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エイデンと……キスしちゃった……
婚約してるくらいなんだから、キスしたのは初めてじゃないのかもしれない。
でも今の私がエイデンとキスをするのは初めてだ。
エイデンがおやすみを告げ部屋を出て行った後も、体中が熱く火照っていた。
左手の人差し指で軽く唇に触れる。
「キスしていいか?」
そうエイデンに聞かれた時は困ってしまった。
どう答えるのが正解だったのかしら?
はい、なんて恥ずかしくって言えるわけもない。
ベッドの上でエイデンのキスを思い出して、また顔が熱くなる。
「うぅっ。」
恥ずかしさと興奮で、叫んでしまいそうだ。
枕を抱きしめて天井を見つめた。
エイデンに抱きしめられた腕の感触が、まだ体に残っている。
どうしよう……私、エイデンのこと好きになっちゃったかも。
エイデンは記憶をなくした私を優しく励ましてくれた。私を見つめる優しい瞳も、イタズラっ子のような表情も、笑い顔が子供みたいで、幼く見えるところも……全てが魅力的で目が離せない。
あんな素敵な人、好きにならずにいられないよね。
「レイナ、愛してるよ。」
エイデンの低くて甘い声を思い出す。
きゃあああ。
枕を抱きしめて、ベッドの上を転がりながら、頭の中で悲鳴をあげる。私の興奮はおさまらず、なかなか寝付けなかった。
次の朝いつもより遅く目覚めると、レオナルドが部屋でくつろいでいた。
レオナルドとは週に何度か部屋で朝食をとるのが習慣になっているのだ。
二人で遅い朝食を済ませた頃に、カイルが部屋へやってきた。
「……レイナ様、聞いているんですか?」
カイルのイラついた声で我にかえる。
いけない、ウトウトしてたみたい。
「ごめんなさい、昨日の夜はあんまり眠れなかったから……」
昨夜のことをまた思い出して、また顔が熱くなってくる。
「ふふっ。」
レオナルドの楽しそうな笑い声で、またしても我に返る。
「いいなぁ……レイナを見てると、私も恋をしたくなってくるよ。」
えっ?
「エイデンと仲良くやってるって、顔にかいてあるよ。」
レオナルドの言葉に思わず両手で頰を押さえる。
やだなぁ……もしかしてニヤけちゃってたかしら?
恥ずかしくてレオナルドから視線をそらすと、呆れた顔のカイルと目があった。
「仲がいいのは結構ですが、花嫁修業はきちんとしてくださいよ。」
「花嫁修業?」
カイルがはぁっと大袈裟にため息をつく。
「先程申し上げたんですが、聞いてなかったんですね。」
「ごめんなさい。もう一度お願いします。」
全く聞いてなかったので、素直に謝った。
「レイナ様のお体が元どおりになられたので、花嫁修業をいちからやり直しますと申し上げたんです。」
「花嫁修業って何するの?」
「ダンス、テーブルマナーなど令嬢として基本的なことから、王妃になる心構えまでを徹底的に叩き込みます。本来なら今年お二人の結婚の儀を行うはずでした。」
あとは日にちを決めるだけだったのだとカイルは言う。
「しかし全てお忘れのため、仕方ありませんスパルタでいかせていただきます。」
なんとなくカイルがいつもより生き生きとして見えるのは気のせいかしら?
「えっと……頑張らせていただきます。」
カイルがこほんと一つ咳をする。
「分かってると思いますが、レイナ様の花嫁修業が終了するまで陛下と結婚することはできませよ。」
正直エイデンとの結婚はいまだにピンとこない。
王妃になる心構えも全くもってできてない。
以前に花嫁修業を終了したなんて信じられないくらいだ。
「結婚かぁ……」
思わず口から出た言葉にカイルが素早く反応する。
「レイナ様は、陛下と結婚したいと思ってるんですよね?」
カイルの真面目な顔にドキッとする。
見ると、レオナルドもこちらに注目していた。
ビビアンとミアまで……
皆の視線に何だか緊張してしまう。
「結婚、したいと思ってるよ。」
小さな声で返事をする。
何だか顔が熱くなり、頰に手を当てる。
恥ずかしさでうつむいた私の横で、カイル達4人が、嬉しそうに微笑んでいたことに私は気がつかなかった。
☆ ☆ ☆
「何でお前達が一緒なんだ?」
城門にエイデンの不機嫌な声が響いた。
「そりゃもちろん、一緒にピクニックに行くためだよ。今日一日遊ぶために、昨夜は遅くまで仕事がんばってきたんだよ。」
エイデンの様子など、気にすることもなくレオナルドが答える。
「さぁレイナ、さっさと乗って出発しよう。」
レオナルドに押し込まれるようにして馬車に乗り込んだ。馬車は春の暖かい日差しの中をゆっくりと進んでいく。
暖かくなったからピクニックに行こう。そうエイデンから提案されたのは先週のことだった。
「わー。素敵。」
綺麗な湖のほとりで馬車から降りた。
んーっと思い切り伸びをして息を吸い込む。
爽やかな草原の香りが、気分を明るくしてくれる。
ビビアンとミアが日陰に大きなシートを広げる。
シートの上に沢山のお弁当が並べられていくのを、ワクワクする気持ちで眺めた。
「いただきまーす。」
タマゴサンドをパクリと食べる。
暖かい場所で皆と食べる昼食はとてもおいしくて幸せだ。
隣に座るエイデンを見ると、サンドイッチをかじりながら、難しい顔をしていた。
「エイデンどうしたの? サンドイッチ変だった?」
「いや、そんなことはない。」
難しそうな顔のままエイデンが答えた。
「……すいません、陛下。私まで参加させていただいて……」
ウィリアムが、エイデンに向かって言う。
「レイナがいいなら、俺は構わない。」
相変わらずいつもよりも険しい顔のままエイデンは答えた。
「私はウィルが来てくれて嬉しいわ。皆一緒の方が楽しいもの。」
そうか……
エイデンはそう呟く。
何だか微妙な沈黙が流れていく。
私まずいこと言ったかしら?
エイデンの様子に少しだけ不安になってくる。
「……忘れてましたわ。」
そう言ってビビアンが大きな水筒を取り出す。
「先代からピクニックに持って行くようにと今朝渡されたんです。」
「先代から?」
エイデンとレオナルドの声がかぶる。
「さすが双子ですね。」
レオナルドの従者のマルコがおかしそうに言う。
「先代からって何なんだい?」
レオナルドが不思議そうに聞く。
「お茶ですよ。お配りしますね。」
皆にお茶が配られる。
よく冷えたお茶は爽やかで、ピクニックにピッタリだった。
「お祖父様も一緒に来られればよかったのにね。」
そう言う私にレオナルドが目を丸くする。
「もしかしてレイナ……先代も誘ったのかい?」
もちろん。
そう答えたとたん、横からククっと笑う声が聞こえた。
「エイデン?」
エイデンが私を見ながらふっと笑った。
「まさか祖父にまで声をかけてるとはな……」
そう言うエイデンの表情は、厳しさが抜けていた。
よかった。
お祖父様のお茶パワーかしら?
そのまま皆で楽しいひと時を過ごす。
昼食が終わり、エイデンが立ち上がる。
「レイナ、行くぞ。」
「え? どこに?」
私の質問には答えず、エイデンは私を馬に乗せると、ひらりと後ろに飛び乗った。
「誰もついてくるなよ。」
皆に向かって言うやいなや、馬を走らせる。
湖のほとりを馬は駆けていく。
頰にあたる風がとても気持ちよかった。
湖畔から5分くらい走った所で馬がとまる。
「……すごい……」
目の前には一面の白い綿毛の花畑が広がっていた。
綿毛の海に足を踏み入れていく。
私達が歩くたびに綿毛が空へとのぼっていく。
「きれい……」
空に吸い込まれてしまいそう。
絵に描いたような真っ青な空に向かって飛んでいく綿毛を見上げる。
「すごいだろ。レイナにこの花畑を見せたかったんだ。」
エイデンが私の横に並ぶ。
二人で飛んでいく綿毛を一緒に眺める。
「本当にきれい。」
エイデンが優しく微笑んで、どちらからともなく手が繋がれる。
二人でゆっくりと綿毛の中を散歩する。
「でもよかった。」
ふふっと笑う私にエイデンは不思議そうな顔をする。
「エイデンってば、朝から難しい顔してたでしょ? だから調子悪いのに、無理してるのかと思ってたの。」
「悪かったな。」
エイデンはきまりの悪そうな顔をする。
「久しぶりにレイナと二人きりだと思ってたのに、邪魔がたくさんいたからな。」
エイデンが繋いだ手に力をこめた。
「悪かった。後でレオナルド達に謝っておく。」
「……ごめんね。エイデンの気持ち分からなくって……」
ピクニックが楽しみで、つい皆に声をかけてしまった。エイデンは私と二人でいたかったと知り、なんだかむずかゆい気分になる。
「最近花嫁修業のせいで、レイナとのんびりできなくて、少し寂しかった。」
エイデンが立ち止まり私を見つめる。
「毎日頑張ってるみたいだな。」
エイデンの手が優しく私の頭に触れた。
この二カ月あたり、カイルのスパルタにより花嫁修業はキツイけれど順調だった。
エイデンはたびたび会いに来てくれたが、いつも講師がいたり、カイルがいたりと二人きりにはなれていなかった。
夜中にエイデンが会いに来てくれても、私は疲れのためか早く眠ってしまっていた。
「私もエイデンと二人きりになれて嬉しいわ。」
エイデンがびっくりしたような顔をする。
「どうしたの?」
「いや……レイナがそんなこと言うと思ってなかったから驚いて。」
エイデンの顔が子供みたいで、思わずクスっと笑ってしまった。
「エイデン……」
エイデンが、んっと私の瞳を覗きこむ。
チョコレート色の瞳に見つめられて、心臓が大きな音を立てて踊り出す。
「エイデン、私エイデンのこと好きよ。」
え? っとエイデンが言った瞬間に突風に襲われる。
「わぁ……」
あたり一面が空へとのぼっていく綿毛でいっぱいになる様子はとても美しかった。
「レイナ。」
空を見上げている私を、エイデンがすっぽりと抱きしめた。
「レイナ、もう一回言って。」
エイデンの胸に頰を押し当てると、エイデンの胸の音が聞こえてくる。
エイデンもドキドキしてる……
いつも余裕そうなエイデンも、今私と同じようにドキドキしているのだと思うと何だか嬉しかった。
「エイデン大好き。」
エイデンの胸の音をもっと聞いていたくて、エイデンの胸に頰を押し当てたまま、ゆっくりと目を閉じた。




