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「んんーん。」
思い切り伸びをしながら、胸いっぱいに空気を吸い込む。
夏の厳しい暑さがいつのまにかなくなったなぁ。
そう思いながら気持ちのよい風を肌に感じる。
ガーデンではトンボが多く見られるようになっていた。
もう秋がはじまるのね……
秋になったら生誕祭だわ。
エイデンの誕生日プレゼントは何にしようかしら?
きれいに澄んだ空を見上げながら考える。
去年は手作りのグラスをプレゼントしたって言ってたわね。
ビビアンとミアから仕入れた情報を思い出す。
確かウィリアムの知り合いの工房で作ったって話だったはず。
ウィリアムに話を聞いてみようと、振り向いて姿を探す。護衛のウィリアムはいつも少し離れた場所で待機しているのだ。
「あ、いたいた。」
ウィリアムを見つける前に見知らぬ人物が声をかけてくる。
誰?
私専用の庭なので、ここに入れる人物は限られている。にもかかわらず、全く知らない人間が普通に話しかけてきたことに驚きを隠せない。
「君がレイナ姫だね。」
馴れ馴れしく話しかけてくるその男性を警戒しながら、一歩後ずさる。
ざざっと音を立て、走って来たウィリアムが私とその男の間に入り込んだ。
よかった。
ほっとして、ウィリアムの後ろに隠れる。
「こちらはレイナ様専用のガーデンです。許可のない方は立ち入りをご遠慮していただきたい。」
私を背後に隠したまま、ウィリアムが鋭い口調で言った。
「許可かぁ……」
そう言って男がにこりと笑う。
「レオナルドから、君に会いたいならここにいるって言われたから来たんだよ。だからレオナルドから許可してもらったことになるのかな。」
「……レオの……お友達ですか?」
ウィリアムの後ろに身を隠したまま尋ねる。
「そうだよ。」
男の返事をかき消すような音を立て、エイデンが私に駆け寄ってくる。
「レイナ、大丈夫か?」
エイデンに向かって頷くと、エイデンは安心したような顔をした。
「お前は一体……」
男に向き合ったエイデンが言葉を失う。
「あなたは!? どうしてこんな所に?」
「エイデン?」
驚きの表情を浮かべるエイデンを見て、ウィリアムと二人顔を見合わせる。
「レイナ様、ご紹介いたします。ノースローザンヌの第3王子、アダム様です。」
全員で庭から客間へ移動し、レオナルド、ビビアン、ミアも召集された。
「さっきは驚かせて悪かったね。」
アダムがにこりと笑いながら私に歩み寄る。
「改めてよろしく、レイナ姫。」
アダムがもう一歩近づいてくるのと同時にエイデンが私達の間にさっと入り込む。
「アダム様、今日は一体どうされたんですか?」
エイデンの問いかけにアダムではなく、レオナルドが返事をする。
「私が呼んだんだよ。」
皆の視線がレオナルドに集中する。
「アダムは女性を喜ばすプロだからね。私の知る限りアダムは世界で一番モテる男だよ。」
……意味が分からない。
横を見るとエイデンがポカンとした顔をしている。
カイルは首を小さく振ってため息をついた。
「レオナルドは大袈裟だな。」
アダムがそう言いながら笑った。
「でも、レイナ姫みたいな可愛らしい人にならモテてみたいもんだな。」
そう言って私の髪の毛を一房とり、口づける。
「アダム王子、レイナは私の婚約者ですので……」
エイデンが私の肩を抱きながらアダムに言う。
口調はとても丁寧だが、エイデンの視線はとても厳しい。
「分かってるよ。」
アダムは楽しそうに笑った。
「でも君がそんなにレイナ姫を大事に思ってるなんて知らなかったよ。」
ニヤっと笑うアダムにゾクリとして思わずエイデンの腕を掴む。
「申し訳ありません、アダム王子。レイナの顔色が優れないので失礼します。またのちほど。」
アダムの楽しそうな笑い声を背に、エイデンが私を部屋から連れ出した。
部屋へ戻るやいなや、エイデンが大きなため息をつく。
「全く……レオナルドのやつ、面倒な人物を呼び寄せたものだ。」
「レオの友達って言ってたけど、エイデンも知り合いなの?」
まぁな……とエイデンが答える。
「陛下。」
ノックと共に、カイル、ミア、ビビアンが部屋へと入ってくる。
「面倒なことになりましたね。」
まさかアダム王子を呼んでくるとは……とカイルが困ったように言う。
「レイナ様、アダム王子に失礼のないよう振る舞いながら、決して気に入られぬようにしてください。」
……は?
首をかしげながら、
「気に入られるように、じゃなくて気に入られないようにするの?」
「そうです。いいですか? アダム王子はノースローザンヌの王子ですよ。たとえ第三王子であっても、こちらよりは格上です。」
「ノースローザンヌって、フレイムジールと友好国じゃなかったっけ?」
花嫁修業で読んだ他国についての文献を思いおこす。
「友好国でも上下関係ってあるの?」
カイルがエイデンの方を静かに見る。
「確かにノースローザンヌとは友好関係にある。だが……対等ではない。」
国の規模が違うのだとエイデンは言う。
「ノースローザンヌは多くの従属国を持つこの世界最大の国家です。フレイムジールがいくら大国とはいえ、残念ながら対等に渡り合える力はありません。」
国の力によって上下関係があるなんて知らなかった。
そう言えば……
アストラスタでの晩餐会ではエイデンが一番若い王なのに、他国の年配の王達の方が気を遣っているような場面があったことを思い出す。
そのことを口にしてみると、
「そうですね。大国会議の場ではフレイムジールが一番格上でしたから。」
とカイルが教えてくれる。
「それとアダム王子に気に入られないようにするのは、何の関係があるの?」
「アダム王子は……女癖が悪くて有名なのです。」
カイルが真面目な顔をして答える。
「レオがアダム王子のこと、世界一モテる男だって言ってたわね。」
「いいか、絶対にアダム王子には近づくなよ。」
ガシッと両腕を掴まれて真剣な瞳で見つめられる。
「何があっても二人きりにはなるな。」
「う、うん。」
エイデンの迫力に押されて頷く。
「……でもそんなにモテる人なら、私に興味なんてないだろうから大丈夫だよ。それに普通わざわざ人の婚約者に言い寄ったりしないでしょ。」
私の言葉にアダム王子は普通じゃないのだとエイデンが反論する。
「それに……」
エイデンが私の頬に優しく触れる。
「こんなに可愛いレイナに興味をもたない男なんていないに決まってる。」
エイデンに見つめられて、ぼっと赤くなる。
ふっとエイデンが笑う。
「レイナは本当に可愛いなぁ……」
褒められて、恥ずかしくなり思わず俯いてしまう。
「レイナ……もっと顔見せて。」
コホン。
カイルがわざとらしい咳払いをする。
「カイル、邪魔するなよ。」
むくれるエイデンを無視したまま、
「レイナ様が可愛いかどうかは置いといて、アダム王子が女好きで有名なのは確かです。気をつけるにこしたことはないでしょうね。」
とカイルが言う。
「まぁ大丈夫だとは思いますが、もし万が一……億が一にもアダム王子が本気でレイナ様を気に入ってしまうということがあっては困ります。」
そんなことは絶対にないだろうと確信しているようなカイルの口ぶりは、いささか不満だ。
「大丈夫だよ。気に入られても、きちんと断れるから。」
「それは不可能です。」
カイルはバッサリと切り捨てる。
「大丈夫よ。世界一モテる男だからって、そんな簡単になびいたりすることはないんだから。」
軽いファイティングポーズをしてみせた。
エイデンが柔らかく笑い、私を引き寄せる。
「頼もしいな……」
エイデンが私の頭をよしよしと撫でてくれる。
その大きな手がとても優しくて心地よい。
「レイナ様……」
カイルが何か言いかけるのをエイデンが遮った。
「しかし陛下、こういうことはきちんと説明しておかなくては……」
「エイデン?」
カイルの言葉に不安がよぎり、エイデンの顔を見上げた。
エイデンが仕方ないという顔をして、私から体を離す。
「レイナ様、もしアダム王子が本気でレイナ様を気に入ってしまうなんてことが起こった場合、レイナ様がそれを拒否することはできません。」
えっ?
驚いてカイルの顔を見つめる。
「どういうこと?」
「先程述べた通り、ノースローザンヌは世界最強国です。その王子から正式に申し入れがあったとなれば……断ることは不可能です。」
「でも私はエイデンと婚約してるんだし……」
断ることはできるんじゃないかしら?
その考えは甘いとカイルに一笑される。
「婚約とはただの結婚の約束です。実際に結婚しているわけではないので申し入れを断る理由にはできません。」
「そんなバカなこと……」
「それが国の力関係というものです。」
エイデンの顔を見る。
その顔はカイルの話は真実なのだと物語っていた。
そりゃ本気で気に入られるなんて思っちゃいないけど……何だか急に心配になってきた。
「心配するな。いざとなれば、さっさと結婚しちまえばいいだけだ。」
エイデンがちゅっと私のおでこにキスをした。




