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「レイナ様、おかえりなさいませ。ランチは楽しかったですか?」
与えられた部屋に戻ると、ビビアンが荷物の整理をしていた。
ボスっとベッドに倒れこむ。
「レイナ様?」
ビビアンの心配そうな声が聞こえる。
「……エイデンの婚約者だったって人に会ったわ。」
ベッドから天井を見上げながら呟く。
「とてもキレイな人だったな……」
ビビアンが息をのむのが分かった。
「クリスティーナ様って言うんですって。ビビアンも知ってたのよね?」
「それは……」
答えに詰まっているビビアンを見て、やっぱり知っていたのだと実感する。
だからと言って特にビビアンを責めるつもりはない。特に言う必要があるわけでもなく、言いやすい話でもないことは分かっている。
「ビビアン……あまーいの入れてくれる?」
ただいま、そう言ってビビアンはすぐに動き始めた。すぐに茶葉のよい香りが漂ってくる、
「美味しい。」
ミルクとハチミツたっぷりの熱い紅茶に、ふぅふぅと息を吹きかける。
考えすぎて疲れた頭に、甘い紅茶が再び考える元気をくれる。
謎が解けたかぁ……
「スッキリしたって……どういう意味ですか?」
不思議そうな顔をしているアイリンとのやりとりを思い出す。
「ずっと思ってたんです。どうしてあんなにステキな人が私なんかと婚約したんだろうって。」
記憶をなくしてから、エイデンになぜ私と婚約することになったのかと幾度か尋ねたことがある。
そのたびに甘い言葉ではぐらかされてしまっていた。
ビビアンやミアにも同様に尋ねてみたが、よく知らないの一点張りで結局分からずじまいだった。
あんまりにも皆が教えてくれないことが、不安を煽っていたが……
そうか、そういう理由だったのだとやっと腑に落ちた。
私には言えないはずよね。
そりゃ皆はぐらかしもするわ。
心に暗い闇が押し寄せる。
知りたかったことが分かりスッキリしたはずなのに……やっぱり知りたくなかったかもしれない。
特にエイデンの相手があのクリスティーナだということが私にとってはツライことだった。
あの美しく優雅なクリスティーナに勝る部分なんて、一つも思い浮かばない。
エイデンはどういう気持ちで私と婚約したのかしら?
もちろんエイデンの私に対する気持ちに嘘はないと分かっている。
本当に大切にされて愛されている。
それは日々の生活の中で常に実感していた。
でも……推し寄せる不安に流されてしまいそうになる。
大丈夫、大丈夫……
自分に言い聞かせるように、心の中で何度も唱えた。しっかりしなきゃ。
「ビビアン、お風呂に入るわ。」
すっと立ち上がった私にビビアンが驚く。
「えっ? 今からですか?」
「夜の舞踏会でエイデンの婚約者として恥ずかしくないようキレイにしときたいの。」
ビビアンがキリッと顔をひきしめる。
「私にお任せください。」
とにかく今は私にできることを精一杯がんばろう。
舞踏会は花嫁修業の成果の見せ所だ。
来るべき夜の宴に向けて、ビビアンと二人準備を始めた。
☆ ☆ ☆
「レイナ様、お綺麗ですわ。」
鏡の中のビビアンがにっこり笑った。
「エイデン様がお待ちかねです。」
ビビアンに促され、隣室で待つエイデンの元へ行く。
「レイナ……綺麗だよ。」
エイデンがゆっくりと私に触れた。
「本当に綺麗だ。」
熱いまなざしを向けられ、何だか照れ臭くなってくる。
「さぁ、俺の婚約者を皆に見せびらかしに行くかな。」
ちゅっとエイデンが私のこめかみ付近にキスをする。
ふっ。
長い廊下の途中、突然エイデンが私を見て笑う。
「な、何?」
「レイナ、緊張しすぎ。」
だって……
エイデンには慣れっこでも、私にとっては初めてのダンスの場なのだ。
「大丈夫だ。俺がいるだろ。」
エイデンが優しく私のほっぺを引っ張る。
「レイナはいつもみたいに笑っておけ。」
私を優しく見下ろすエイデンに、にっこりと微笑んでみせる。
大丈夫、やりとげてみせる。
でも……クリスティーナとエイデンのやりとりを私は笑って見ていられるのかしら?
きらびやかな会場の中は、すでに多くの人で溢れていた。
会場の中にアイリンを見つける。
濃いグリーンのタイトなドレスを着たアイリンは会場の中でも一際目立つ存在だった。
ドレスのスリットから見えるスラリとした長い足が何とも美しい。
「レイナ様。」
私に気づいたアイリンがやって来る。
「エイデン様、お久しぶりです。」
アイリンがエイデンに向かって頭をさげる。
「アイリン様、先程はありがとうございました。」
「いいえ。あの、大丈夫でしたか?」
エイデンが他の客と挨拶を交わしているすきにアイリンがこっそりと私に尋ねる。
「正直少しショックです。でもまだあまり実感がないというかなんというか……」
エイデンに婚約者がいたことがショックなのか、その元婚約者が美しいことがショックなのか……?
それとも私がガードランドの娘という理由だけでエイデンに選ばれたからショックなのか?
今の私には判断がつかない。
「せっかくの舞踏会ですから、今は楽しんで落ち込むのは夜にします。」
そうですね、そう言ってアイリンは優しく笑う。
「明日一緒にお茶しませんか? 元気の出るスイーツを用意しておきますわ。」
アイリンの優しさがとても嬉しい。
「何だか仲良くなったみたいだな。」
エイデンが嬉しそうに笑った。
ああ、やっぱりエイデンは目立つな。
エイデンが戻って来た途端に皆の視線がこちらへ向けられているのを感じる。
あっ……
エイデンを熱い目で見つめる多くの女性の中にクリスティーナの姿を見つける。
薄いピンク色のふわふわしたドレスを着たクリスティーナはゆっくりとこちらへ向かってくる。
その優雅さや愛らしい微笑みから目が離せない。
「レイナ、どうした?」
私の視線の先にクリスティーナを見つけ、エイデンが動揺したのが分かった。
それもほんの一瞬で、次の瞬間にはいつものエイデンに戻っていた。
「エイデン様、先日はサンドピークにお越しいただきありがとうございました。」
クリスティーナがエイデンのそばへ寄る。
「クリスティーナ……来てるとは思わなかったな。」
エイデンが感情のこもらない声で言う。
「エイデン様にお会いしたくて……」
恥ずかしそうにそう言うクリスティーナは、一段と可愛らしい。
なんて絵になる二人なんだろう。
私が画家なら間違いなく、今感動するほど素敵な絵が描ける気がする。それくらいお似合いだわ。
そういえば、エイデンはこの前サンドピークに行ったのよね……
そこで二人は会っていたのかもしれないと思うと急に胸が締め付けられる。
私を連れて行ってくれなかったのは、もしかしてクリスティーナ様がいたから?
嫌な想像がわいてきて慌てて頭をふる。
「クリスティーナ様、お体の具合は大丈夫なんですか?」
アイリンがクリスティーナに尋ねる。
「もうすっかり。アイリン様もレイナ様も心配かけてすいませんでした。」
えっという顔をするエイデンに
「先程レイナ様にご挨拶させていただきましたの。」
クリスティーナがにっこり微笑んだ。
「エイデン様、実はシャーナ様のことでご相談したいことがあるんですが……」
クリスティーナが私とアイリンをチラリと見る。
シャーナはエイデンとレオナルドの母で、今はクリスティーナの継母だ。私達の前では話にくいことなのかもしれない。
「エイデン、私アイリン様ともっとお話ししたいので……」
気にせずクリスティーナの相談にのってくれれば、そう思いながらエイデンを見つめた。
エイデンが私の手をとり、クリスティーナ達に向かいにっこり笑う。
「レイナとダンスの約束をしてあるので、申し訳ないが失礼する。」
「ちょっとエイデン。」
引っ張られるようにして人混みの中をすすんでいく。
「ほら、踊るぞ。そのために練習してきたんだろ。」
エイデンの手が私の腰にまわされた。
「レイナ、下向いてるぞ。」
エイデンに言われ、慌てて顔をあげる。
ついステップが気になって、視線が下がってしまう。
「そう、その調子。うまくなったな。」
エイデンに褒められてダンスが楽しくなってくる。
「レイナ……その……」
珍しくエイデンが言いにくそうなそぶりを見せた。
「昼はアイリン姫だけじゃなく、クリスティーナ姫とも話してたのか?」
「えぇ、クリスティーナ様とジャスミン様も一緒にお話ししたわ。」
「それで……何か聞いたか?」
エイデンがいつになく真剣な目をしていて思わずドキっとする。
「何かって?」
本当は分かっている。
エイデンは私がエイデンとクリスティーナとの関係を知っているか確認したいのだ。
分かっているけど、分からないふりをする。
教えてなんかあげないもんね。
いつも私ばっかりエイデンの事考えて、オタオタして悩んでばっかりなんだから……たまにはエイデンの頭の中も私のことでいっぱいになればいいんだ。
ふふっ。
何だか意地悪な自分が楽しくて笑ってしまう。
「何笑ってんだ?」
「別に……」
エイデンが繋いだ手に力をいれる。
「考え事してないで、もっと俺に集中しろよ。」
二人で見つめあって、ふっと笑いあう。
やっぱりいいな……
エイデンとこうして笑いあう瞬間がとても好きだ。
ダンスに夢中な私は気がつかなかった。
クリスティーナが厳しい目で私達を見つめていることを。
「絶対に許さないんだから……」
クリスティーナの口から出た小さな呟きは、パーティを楽しむ人々の笑い声にかき消された。




