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「うおっ。」
大きく開かれた窓からの風で、机の上の書類が飛びそうになり慌てて手で押さえた。
窓から入り込んでくる風は、秋らしい涼しさが心地よい。
その風にのってレイナの声が聞こえた気がして、窓から外を見下ろしてみる。
また散歩してんのか……
陽の光を浴びてレイナの銀白色の髪は一層輝きを放っていた。
一緒にいるのは確か……
「陛下、どうされましたか?」
窓際で考えこむ俺に、カイルが不思議そうな顔で尋ねてくる。
「たいしたことじゃないんだが……」
窓際にカイルを呼び寄せる。
「レイナと一緒にいるのは、アストラスタの姫だったか?」
「はい。アストラスタのアイリン様です。先ほど到着されました。」
庭をゆっくりと歩く二人はとても楽しそうだ。
「それにしてもえらい早く到着したんだな。」
生誕祭は4日後だ。
遠方からの客は前日に来ることもあるが、もう来てるとは。
「レイナ様が早く来てくれるよう、アイリン様にお願いしたんですよ。」
カイルの言葉に、なぜそんな必要があったのかと少し驚く。
「レイナはあの姫と親しくしてるのか?」
カイルが頷いた。
「先の大国会議で知り合いになり、それ以来手紙のやり取りなど続けていらっしゃいます。」
そうか……
そう答えて窓の外のレイナの姿を見る。
俺はあいつの事何も知らないんだな……
そう思いながらも、だから何だと言うんだと自分の気持ちを落ちつかせる。
あいつは確かに婚約者だが、別に俺が好きで選んだわけじゃない。
それなのに、風にのって部屋へと入り込んでくるレイナの明るい笑い声が胸をざわめかせる。
「あれ、二人で何見てるの?」
執務室に入って来たレオナルドが俺の後ろから窓を覗く。
「アイリン王女が来たんだね。」
そう言ってレオナルドが椅子に腰掛けた。
持っていた大量のクッキーを丸テーブルの上にどかっと置く。
「今日はまた一段と数が多いようですね。」
皿の上のクッキーの量を見ながらカイルが呆れた顔をする。
「この部屋に入ったら最後、カイルがなかなか部屋から出してくれないだろ。だから多めにと思ってね。」
それよりっとレオナルドが俺の方に向かって笑いかける。
「エイデンは、アイリン王女にレイナをとられて寂しんじゃないかい?」
何を馬鹿なことを。
鼻で笑いながら、レオナルドの向かいの席に腰掛ける。
「最近二人で楽しそうに庭を散歩してたみたいだけど。」
「あいつが散歩に付き合えと毎日うるさいから仕方なくだ。」
毎日短時間だが、気分転換と称してレイナと一緒に散歩はしていた。
たしかに彼女との散歩は鬱々とした気分を吹き飛ばしてくれる。
だがそれは、この秋の涼しく過ごしやすい気温と美しい庭の草花のお陰であって、レイナとの時間が楽しいからというわけでは断じてない。
レオナルドのニヤニヤした顔を見てため息をつく。
なるほど、見られてたのか……
さっきまでの俺のように、レオナルド達が窓からレイナと二人で歩く姿を見ていたのだと思うとなんだか恥ずかしくなる。視線に全く気づかなかった。
気にしてないふりをしながら、レオナルドの前のクッキーに手を伸ばす。
カイルが二人分の紅茶を運んできた。
「それにしても、ここからは庭がよく見えるんだな。」
「そりゃそうだよ。」
手にとった丸いクッキーを一口で平らげ、レオナルドが笑う。
「いつでもレイナのことを覗けるようにって、わざわざ執務室の下に庭を作ったんだから。」
はぁ?
一体どういうことだと頭を悩ませる。
「覚えてないから教えてあげるよ。」
レオナルドが嬉しそうな顔で身を乗り出してくる。
「エイデン、君はね、レイナが庭にいる時はいつもカーテンの隙間から隠れて覗いて見てたんだよ。」
レオナルドの言葉に思わず絶句してしまう。
このフレイムジールの王である自分がそんな覗きのようなマネをするなんて……
頭が痛くなってくる。
人差し指でこめかみをゆっくりと押す。
「まさかと思うが……俺は、その……まぁ何だ。」
俺はレイナのことを好きだったのか?
そう聞こうとしたが、口に出すのが何やら躊躇われて口ごもる。
「ああ、大好きだったよ。」
さすが双子だけあって、レオナルドは俺の言いたいことがよくわかるようだ。
はっきりと返事を口にする。
「大好きって言うよりは、レイナに狂ってたね。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだったよ。」
頭をガンとなぐられたような強い衝撃をうけ、思わず絶句する。
「嘘だろ……」
掠れた声が漏れた。
嘘じゃないとレオナルドは言う。
「とにかくエイデンはレイナのことで一喜一憂がすごかったよ。一番驚いたのは……レイナと揉めた時だな。レイナの機嫌をなおすために、朝早くからレイナの大好物のフレンチトーストを作ってたよ。」
俺はそんなことをするようなキャラだったか?
とてもじゃないが信じられない。
「エイデンの記憶がなくなる少し前も、私とカイルにレイナのためのプレゼントを相談してたんだから。」
頭の痛みが増してくる。
レオナルドにからかわれているんじゃなかろうかと、カイルに目を向けてみるが、カイルが静かに頷くのを見て、事実なのだと確信する。
「そうか……」
レオナルドが話しているのは本当に自分のことなのだろうか……?
どこか遠くの誰かの話に思えてならない。
「その話が本当だとして、俺はどうかしてたんだろうな。」
「レイナと一緒にいるのが嬉しくて浮かれてたんだろうね。いいことじゃないか。」
レオナルドの言葉に冷ややかな気分で答えた。
「どちらにしろそんな狂った俺はもういないからな。」
初めてレイナと庭を散歩したあの日……レイナは俺のことを好きだと言っていた。
そんなこと言うなんて馬鹿じゃないのかと思いながらも、少しだけ胸がくすぐったいような気がした。
あんな風に自分に対してまっすぐな愛情をむけられたのは初めてだった。
そうか……
あいつが好きだと言ったのは、俺じゃないんだな。
俺じゃなくて、俺の中の忘れて失われてしまった部分なんだな。
体の芯が急速に冷えていく。
「なんにせよ、俺があいつをそんな風に思うことは金輪際ありえない。」
きっぱりと言い切った。
「そんなの分からないよ。」
「俺が誰かを愛しく思うなんてことあるはずないだろ。」
自嘲気味に笑う俺に、レオナルドがひどく優しい顔で微笑んだ。
「少し前までは、私達二人がこんな風に楽しく話をするようになるなんて想像もつかなかっただろ?」
だからこれから先のことは分からない。
レオナルドはそう言った。
楽しく話しているつもりは全くなかったが、レオナルドの穏やかな顔を見ていると否定する気もおきなかった。
それにレオナルドとこんな風に過ごすのも悪くない。本人には決して言わないけれど……そんなことを思いながら残りのお茶を飲み干した。
「レイナと結婚はするつもりなんだよね?」
「まぁな。」
満足そうなレオナルドの顔が、何だか癪にさわって、
「婚約者なんだから仕方ないだろ。」
そう、つけ加えた。
「エイデンがレイナと結婚したくなくなったらいつでも言ってよ。私がレイナをもらってあげるから。」
「はぁ?」
「仕方なく結婚するくらいなら、その方がいいだろ。どうせ同じ顔なんだし。」
同じ顔でも中身が全く違うだろ。
そう思ってふっと笑いが出た。
「なんだ、お前あいつのこと好きなのか?」
「気になるの?」
俺の顔を覗きこむレオナルドに、
「べつに……」
とだけ答える。
「つまらない答えだな。」
そう言ってレオナルドが笑った。
「……お二人とも……遠い先の心配よりも、今は差し迫っている生誕祭にむけて仕事してください。」
やれやれ……カイルがうるさくなる前にはじめるかな。
そう思い立ち上がろうとして、レオナルドと目が合う。二人が全く同じように思っているのを感じて、どちらからともなく声を出して笑った。




