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「ダンスもだいぶ上達されましたね。」
「本当に。はじめの頃は、足ばかり気にしていたのが、最近では姿勢まで気にする余裕が出ましたものね。」
ダンスの授業が終わり、マナーの授業までの間に二人の講師とティータイムを楽しむ。
ティータイムと言っても、マナー講座の実践も兼ねているので気は抜けない。
それでも二人の講師に褒められたので、顔は自然と笑顔になってくる。
「そう、その笑顔。踊っている間もそんな自然な笑顔が欲しいですね。」
ダンスの講師が笑いながら言う。
「レイナ様は踊っている間、眉間に皺がよってますから。」
思わず眉間を指でのばす。
二人の講師はクスクスと笑っている。
「でも結婚式まであまり時間がないんですから、まだまだがんばっていただかないと。」
「結婚式ですか?」
まさか私の結婚式かと焦って聞き返す。
「ええ。サンドピークの皇太子様の結婚式ですよ。レイナ様も行かれるんですよね?」
サンドピークと言えば、私のいるフレイムジールに隣接する大国だ。
花嫁修業の一環で近隣諸国について、カイルより説明を受けている。
広大な砂漠にあるオアシス都市で、風の力を持つ一族が治めていたはずだ。
「何も聞いてないんですけど、私もその結婚式に行くんでしょうか?」
エイデンからもカイルからも、特にサンドピークに行くと言う話は聞いてなかった。
ダンス講師とマナー講師は顔を見合わせる。
「何もお聞きになってないのですか? レイナ様は陛下の婚約者なのですから、てっきり同行されるものだと思ってましたわ。」
「わたくしもそう思ってました。レイナ様は、その……覚えていらっしゃらないので申し上げにくいのですが……」
「教えてください。」
私の記憶のないことを気にしてか、言いにくそうにしている講師に話すよう促す。
そうですか、そう言って講師は話しはじめた。
「昨年フレイムジールの生誕祭が行われた時、サンドピークからは皇太子様とその婚約者がいらっしゃいました。ですからこの度は、陛下と婚約者であるレイナ様が行かれるのが筋かと思います。」
「そうですか。それでその結婚式っていつですか?」
講師の一人が手帳を見ながら言う。
「あと10日後ですね。」
「10日後?」
驚いて思わず大きな声になってしまい、マナー講師の注意を受ける。
「10日後って……私間に合うんですか?」
サンドピークに行けるのは嬉しいが、ダンスにもマナーにも正直自信はない。
もちろんこの数ヶ月で上達はしている。
でも……ほかの令嬢や姫に比べたらまだまだに違いない。
二人の講師はクスクスと笑っている。
「間に合うかどうかじゃなく、間に合わせてもらいます。」
休憩は終わりだと立ち上がった講師二人による授業は、いつもよりハードだった。
日中のハードな特訓をこなし、夜にはクタクタだった。
「大丈夫? だいぶ眠そうだけど。」
ミアが温かいお茶を用意してくれる。
「うん。がんばって起きてる。」
エイデンは何時に来るかしら?
あふっと大きな欠伸がでる。
エイデンは毎晩仕事が片付くと私の部屋に来ていた。
私も毎晩頑張って起きておこうとするのだが、ついつい眠気に耐えきれず眠ってしまうのだ。
あふっ。
もう一度大きな欠伸をする。
今日はエイデンに聞きたいことがあるから、何としても起きてなきゃ。
昼間、二人の講師としたやりとりを思い出す。
「サンドピークかぁ……」
砂漠に囲まれた国ってどんな所なんだろう。
「行けるといいわね。」
ミアが言う。
ダンスやマナーに不安はあるものの、初めてエイデンと他国に行けることへの期待は大きかった。
そのことについて話がしたいと、今眠い目を頑張って開いているのだ。
トントンとドアと叩く小さな音が聞こえ、続いてエイデンが入ってくる。
「まだ起きていたのか。」
私を見てエイデンが微笑む。
「話があったから、がんばって起きてたの。」
エイデンに会えた嬉しさで眠気はどこかへぶっ飛んでしまった。
「その前に……」
そう言ってエイデンが私をぎゅっと抱きしめる。
「充電タイム。」
いつのまにかビビアンとミアはいなくなって、部屋には二人きりだった。
「レイナ、可愛い。真っ赤っか。」
私の火照る頬をツンツンとつついてエイデンが笑う。
ドギマギする私を見て満足したのか、エイデンが
「それで、話って何?」
と聞いてきた。
「結婚式のことなんだけど……」
「結婚式?」
エイデンが驚いた顔をする。
「そう、サンドピークの皇太子様の。」
昼間講師二人としたやりとりについて話をする。
「確かに結婚式には招待されてるな。まだレイナには言ってなかったか……俺とレオナルドで行って来る予定だ。」
エイデンが私の頭をポンポンと優しく叩く。
「何日か城をあけるけど、カイルを置いていくから心配しなくても大丈夫だ。」
優しく言うエイデンに、私も行きたいとお願いをしてみる。
「ダメだ。レイナはまだ砂漠に行けるほど回復してないだろ。」
そういうエイデンを頑張って説得する。
「そんなことないよ。もう体も思い通りに動くし、体力ももどったし。」
「それでもダメだ。連れていけない。」
「どうして?」
エイデンは困った顔をする。
「どうしてって……」
「先生方は、こういう場合婚約者である私も同行するのが普通だとおっしゃってたわ。」
「とにかくだめだ。レイナはまだ踊れないだろ。皇太子の結婚式なんだから、ダンスは避けられない。」
「あと一週間がんばって完璧に……」
ダンスをマスターするから……そう言うつもりだった私の言葉を遮り、エイデンが言う。
その口調はいつもよりきつかった。
「ダンスもまともにできないのに、婚約者だって紹介できるわけないだろ。」
エイデンの言葉が胸に突き刺さった。
「そうだね……」
力なく呟く。
私が諦めたと分かり、エイデンがほっとしたような顔をする。
「疲れてるだろ。もう遅い、ゆっくり休め。」
そう言って私にそっとキスをした。
エイデンが去った後も私の胸は痛んだままだった。
ダンスが完璧でないのは事実なので、エイデンが私のことを紹介したくない気持ちも分からなくはなかった。
でも……
なんだろう、胸の奥がモヤモヤする。
人に紹介したくないと思われる婚約者って……
何だか情けなくなってくる。
これでも一生懸命頑張ってきたんだけどな。
この数ヶ月のハードな花嫁修業を思い出す。
何だか張り詰めていた糸がプチんと切れたように、私のやる気が消え失せてしまった。
朝になっても、胸のモヤモヤは私の中にくすぶっていた。
「おはよう。」
私が起きるのを待っていたレオナルドの向かいの席に座る。
「ねぇミア、今日は何だかしんどくって……授業全部キャンセルしてもらってくれる?」
昨夜失われた私のやる気も、全く回復する気配がなかった。
ミアに頼んで、花嫁修業を一日休ませてもらう。
「どうしたの? 医者呼ぼうか?」
レオナルドが心配してくれる。
「大丈夫よ。少し疲れただけだから。」
「ならいいけど……」
ただ虚しいだけだと言ったらどうなるだろう。
言ったところでどうなるわけでもないけど……
諦めに似た感情を抱えながら、私の前に置かれたフレンチトーストを一口食べる。
「んー、美味しい。」
ふわふわの柔らかい食感がたまらない。
はちみつたっぷりで甘さも素敵。
さっきまでの暗い気分が一瞬にして消えてしまう。
クスっと笑う声が聞こえてレオナルドを見る。
「どうしたの?」
「いや、美味しそうに食べるなと思ってね。」
「本当に美味しいんだもの。」
もう一口、口に入れて笑顔がこぼれる。
「本当は口止めされてるんだけど……」
そう言いながら、レオナルドが同じように笑っているビビアンに目をやる。
「そのフレンチトースト、エイデンが作ったんだよ。」
へっ?
思わずお皿を見つめる。
「ケンカでもしたのかい? 多分レイナは元気ないだろうからって言って朝から厨房にこもってたよ。」
エイデンには何でもお見通しなのね。
胸の中に何か温かいものが流れこんでくる。
私の中でモヤモヤと温かい物がせめぎ合い。
「ケンカってわけじゃないけど、ちょっとね。」
そう言って、お皿に残ったフレンチトーストを食べ終わる。
「本当に美味しかったわ。エイデンって何でもできるのね……」
立ち上がってレオナルドに告げる。
「ごめんね、私休ませてもらうわ。」
レオナルドが何か言いたそうだが、さっと寝室に入る。
ベッドに入って目をつぶる。
大きく開かれた窓から、春の爽やかな風が入って来て気持ちがよい。
その風と共に、微かに笑い声が聞こえてくる。
いいなぁ……外に出たいな。
長い眠りから覚めて以来、外に出たのは先日のピクニックの一度きりだ。
城の中も護衛なくして自由には歩けない。
「はぁ……」
大きくため息をついた。
コンコンと扉がたたかれ、カイルが入ってくる。
「今日のレッスンはお休みすると聞きましたが……」
「何だかやる気が出なくって。」
そう言う私に、カイルの口調は厳しい。
「やる気がないとはどういうことです。そんなことでレッスンをお休みされていたら、王妃になんてなれませんよ。」
「そうかもしれないわね。」
ベッドに横になったまま、カイルに背を向ける。
「結婚やめた方がいいのかもね。」
「レイナは俺と結婚したくないのか?」
聞きなれた低い声がして、驚いて体を起こす。
「エイデン、いたの?」
エイデンの後ろでカイルが部屋を出て行くのが見えた。
エイデンがベッドにドカッっと腰をおろす。
「レイナは結婚やめたいのか?」
エイデンがじっと私を見つめている。
「……やめられるの?」
エイデンの視線から逃れるように目を伏せた。
「……俺の事嫌いになったのか?」
エイデンの声は小さい。
「そういうことじゃなくて……エイデンは私と結婚すべきじゃないと思うわ。」
エイデンは無言のままだ。
「エイデンには私みたいな何もできない人間じゃなくて、ダンスもマナーもレッスンなんて必要ない令嬢が……んんっ。」
ふさわしい。そう言い終わる前に唇を塞がれる。
「エイデン……くるしっ……」
荒々しく唇を奪われ、息ができない。
激しく抱きしめらた体が悲鳴をあげる。
「ダメだ……」
エイデンが苦しそうに声を絞り出す。
「絶対にダメだ。」
「何もできなくたっていい。嫌なら花嫁修業をやめたっていい……だから、頼む。俺から離れないでくれ。」
エイデンの悲痛な声に胸が痛んだ。
どうしてこの人はこんなにも私を必要としてくれるのだろうか?
本当に私なんかでいいんだろうか?
エイデンの手が私の頰に触れ、唇が重なった。
さっきとは違う包み込むような優しいキスに何も考えられなくなってしまう。
エイデンは私の気持ちを確かめるように、何度も何度もキスをした。




