ふふっとレイナが可愛らしく笑った。
「何だよ。」
「エイデンが一人で微笑んだり眉間に皺をよせたり、表情がコロコロ変わるのが何だかおかしくって。」
そんな変な顔してたか?
慌てて表情を引き締める。
「レイナ、今日は悪かったな。」
レイナはサンドピークに来るのを楽しみにしていたのに、こんなことになってしまうとは……
「私は大丈夫よ。」
それより私のせいでごめんねとレイナが悲しそうな顔をする。
俺と母親の関係を心配しているのだろう。
そもそも母とは無関係なのだから、今更関係が悪化することもない。
レイナは母が俺の為にサンドピーク王と結婚したという話を聞いてから、母が俺のことを本当は気にかけていると思っているようだが、俺には信じられない。
だからレイナには聞かせたくなかったが、母には遠慮することなく抗議をしてきた。
そもそも国土のほとんどが砂漠であるサンドピークが豊かなのは、フレイムジールの協力があってのことなのだ。
しっかりとその辺を思い出させておいたから、もう二度といらないことは言わないと思うが……
あの母のことだから油断はできない。
青い顔をしたエメリッヒ国王の横で、泣き出しそうな顔をする母に心底嫌気がさした。
いい年して泣けばいいと思っているのだろうか……
きっとエメリッヒ国王は母を責めることはないだろう。結婚してから長いが、いまだに母に夢中なのは明らかだった。
禁忌の子か……
世間ではレイナはそういう存在なんだな。
レイナを引き寄せてそっとキスをする。
そのほんのり染まった頬がたまらなく愛しい。
可愛いレイナ……
「何が禁忌の子なもんか。こんなに可愛いいんだ。きっと神だって愛さずにいられない。」
……って俺は何を言ってんだ。
自分の言葉に思わず赤面してしまう。
熱くなってしまった顔を見られたくなくて、レイナを腕の中に閉じ込めた。
レイナは安心したように瞳を閉じて、俺の胸に頬を当てている。
その穏やかな顔を見ていると、それだけで優しい気持ちになってくる。
自分にこんな穏やかで優しい時間がやってくるなんて思ってもみなかった。
レイナの素直で分かりやすい愛情を感じていると、何かが満たされていくのを感じる。
レイナの笑顔のためならば、何でもできるような気すらしてくる。
満たされた余裕からなのか、レイナが喜ぶからなのか分からないが、最近ではレイナ以外の人間にも優しい気持ちが持てるようになってきた。
そしてそんな自分が俺は嫌じゃない。
「明日から大国会議で一緒に過ごせないし……今日は俺もここで寝るかな。」
だいたい俺じゃなくジョアンナと同室なんておかしいだろ。
「でも……」
少し困ったような顔でレイナが俺を見上げる。
「何か問題あるか?」
なんとなくムカッとしてしまう。
俺はこんなにもレイナと離れがたく思っているのに、レイナは違うのか?
「問題っていうか……ここはサンドピークだし一緒に寝てるのが知られるのは恥ずかしいから。」
「別に毎日一緒に寝てるんだから、そんなの気にすることないだろ。」
そう言ってレイナをヒョイっと横抱きにする。
「でも……」
まだゴネるレイナをベッドの上に優しくおろした。
「そんなに俺といるのが嫌なのか?」
「そうじゃないけど……」
レイナがごにゃごにゃしている。
「……私も一緒にはいたいけど……エイデンと一緒だと寝れないっていうか……ジョアンナ様は隣の部屋にいるから……」
レイナの赤く染まる顔を見て、ああそういうことかと納得し、思わずふっと笑みが漏れた。
「なんだ。普通に一緒に寝るだけのつもりだったが……レイナが期待してるんならこたえなきゃいけないな。」
そう言ってベッドに体をのせた。
「き、期待なんてしてないわ。」
頭から湯気でも出るんじゃないかと心配になるくらい真っ赤になったレイナを見て、思わず笑い声が出てしまう。
本当に可愛いな……
絶対にレイナだけは手放せない。
そう思いながら、レイナを優しく抱きしめた。
☆ ☆ ☆
「本当に行かれなくてよかったんですか?」
朝になりエイデンはマルコと共に大国会議に参加している。
会議に参加しない客のためにと、城下町見学ツアーなるものが企画されていたのだが、昨夜のことがあるため私は不参加にしたのだ。
「ええ。後でジョアンナ様とウィルから一緒に話を聞きましょ。」
私を気遣ってくれるビビアンにそう返事をした。
「大国会議が終了してフレイムジールに帰る前にはエイデンが少しだけ町に寄り道してくれるって言ってるから、そこでお祖父様とミアのお土産を買うつもりよ。」
「では私達はバルコニーで紅茶でもいただきましょう。」
ビビアンが手際よく紅茶とお菓子の用意をしていく。
「昨夜はエイデン様とお休みになられたみたいですね。」
ビビアンに言われてかぁっと顔が赤くなる。
なんだか恥ずかしいわ。
そんな私を見てビビアンが優しく微笑んだ。
一緒に寝ているのを知られるのは恥ずかしいので、ジョアンナが起きる前にエイデンには自分の部屋に戻ってもらう予定だったのだが、失敗した。
何だかんだで寝過ごしてしまって、エイデンが私の寝室から出るのをジョアンナにバッチリと目撃されてしまった。
「へー。」
っと言ってにやにやするジョアンナの視線から逃げるように部屋にこもってゆっくりと朝の支度をした。
やっぱり今夜は恥ずかしいからエイデンには自分の部屋で寝てもらわなくっちゃ。
「それにしても砂漠を見てると、私達って本当にちっぽけな存在だって思えるわね。」
眼前に広がる雄大な景色に見入ってしまう。
自然とは本当におそろしくもあり、美しくもある。
二人でただ静かに砂の流れていく景色をただ眺める。それはとても贅沢な時間に思えた。
「あら? 誰かいらっしゃったみたいですね。」
ドアをノックする音にビビアンが席を立つ。
どうして?
ビビアンが私の元に連れて来た人物を見て、戸惑ってしまう。
「クリスティーナ様……どうされたんですか?」
てっきりクリスティーナもジョアンナ達と城下町にいるのだと思っていた。
「お邪魔してすいません。レイナ様と少しお話がしたかったので……一緒にジュース飲みませんか?」
差し出されたジュースの瓶を受け取った。
「これは?」
正直あまり飲みたくないような緑色のドロッとした液体にギョッとする。
「サボテンジュースです。見た目よりおいしいんですよ。それに健康にもいいんです。」
まぁせっかくなので……
クリスティーナと二人でバルコニーに座り、一緒にジュースを飲んでみることにした。
やっぱりすごい色……
グラスに注がれていく液体を見ながら何となく不安になってくる。
そもそもサボテンって飲めるの?
あのトゲトゲした緑色の植物を、一体だれがジュースにしようなんて思ったのか不思議でならない。
私がグラスに口をつけるのを、クリスティーナがじっと待っている。
何かの罠じゃないわよね。
そう思いながらも、意を決して一口飲んでみる。
「えっ! 美味しい。」
粘りけがあるけれど、味はスッキリしていて悪くない。
「よかった。」
そう言ってクリスティーナもグラスに口をつけた。
「この国では一般的な飲み物なんですけど、見た目からか敬遠されることも多くって。」
「正直に言うと、私も飲むのに勇気がいりました。でも想像と違って甘くて飲みやすいです。オレンジも入ってますか?」
クスッとクリスティーナが笑いながら頷いた。
「ええ。サボテンとオレンジと蜂蜜を混ぜて作りました。」
道理で甘くて飲みやすいのだと納得する。
「サボテンは食べても美味しいんですよ。」
クリスティーナが楽しそうにサボテンの料理について教えてくれる。その顔はいつもの裏がありそうな笑顔ではなく、心からこの会話を楽しんでいるように見えた。
「クリスティーナ様はサボテンがお好きなんですね。」
今までのクリスティーナよりも好感がもてるその笑顔に、私も笑顔になっていた。
「サボテンはこの国の名産ですから。」
クリスティーナがバルコニーの柵の向こうに広がる砂漠に目を向ける。
「私はこのサンドピークが大好きなんです。国は兄が治めますが、私もこの国の姫としてこの国のために生きたいと思っています。」
そう言ったクリスティーナの表情は、今までに見た彼女の中で一番凛として美しかった。




