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「はぁ……」
流れる景色を見ながら思わずため息が漏れる。
「ため息つくのやめてほしいな。こっちまで憂鬱になるじゃないか。」
馬車に同乗しているレオナルドが顔をしかめる。
「仕方ないだろ。ため息くらいつかせろ。」
そう言って、もう一度大きなため息をついた。
「レイナの機嫌はなおったんだろ? 朝は笑って見送ってくれたじゃないか。」
何が気に入らないんだとレオナルドが言う。
「それにしてもレイナの機嫌をとるのに、エイデンが料理までするとは思わなかったよ。」
レオナルドが大きな口をあけて笑う。
「お前にも好きな女ができれば分かるさ。」
レイナに笑ってもらえるなら、料理なんてたいしたことではない。レイナが望むなら何だってやってやる。
「だいたいレイナがそんなに行きたがってたんなら、連れてくればよかったんだよ。そうすれば代わりに私が城で留守番したのに……」
「それができればよかったんだがな。」
それができないから問題なのだ。
「まぁエイデンがレイナをクリスティーナに会わせたくない気持ちも分かるけどね。レイナもエイデンの元婚約者がいたら、楽しめないだろうし。」
「元婚約者じゃない。クリスティーナとは国のために結婚の約束をしただけだ。」
どっちでも同じだと言うレオナルドに、言葉の重みが違うのだと否定する。
「隠してたっていつかレイナの耳に入るかもしれないんだから、さっさと言えばいいんだよ。」
レオナルドの言うことも、もっともだ。
だけど……
「レイナが俺から離れない確証が得られるまで、言うつもりはない。」
レオナルドが興味深そうな顔をして俺を見る。
「まだ言えないってことは、レイナが離れるかもしれないって思ってるんだ。」
レオナルドの質問には答えず窓の外へ目をやる。
俺から離れないでくれ……そうレイナにすがりついたと言ったら、レオナルドはどんな顔をするだろう?
サンドピークに行きたいと言うレイナを、なんとか諦めさせようと思って酷いことを言ってしまった。
ダンスもまともにできない……そんな事全く思っていないのに……
ダンスだって何だって、レイナが一生懸命取り組んでいるのを俺は知っている。
でもレイナをサンドピークに行かせたくない理由が、クリスティーナという女性であることを知られたくはなかった。
結婚すべきじゃないのかも……レイナの口からそう発せられた時は焦って頭が真っ白になりそうだった。
俺にはレイナしかいないのに……
絶対に離さない。
そう思って強くレイナを抱きしめた。
「そんなにサンドピークに行きたかったのか?」
レイナの機嫌がなおってからそう聞いてみた。
「サンドピークじゃなきゃダメってわけじゃなかったの。ただ……お城の外に出たかったの。」
レイナが窓辺に立つ。
窓の外では赤い小さな鳥が数羽追いかけっこをしていた。レイナの目が目を細めた。
「レイナ……」
レイナの横に立ち、そっと肩を抱く。
あの火事の時、レイナの封印が解けた姿を見た者は多い。城の中にも、レイナことを怖れる者はいる。
レイナの身近な者達はレイナのために口をつぐむが、親しくない人間までは分からない。
レイナに嫌な思いをさせないようにと、目の届く場所に閉じ込めていた。
窮屈な思いをさせていたのだな……
「夏になったら大国会議がある。今年の開催国はアストラスタだから、レイナも一緒に行くか?」
えっと驚いた顔をしてレイナが俺を見る。
「本当に? 本当に私も一緒に行っていいの?」
「ああ。アストラスタは綺麗だし、治安もいい国だから、レイナも気にいるはずさ。」
そう言う俺に、レイナが顔を曇らせる。
「ダンスは……あるのかな?」
この前俺が言ったことをまだ引きずっているのか……あんなこと言わなければよかった。
「ダンスはあると思うが、レイナなら大丈夫だ。」
レイナの頭をよしよしとなでる。
「一緒に行って、俺の婚約者だと紹介させてくれ。」
レイナが恥ずかしそうに笑って、飛びついてきた。
「ありがとう、エイデン。すっごく楽しみ。」
レイナの柔らかな体を抱きしめ返す。
何て無邪気で可愛らしいんだろう……
ごめんな……
レイナに微笑みながら、心の中で謝る。
レイナに嫌な思いをさせないため、そう言いながらも本当は自分のためにレイナを部屋に閉じ込めているのかもしれない。
レイナの世界が広がって、レイナの周りに人が増えたら、いつか俺の元から去ってしまうのではないか……そんな思いがいつも胸の中で燻っている。
だって俺はこんなにも自分勝手で酷い男なのだから……
ガタンと馬車が揺れ、現実に戻される。
砂漠に近づくにつれ、道が悪くなっていた。
もうしばらくしたら馬車を降り、ラクダへと乗り換えるのだ。横を見るとレオナルドは腕を組んだまま眠っていた。
もうすぐサンドピークか……
見えてきた広大な砂漠を前にすると、自分の悩みも自分の存在さえも、ちっぽけなもののように感じるのだった。
☆ ☆ ☆
「いい式だったな。」
結婚式が終わり、レオナルドと二人でパーティ会場に入る。式は盛大で、皇太子とその婚約者はとても幸せそうだった。
「エイデンが式の最中考えてたこと、当てようか?」
レオナルドがふっと笑い顔を浮かべた。
「自分の結婚式でレイナに着せるドレスについて考えてただろ。」
思わず口に入っていたシャンパンをふいてしまいそうになる。
まじかよ……
平静を装う俺をレオナルドは楽しそうに見ている。
「もっと言えば、レイナにはもっと可愛らしいドレスが似合うなって感じのこと考えてたよね。」
こいつ……エスパーかよ。
全くその通りのことを考えていた。
動揺を悟られぬよう、ゆっくりとシャンパンを口に運ぶ。
図星だと気づいたのだろうか……
レオナルドは愉快そうに笑っている。
「たしかにレイナには今日の花嫁さんみたいなタイトなドレスより、フリフリの可愛らしい方が似合うだろうね。」
クールに振る舞いながらも、頭の中で思い切り頷いた。
そうそう。レイナには大人っぽいドレスより、可愛らしいのがいいに決まってる。レオナルドもよく分かっているじゃないか。
「私はミニのドレスがいいと思うな。」
「はぁ?」
思いもよらない言葉にレオナルドをまじまじと見る。
「レイナの足首、あれは出した方がいいよ。」
「……まさかの足フェチかよ。」
「足フェチってほどじゃないさ。ただレイナの足首はきゅっとしてて、そのままほどよい筋肉がついてるのがまた……」
全く……人の婚約者の足について、何語ってんだ。
真面目な顔をしてレイナの足について語るレオナルドに苦笑する。
会場に音楽が鳴り響き、兄弟二人の楽しい会話は終了した。
「いよいよだな……」
緊張が走る。
サンドピークの国王夫妻と、皇太子夫妻が会場に姿を現わす。
「……だいぶ老けたな……」
緊張の原因である人物を見ながら呟く。
「そうだね。」
レオナルドも緊張しているのが伝わってくる。
皆の間を挨拶してまわる国王夫妻に頭を下げる。
「いやー、二人ともよく来てくれた。」
上機嫌のエメリッヒ国王が話しかけてくる。
「いやー、本当にそっくりだね。どっちがどっちだい?」
エメリッヒ国王が俺とレオナルドを見比べる。
「こちらがレオナルドですわ。」
国王のななめ後ろにいた王妃がそう告げた。
「元気そうね。」
「母上もお元気そうでよかったです。」
王妃はレオナルドに向かってにっこりと微笑んだ。
相変わらず俺の事は無視か……
久しぶりに会う母を見ながらそう思う。
まぁ分かってたことだけど……
レイナをサンドピークに連れてきたくなかったのは、この母親に会わせたくないからというのもあった。
優しいレイナのことだ。
俺が母から無視されているのを見たら、きっと傷つくに違いない。
少し離れた場所で、国王と王妃である母、レオナルドが楽しそうに話しているのを見守る。
小さい頃からこんな事は慣れているはずだが、何だか居心地が悪い。
立ち去る時まで、結局母は俺を見る事はなかった。
「ふぅ。」
ため息をつきながらレオナルドがそばへ寄って来る。
「久しぶりの再会はどうだ?」
俺の問いかけに、レオナルドは困ったような顔をする。
「大臣やめて、サンドピークに来いってしつこく言われたよ。」
小さい頃から異常なほど過保護に育てられたレオナルドは母に苦手意識を持っていた。
「本当に極端だよね……」
レオナルドが悲しそうな表情で母の背中を見る。
母の俺とレオナルドに対する態度の違いのことを言っているのだ。
「仕方ないさ。」
双子でも産まれた時から魔力の大小で置かれた状況が全く違っていたのだから。
暗い雰囲気を破るように、1人の女性が話しかけてきた。
「エイデン様、レオナルド様、お久しぶりです。」
栗色のウェーブした髪をなびかせてやって来た女性を見つめるが誰だか分からない。
「やだ、お忘れですか? クリスティーナですわ。」
サファイアブルーの澄んだ瞳と目があった。
「あぁ……」
とだけ答える。これがクリスティーナか。
「久しぶりだね、クリスティーナ。」
レオナルドがにこやかに挨拶をする。
それを合図とするように、数人の令嬢に囲まれてしまった。
ダンスに誘ってほしいと思っているのは明白だったが、レイナ以外と踊るつもりなんて毛頭ない。
「エイデン様、よかったら踊っていただけませんか?」
しびれをきらしたのか、クリスティーナが上目遣いで見つめてくる。
ふぅ……
心の中で一つため息をつくと、とびきりの笑顔を浮かべる。
「申し訳ありませんが、私は婚約者としか踊らないと決めていますので……」
クリスティーナが納得いかない風な顔をする。
他の令嬢達は期待を込めた瞳をレオナルドに向け誘いを待っている。
「私は今日こちらに来る時に岩場で足を痛めてしまって……こんなに綺麗なレディ達を踊りに誘えないなんて残念ですよ。」
同じようにとびきりの笑顔を彼女達に向けているレオナルドを呆れた気持ちで見つめる。
「よく言うな。怪我なんてしてないだろ。」
「ああでも言わないと、踊らなきゃいけなくなるだろう。」
令嬢達がいなくなった後、二人で静かにシャンパンを飲む。
「踊ればいいじゃないか。」
「お断りだよ。1人踊ったら、結局全員と踊らなきゃいけなくなってしまうからね。」
「あんなにいたのに、お前の好みの令嬢はいなかったのか?」
レオナルドが少し考え込む。
「好みかぁ……私の好みって自分でもよく分からないなぁ。」
「……じゃあ好きな足首で決めてみたらどうだ?」
それなら分かるよとレオナルドが笑いながら言う。
「レイナの足首が一番好きだな。」
「レイナはやんないぞ。」
「えー、残念だなぁ。」
レオナルドは声を出して楽しそうに笑った。




