55
「レイナ、昨日はお疲れ様。」
昨夜の夕食会の緊張で疲れ果て、気だるい朝を過ごしている私の元へアダムはやって来た。
「レイナが来てくれたおかげで助かったよ。やっぱり美人のパートナーを連れて行くのは気分がいいもんだね。」
あれだけ沢山の令嬢達に囲まれておきながらよく言うわ。そう言ってやりたい気もするが、言えるはずもなく、
「それはどうも……」
とだけ答えた。
「アダム様はとってもおモテになるみたいですから、わざわざ私が恋人のふりをせずとも、いくらでもパートナーになりたい女性がいるのでは?」
皮肉めいた口調になってしまったが、アダムは全く気にする風もなく、
「まぁね。」
と答えた。
「でも私に想いを寄せるレディの中から、ただ一人を選ぶのなんて難しいだろ?」
少しだけお茶目にアダムが言った。
なんだろ……すごくイラっとする。
やっぱり昨日の疲れがとれていないのかもしれない。
「適当に選べばいいじゃないですか。皆お綺麗なんですから。」
そう言う私に少しだけ真面目な顔でアダムが言う。
「皇太子である兄の婚約披露パーティーなんかに連れて行ったら、その子は自分が特別な存在だと勘違いするかもしれないじゃないか。」
「ではお友達にお願いしてみてはいかがです?」
そして早く私を解放してくれ。
そう願ってみるが、アダムは即答した。
「残念ながら女性の友達はいないね。」
「いないんですか?」
「ああ。女性達はなぜかすぐに私のことを好きになってしまうから、なかなか友達にはなれなくてね。」
「……」
真顔で答えるアダムにかける言葉が見つからない。
まぁ、あながち嘘ではないのだろうが、なんだかなぁ……
そう思いながら昨夜のアダムのことを思い出す。
アンジェリーナのことを愛しそうに見つめていたように見えたのは、やっぱり私の気のせいかもしれない。秘めた恋なんて、アダムには全く似つかわしくない言葉に思えた。
「どうしたんだい?」
急に黙りこんでしまった私にアダムが声をかける。
「いえ……」
「もしかして、見惚れてたとか?」
冗談っぽく言うアダムにまた少しだけイラっとしてしまう。
「そうではなくて……デイビッド様とアンジェリーナ様はお似合いだったなって考えてたんです。」
もしアダム王子がアンジェリーナ様の事を好きだとしたら、私はかなり意地悪だよな……
そんな風に思いながらアダムの出方を伺う。
一瞬、真顔のアダムと視線がぶつかる。
「そうだね。」
アダムがいつもの微笑みでそう答えた。
やっぱりアダム様はアンジェリーナ様のことを好きなわけじゃないのかしら?
「少し庭を散歩しようか。」
アダムが唐突に言って、立ち上がった。
疲れてはいるが、散歩は大歓迎だと喜んで外へ出る。
「さむいっ。」
冷たい風に身が縮まりそうだ。
防寒着を着ててよかったわ。
両手をもんで、指先を温める。
またこの季節がきたのよね……
このままじゃ、私の誕生日までにフレイムジールに帰れそうにないわ。
色を失った庭を歩きながら、はぁっと小さく白い息を吐く。
誕生日にエイデンに会えないなんて……
胸に切なさが込み上げてくる。
でもフレイムジールにいても、エイデンは私の誕生日なんて興味なかっただろう。
側にいて誕生日を祝ってもらえないよりは、離れていた方がまだましかしら?
どちらにしても切ないことに変わりはない。
「心ここにあらずって感じだね。」
寒そうに肩をすぼめながらアダムが言った。
「また冬がきたんだなって考えてました。」
そうだねと同意するアダムと二人で、冬の青い空を見上げる。
「……昨日、デイビッドとアンジェリーナに会ってから、少し様子がおかしかったけど……」
アダムが私を見つめる。
「何か私に聞きたいことでもあるのかい?」
そう尋ねるアダムの顔は微笑んでいるが、瞳は鋭い光を放っていた。
「い、いえ。特にありません。」
アンジェリーナ様のこと好きなんですか? なんてストレートに聞けるわけもなく、ただそう答えた。
「そう……ならいいけど……」
そう言ってゆっくりと歩き出したアダムに付き従う。
「レイナに話がないなら、私が話をしようかな。少し長くなるけどいいかい?」
もちろん構わない。
フレイムジールに帰れない以上、特にすることはないのだから。
私が頷いたのを確認して、アダムは話を始めた。
「アンジェリーナはね……もともと私の婚約者だったんだ。」
「へっ?」
しまったと思い慌てて手で口をおさえる。
いきなりの驚くべき発言で、すっとんきょうな声が出てしまった。
アダムがふっと小さく笑う。
「驚いたみたいだね。」
「すいません……」
そう答えながら頭の中は、アダムの告白でいっぱいだった。
元々はアダム様の婚約者だったのを、デイビッド様が奪ったってこと?
それにしては昨日の夕食会で会った3人の様子は穏やかすぎだ。どちらかというと、デイビッドとアダム、二人のやりとりからは、仲の良さが感じられるものだった。
それより…こんな重大なことを聞いてしまっていいんだろうか?
口は軽い方ではないが、秘密にしておくには私には重すぎる。
ぷぷっ。
アダムが声を出して笑った。
「レイナは本当に素直な子だよね。考えてることが全部顔に出てるよ。」
そう言われて慌てて手のひらで顔をおさえた。
「大丈夫だよ、心配しなくても。私とアンジェリーナのことは公然の秘密ってやつだから。」
アダムが少しだけ切なそうな顔をする。
「ただ……アンジェリーナ自身はそのことを知らないから、本人に言われると困るんだけどね。」
アダムの言葉に驚き、アダムを見つめた。
「それって……?」
「そうだよ。」
とアダムが私を見つめ返した。
「ないんだ。その時の記憶がね。」
☆ ☆ ☆
「どうぞ。」
ビビアンが私とアダムの前に紅茶を置いた。
湯気が立ち上るカップに両手を添えると、かじかんでいた手がじんわりと温まってくる。
さすがに寒すぎて口がまわらないということで、アダムと二人で室内へと戻ってきた。
「アンジェリーナはね、記憶をなくす前までアイスノワブルの氷の女王だったんだ。」
体が温まってきた頃にアダムが話を始めた。
「アイスノワブルですか?」
聞いたことのない名前に首を傾げる。
「小さな国だからね。」
知らなくても不思議ではないとアダムが言った。
「とっても美しい国だよ。一年中雪と氷に囲まれててね…」
とても柔らかな瞳でアダムがアイスノワブルについて教えてくれる。
「ノースローザンヌの貴族にもあの国のファンが多くてね。うちの母親も毎年1度はアイスノワブルに遊びに行ってるよ。」
そういう理由でアンジェリーナとの婚約が決まったのだとアダムは言った。
「アンジェリーナは氷の女王で、国から出ることはできない。だから私がアイスノワブル王家に入ることになってたんだ。」
氷の女王というのは国を守る力を持つ王族のことだとアダムは教えてくれる。
百年以上前、ノースローザンヌがアイスノワブルを占領しようとしたことがあったらしい。その時捕らえられた女王が国を出ると、一夜にして氷と雪が全て溶けて何もなくなったそうだ。
それ以来、ノースローザンヌはアイスノワブルを占領するのではなく友好関係にあるのだとアダムが言った。
「正直始めは嫌だったよ。雪ばっかりで何もないところに行かされるのはね……」
アダムがいつもの貼り付けたような笑顔ではなく、少年のような顔をする。
「まぁ第三王子だし、兄達みたいに期待もされてなかったから、国を出されても仕方ないってあの頃は思っていたな。」
どこか遠くを見るような瞳をしながらアダムは話し続ける。
「でも初めてアイスノワブルを訪れた時、こんなにも美しい国があるのかと感動したんだ。」
太陽の光を浴びて輝く、氷の城や雪山が忘れられないとアダムが言った。
「私も見てみたいです。」
そう言う私にアダムは微笑んだ。
「アンジェリーナに初めて会ったのも雪の中だったんだ。あの時は本気で……」
アダムが少しだけ照れ臭そうな顔をした。
「雪の妖精だと思ったよ。」
子供だったんだな、そう言うアダムが何だか可愛らしくて思わず笑ってしまった。
アンジェリーナの話をするアダムの顔は、今までに見たことがないくらい生き生きしている。いつもの胡散臭いつくり笑いなんかより数百倍も魅力的なその表情に惹きつけられる。
「アンジェリーナ様のことお好きだったんですね。」
アダムはイエスともノーとも言わなかったが、
「幸せにしたいと思っていたよ。」
そう答えた。
「二度目にアイスノワブルに行った時、お土産に花を持って行ったんだ。小さな花束だったんだけど、アンジェリーナがすごく喜んでくれてね……それからだったかな……アンジェリーナの為に何かしたい。もっと笑顔を見たいって思うようになったのは。」
このアダムをそれだけ夢中にするなんて、アンジェリーナはとてもステキな女性なのだろう。
夕食会で会ったアンジェリーナは、すみれ色の瞳が印象的な美しい女性だった。
「アンジェリーナは国から出たことがなかったからね。私が持って行く物も、私がする外の世界の話も、全てが新鮮だって言ってたよ。私は今まで兄弟の中でも出来損ない扱いだったし、誰からも必要とされてなかったから……」
アンジェリーナが自分の訪れを心から喜んでくれているのを見て、自分の居場所を見つけた気がしたとアダムが言った。
「それがどうして……?」
アダムではなくデイビッドと婚約したのだろう?
そもそもアンジェリーナは国から出られないのではなかったのか?
「私のせいなんだ……」
アダムが小さな声で言った。
「えっ?」
うまく聞き取れず聞きかえした。
「全部私が悪いんだ。」
今度ははっきりとアダムが言った。
私はアダムの顔が曇るのをただ黙って見つめていた。




