44
「お前は誰だ? ここで何してる?」
冷たい声でそう怒鳴りつけられる。
ベッドに体も顔も押さえつけられ、痛くて言葉が出ない。体をひねり動かそうとするが、エイデンの力は強く全く身動きがとれない。
「きゃーっ。」
異変に気づいたエイデン付きの侍女達が声をあげた。
「エイデン様、何をされているんですか?」
「何って、人の寝込みを襲おうとしたヤツを捕まえただけだが。」
「エイデン様、よく見てください、レイナ様ですよ。」
「レイナなんてやつは知らんな。」
そう言ってエイデンは私を押さえる力を緩めない。
「……陛下?」
「エイデン!」
侍女が呼んで来たのであろう、駆けつけたカイルとレオナルドが目の前の光景に驚いて立ちつくす。
「レイナ。」
ミアとビビアンの悲鳴に近い声が聞こえ、やっとのことで体の拘束がとかれた。
「エイデン様、何をやっておられるんですか?」
「レイナ、大丈夫?」
私を抱き抱えながらミアがエイデンをにらみつける。
ふんっと鼻をならして、エイデンが冷たく言い放つ。
「カイル、こいつを牢にでも入れとけ。」
「は? 牢ですか?」
カイルが聞きかえす。
「許可なく人の寝所に忍びこんだんだ。それくらい当然だろ。」
そう言いながら立ち上がろうとして、よろめいてしまう。
「大丈夫かい?」
レオナルドがエイデンの体を支えながら言う。
「刺されてるんだから、無理しない方がいいよ。」
「刺された? 俺が?」
驚いた様子のエイデンにレオナルドが続ける。
「それと、もしかしてだけど……彼女が誰だか分からないの?」
エイデンとレオナルドが私の方を向く。
「俺は知らんが……なんだ、お前の女だったのか?」
はっとエイデンが笑う。
「俺とお前を見分けられないようじゃまだまだだな。」
エイデンの乾いた笑い声を聞きながら絶望を感じ、私は意識を保つことを放棄してしまった。
☆ ☆ ☆
「レイナ様、確認いたしましたが……」
次の朝カイルから受けた報告はつらいものだった。
「エイデンが忘れてるのは私のことだけってこと?」
「……はい。」
言いにくそうなカイルに何と返事をしてよいか分からず、そっか……とだけ答えた。
「レイナ様が陛下の婚約者であることは、きちんと説明しておきます。お辛いでしょうが、今夜陛下と一緒に夕食をおとりください。」
「……わかったわ。」
少しほっとした顔でカイルが部屋を出ようとする。
「そうそう、忘れるところでした。」
カイルが振り向いて、持っていた分厚い本を机の上にどっさと置いた。
「これは?」
まさか……この状況で花嫁修業の続きかと、一瞬嫌な予感が胸をよぎる。
「違いますよ。」
私の心の声が聞こえたのか、カイルが言った。
「これは陛下が以前読まれていたものです。」
「エイデンが?」
その本を手にとってみる。
「魔法と記憶に関する考察……」
表紙にはそう書いてあった。
「エイデンがこれを読んでたの?」
カイルが頷く。
「そうです。レイナ様に楽しい記憶だけでも戻せないかとおっしゃってました。今度はレイナ様が必要かと思いまして。」
エイデンがそんなことを……
優しい気持ちに胸がいっぱいになる。
「ありがとう。」
分厚い本を大事に胸に抱え、カイルが部屋から出ていくのを見送った。
「レイナ様……」
振り向くとビビアンとミアが心配そうな顔で私を見つめていた。
「大丈夫よ。」
できる限りの笑顔を二人にむける。
今夜エイデンとは四回目のはじめましてね。
今まではエイデンが頑張ってくれたんだから、今度は私が頑張らないと。
「今夜の夕食でエイデンに可愛いって思ってもらいたいの。二人とも準備の手伝いよろしくね。」
少し切ない顔で二人は優しく微笑んだ。
カイルから受け取った本を読んでいるうちに、時間はあっという間に過ぎてしまった。
慌てながらもキッチリと用意をして夕食の席に着いた。
「やっと来たか……」
先に席に着いていたエイデンが待ちくたびれたような声を出す。
「待たせてごめんなさい。」
二人での夕食が始まる。
「エイデン、体の具合はどうなの?」
あんなに血が出ていたのだ。
すぐに治るとは思えない。
「ああ。傷はまだ痛むが、無茶しなければ問題ない。」
「よかった。」
エイデンが無事で本当によかった。
心からそう思う。
「……さっきは悪かったな。」
エイデンが静かな声で言う。
「カイルから聞いた。お前は俺の婚約者なんだって?」
そうだと答える私に、
「悪いが俺はお前のことを全く覚えてない。」
悪いと言いながらも、全く悪びれることなくエイデンが言う。
「噂に聞いたことはあるが、お前の髪の色……本当に龍の血が入ってるんだな。」
エイデンのチョコレート色の瞳が私を見つめている。その瞳にはいつもの優しさも、情熱も何もなかった。
エイデンは本当に私のことを覚えていないのだ。
そう実感して悲しみが胸にこみ上げた。
私の悲しみに追い打ちをかけるようにエイデンが言う。
「何の役にも立たないガードランドの娘なんかと婚約したと知った時は腹も立ったが、龍族の血をひいているとなると話は別だ。」
ふっとエイデンが鼻で笑った。
「喜んで嫁にもらってやろう。」
まるで感謝しろとでも言わんばかりの言い方に言葉が出ない。
「おい。」
急にエイデンが低い声で給仕係を呼びつけた。
「見て分からないのか?」
イライラした様子でエイデンがグラスを出す。
「いつまで空にしとくつもりだ?」
「申し訳ありません。」
給仕係は慌てた様子でグラスを満たしていく。
「使えないやつだな……」
舌打ちをしてグラスに口をつける。
エイデン一体どうしちゃったの?
たしかにエイデンには尊大な所はあったけれど、こんなに嫌なやつじゃなかったわ。
今見たエイデンの横柄な姿が信じられない。
こんなのエイデンじゃない。
私はこんなエイデンなんか知らない。
私の知ってるエイデンは、口ではきついこと言っても、いつも思いやりをもって人に接していた。
だから私はエイデンのことを尊敬していたし、大好きだったのだ。
もちろん二人での食事は盛り上がることもなく終了した。
正直ショックすぎて何を食べたのかや、何を話したのかなんてよく覚えていない。
このままじゃいけない。
ただその気持ちだけが胸にふつふつと湧いてくる。
私のことを思い出さないにしても、せめてあの優しい表情を取り戻してほしい。
部屋に戻り、魔法と記憶に関する考察を手にとる。
少しでも何かヒントがあれば……
そう願ってページをめくっていく。
ふぅ……
一心不乱に読み進めて、目が霞んできた。
目をつぶりしばし瞳を休ませる。
エイデンもこれを読んだのね。
私のために……
エイデンは私の記憶が戻ることを望んでいたのだろうか?
「……レイナ様、もう遅いですしそろそろお休みになりませんか?」
ビビアンに言われて時計を見上げる。
「もうこんな時間……」
いつのまにか時刻は12時を過ぎていた。
「私はもう少し読みたいから、ビビアンは先に休んで。」
そういう私にビビアンは、
「それでしたら、温かいお茶をお入れしますね。」
そう言ってお茶の支度をする。
ビビアンを呼び止めて、お茶ではなくコーヒーをお願いする。
普段コーヒーは全く飲まないので少し驚いた様子だったが、すぐに用意をしてくれる。
ふぅっと湯気をとばしながらゆっくりと飲んでみる。
「にがい……」
「やっぱりお茶にしましょうか?」
心配そうな顔のビビアンに、これでいいのだと微笑んだ。
苦いのは正直苦手だ。
でも今日はコーヒーを飲みたい気分だった。
今の私の気持ちみたいに真っ黒ね。
カップの中のブラックコーヒーを見ながら思う。
何だか少し泣きたい気分になってくる。
苦いコーヒーをもう一口こくんと飲み込む。
何だか頭がスッキリする気がしてきた。
まだまだ起きていられそうだ。
「よしっ。」
気合いを入れて、活字に向かいあう。
エイデン……
いつかまた二人で笑いあえる日が来るのだろうか?
大丈夫、絶対に大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら夜が更けるまで本にかじりついていた。




