52
「なんであなたが……?」
馬車から降り、出迎えてくれた人物の顔を見て驚愕する。
「やぁレイナ姫、久しぶりだね。」
アダム王子がそう言ってにっこり笑った。
「どういうこと?」
馬車から降りたばかりのビビアンとミアを振り返るが、二人とも同様にわけが分からないという顔をしている。
「なんでここにアダム王子がいるの?」
つい言葉遣いが雑になっていることにすら気づかないほどに驚いていた。
「なぜって……」
アダムはおかしそうに笑っている。
「ここは私の城だからさ。」
「ノースローザンヌへようこそ。」
開いた口からうまく言葉が出ず、ぽかんとしてしまう。
ノースローザンヌ?
アダム王子の城?
「どうして?」
私達はエイデンのお祖父様ゆかりの城へと馬車を向かわせていたはずだ。
どこでどう間違えたらノースローザンヌのアダム王子の城に着いちゃうわけ?
アダムがクスクスと声を出して笑う。
「とりあえず城に入ってもらえるかな? 話はお茶でも飲みながらゆっくりしよう。」
アダム王子に促されるまま、ビビアン達と共に城に入った。
さすがノースローザンヌの第三王子の城だけあって、美しく豪華な内装だ。
長い廊下を進み、大きな窓から暖かな光が差し込む部屋に通された。
「どうぞ。」
アダム王子がひいてくれる椅子に腰かける。
結局何も分からないまま、差し出されたお茶に口をつけた。
ほぅ……
温かなお茶に少しだけ癒される。
「長旅で疲れただろう? 今日はゆっくり休んだらいいよ。」
向かいの席から声をかけるアダムに、
「それよりも、なぜ私達がここにいるのか説明していただけますか?」
そう答えた。
アダムがカップを置き、両手をテーブルの上で組んだ。
「君が婚約を破棄されて旅に出るという噂を聞いたんでね。慰めてあげたいと思って城に招待したんだ。」
アダムの視線が私の指にとまった。
「指輪をしてないってことは、噂は本当だったのかな?」
「それは……」
思わず左手の薬指に触れた。
「婚約は……まだ破棄されてません。」
もしかしたらそれも時間の問題かもしれないけれど……
「あのエイデン王が君を手放そうとするなんて信じられないけどね。」
アダムの言葉に、私だって信じられなかったわよと心の中で答えた。
エイデンから婚約指輪を外すよう言われたのは3日前のことだ。
「どうして?」
そう尋ねる私に、
「気に入らないからだ。」
そうエイデンは答えた。
エイデンとの関係は前よりも良好だと思っていただけにショックは大きかった。
だからと言って、はい分かりましたというわけにはいかない。
「これは誕生日にエイデンからプレゼントされた大切な指輪なの。」
左手をエイデンから隠すように右手で握る。
この指輪をもらった時は本当に本当に嬉しかった。
「贈ったのは俺じゃない……」
不機嫌な顔でエイデンが小さく言った。
「いいえ、エイデンよ。」
きっぱりと言う私にエイデンがイライラしたような声を出す。
「たとえそうだとしても、今の俺じゃない。」
エイデンの鋭い瞳が私を見つめる。
思わず怯んでしまいそうになるのをなんとかこらえて、掠れた声で抗う。
「いや……絶対外さないから。」
「はずせって言ってるだろ。」
エイデンが私の左手をぐいっと持ち上げ引き寄せる。
「あっ。」
不意に引っ張られて、体がぐらつきエイデンの広い胸になだれこむ。
絡み合った視線の先で、エイデンの瞳が一瞬熱を帯びる。
体をがっちりと抱きしめられ、身動きがとれない。
「……っ。」
エイデンの唇が私の唇に荒々しく触れた。
熱い口づけに体の力が抜けていく……
エイデンの手が私の左の薬指に触れた。
「いやっ。」
思わずエイデンを突き飛ばしていた。
「いつっ。」
押されてテーブルにぶつかったエイデンが小さな声をあげる。
「あっ……」
寂しくなった左手の薬指を見つめる。
「……ひどい……」
指輪はエイデンの掌の中におさまっていた。
悔しさと悲しさでエイデンを睨むように見つめた。
その視線から逃れるように、エイデンは何も言わず部屋から出て行った。
しばらくエイデンの顔なんて見たくない。
そう思って城から出たのは昨日のことだ。
逃亡先と馬車や護衛の手配は、私の話を聞いたエイデンの祖父がしてくれた。
お祖父様ゆかりの城でのんびりしてくればいいと言われたのだが……
まさかノースローザンヌに到着してしまうとは。
「心配しなくても大丈夫だよ。フレイムジールには使いを出して、レイナ姫はしばらくこちらにいるって伝えてあるから。」
「せっかくですが、このお茶をいただいたらおいとましますので……」
この国から早々に立ち去らなくては。
ノースローザンヌで何か問題を起こしたら、国際問題になりかねない。
両国は友好関係にあるが、フレイムジールの方が格下だと前にカイルが言っていた。
「んー。いいよって言ってあげたいんだけど、ちょっとこっちにも事情があってね。しばらく付き合ってもらうよ。」
口調は柔らかだが、そのにっこりと笑った顔は、断ることは許さないと無言で訴えていた。
それでも一応、
「……お断りすることはできますか?」
と聞いてみる。
あははっと声を出して笑ったあと、
「断られたら困ってしまうな。」
とアダムが言った。
「私はノースローザンヌの王子としてじゃなく、友人としてお願いしたいと思ってるんだけどな。」
それはつまり……断れないってことだよね。
ちょっとエイデンのそばから逃亡しようと思っただけなのに、こんなことになっちゃうなんて。
ふぅ。
小さく一つ息をついて
「分かりました。」
とアダムに告げた。
「そう。それは良かった。」
アダムが満足そうに微笑んだ。
「事情があるとおっしゃってましたが、どんな事情なのか聞いてもよろしいですか?」
そう尋ねる私に、アダムは事もなげに答えた。
「兄の結婚式に私の恋人として参加してもらいたいんだ。」
「それは……えっ? 恋人として?」
アダムのお兄さんの結婚式ということは、両親であるノースローザンヌの国王夫妻をはじめ、この国のお偉いさんたくさんが集まるってことだよね?
その場に私が参加するなんて……
考えただけで目眩がしてきた。
「絶対に無理です。」
力一杯そう言うが、アダムはとりあわない。
「大丈夫だよ。ドレスなんかはこちらで用意するから。」
私が心配しているのは、そんな問題じゃないのに。
「そんな大切な式に、アダム王子の連れがフレイムジール王の婚約者ってバレたら大変なことになりますよね?」
「まぁちょっとした騒ぎにはなるだろうね。」
「だったら……」
今すぐそんな考えをやめて、私を解放してくれー。
アダムには私の心の声なんて届く様子もなかった。
「バレなきゃいいんだよ。」
アダムがにっこりと笑う。
前から思っていたが、アダムは顔で笑っていても頭では何を考えているのかよく分からない。
エイデンも感情が読みにくいところがあるけれど、アダムはそれ以上だわ。
「すぐにバレると思います。」
なんてたって、今の私は珍しい髪の色をしているのだ。ノースローザンヌの人が誰一人私に気がつかないなんてあるはずがない。
今度は私の考えが伝わったみたいで、アダムは
「髪の毛については考えてあるから大丈夫だよ。」
そう言った。
「それよりも君の髪の毛の色が変わってしまったことについて話が聞きたいな。」
「……」
何をどう説明したらいいのか分からず、言葉が出てこない。
エイデンが刺されたショックで封印が解けましたなんて、ペラペラ人に話すようなことでもない。
「言いにくい話だったかな?」
アダムは仕方ないと言って説明を強要しなかった。
そのかわり……とアダムが言う。
「一つだけ教えて欲しい。レイナ……君の失われていた記憶は戻ったのかい?」
アダムは私が記憶をなくしていたことを知っていたの? レオナルドから聞いたのかしら?
そんな事を考えていると、アダムと視線がぶつかった。
いつになく真剣……いや祈るような表情で私の言葉を待つアダムに、
「ええ……全部戻りました。」
誤魔化す事も嘘をつくこともできなかった。
「そうか。」
アダムは何か思いつめたような表情で、ただそう呟いた。




