26
「レイナ、少し休憩しましょう。」
ミアが声をかける。
「そうね、少し疲れちゃったわ。」
ゆっくり歩いて椅子に腰かける。
「ありがとう。」
ビビアンが入れてくれた温かい紅茶を飲む。
ほぅっと自然と口から息がもれた。
「甘くておいしいわ。これって……桃が入ってる?」
紅茶からはほんのりと桃の香りが漂っている。
ほどよい甘さがリハビリで疲れた体に染み渡っていく。
私が目覚めてから、早ひと月が経過していた。
上半身は早くから動くようになったけれど、足はまだ少しかたさが残っている。
それでも一か月のリハビリにより、何とか一人で歩けるまでは回復していた。
「桃のジャムが入ってるんです。お気に召しましたか?」
ビビアンが尋ねる。
「うん。とってもおいしい。」
微笑む私にビビアンとミアが嬉しそうに笑う。
「昨夜エイデン様が持って来てくださったんですよ。」
「エイデンが?」
「はい。このジャムは前にレイナ様がエイデン様と町に行かれた際、買って来られたものなんですよ。」
紅茶をゆっくりと口へと運ぶ。
前にも味わったことがあるかと聞かれたら、あるような気もするけれど……
「全く覚えてないわ。エイデンに申し訳ないわね。」
落ち込む私を励ますように、ミアが明るく言う。
「大丈夫よ。何も覚えてなくても、エイデン様はレイナが元気なだけで嬉しいんだから。」
ビビアンも頷いている。
そう励まされても、私の気分は晴れなかった。
二人を困らせるだけだと分かってはいるけれど、つい暗くなってしまう。
「でも、婚約者を忘れてしまうなんて……」
私はなんてひどい女なのだろう。
こんな私にエイデンはとても優しかった。
そのことが余計に私を苦しい気分にさせている。
思いだせなくってごめんなさい。
何度かエイデンに謝った。
「無理に思い出すことはない。」
私が謝るたび、エイデンはそう言って笑った。
大規模な山火事が起こり、それに巻きこまれた私は意識を失い、しばらく寝たきりだった。
目覚めた頃、そうエイデンは説明してくれた。
ただそれ以上のことは何度聞いてもはぐらかされてしまい、よく分からないままだ。
ビビアンやミアも同様に、私についての詳しいことはあまり教えてくれない。
そのことが余計に私を不安にさせた。
皆が言いたくないくらい悪い女だったらどうしよう……
「忘れてしまったのは辛いことだけど、今からエイデン様の事を好きになっていけばいいんじゃない?」
ミアが優しく私の頭を撫でてくれる。
「今はエイデン様の事どう思ってるの?」
どう思ってる?
ミアの質問に、しばらく考えこむ。
「……ステキな人だと思ってるわ。」
好きかと聞かれたら、もちろんエイデンのことは大好きだ。
でも……
「何だか恐れ多い気がして……恋愛対象としてはみれないわ。だってエイデンはこの国の王様だし……」
エイデンがこの国の王だと教えられたのは、少し前のことだった。
「前の私はエイデンの事を好き……だったのかな?」
「もちろん。」
ビビアンとミアが口を揃えて言う。
そうよね……なんたって婚約してるくらいだし。
それに……
「そうよね。あんなにステキな人だものね。」
エイデンの綺麗な顔を思い出す。
普段は凛々しく整っている顔が、楽しそうに笑う時はくしゃっと崩れるのはとても魅力的だ。
「それにしても、どうして大国の王で、あんなにステキな人が私と婚約なんてしたんだろ?」
「それは……」
ビビアンとミアが顔を見合わせる。
私の予想通り二人は何も教えてはくれなかった。
こういう話題になると必ず皆、私がどこまで覚えているかを確認するような質問をした。
自分の記憶がどこまでか聞かれてもあまり上手に答えられない。所々虫喰いの本のように記憶が抜け落ちているのだ。 ある時までですっぱりというわけではない。
まぁいいや、考えても仕方がない。
今の私にできることは、リハビリを頑張って、皆に心配されず普通の生活を送ることだ。
「さぁ、もう少し歩こうかしら。」
カップを置き立ち上がる。
窓から見える外の世界は薄暗い。
「外を散歩するのはまだ無理そうね。」
「そうですね。」
同じように窓の外を見ながらビビアンが言う。
冬の厳しい寒さが終わるまでは、まだしばらくかかりそうだ。
「お城の中を歩いてみたらどう?」
ミアの言葉に気分が高まる。
「いいの?」
このひと月部屋の中に閉じこもりきりだった。
まだこのお城のことも、何も把握していない。
なんだかウキウキしてくる。
「一人ではだめですよ。」
浮かれている私にビビアンが注意する。
はーいと元気よく返事をし、ゆっくりと外へ出た。
「付き合わせてごめんなさいね。」
廊下を歩きながら隣を歩くウィリアムに声をかける。
「いえ。レイナ様が外に出られる際にはいつでも声をおかけください。」
私の護衛だというウィリアムは優しく言ってくれる。
「ありがとう。」
ウィリアムのステキな笑顔に一瞬くらっとする。
エイデンといい、ウィリアムといい、美形の笑顔には破壊力がある。
ウィリアムに城を案内してもらいながら、ゆっくりと散歩を楽しむ。
「やっぱり外に出ると、気分が違うわね。」
腕を思いっきり横に広げる。
「しばらく部屋にこもりきりでしたしね。」
「暖かくなるころには、外に出られたらいいんだけどね。」
「その時には、喜んでお供させていただきます。」
他愛ない話を楽しみながら、城を探検する。
「あれは……」
廊下の先にいる人物を見てウィリアムが足をとめた。
知り合いかしら?
ウィリアムの視線の先にいた老人が、私達に気づいて近づいてくる。
ウィリアムが深々と頭を下げた。
「お久しぶりでございます。」
「うむ。」
険しい顔をした老人が、私を見つめる。
「……お前が、ガードランドの娘か……」
「レイナです。よろしくお願いします。」
誰だか分からないけれど、ウィリアムの態度からして、えらい人に違いない。
失礼ないよう、深々と頭を下げた。
厳しい視線が突き刺さる。
「娘、ついてこい。」
しばらくの沈黙の後、老人はそう言って歩き出した。ウィリアムと共にゆっくり後をついて行く。
誰?
老人に聞かれぬよう、小さな声でウィリアムに尋ねる。ウィリアムがこっそりとエイデンのお祖父様だと教えてくれた。
連れて来られた部屋に入る。
「うわぁ。ステキな部屋ですね。」
広々とした部屋の中にはたくさんの観葉植物が置かれていた。
「お花、お好きなんですね。」
花瓶に飾られている花はとても綺麗で、部屋を華やかにしていた。
ふんっと鼻をならして、お祖父様は言った。
「死んだ妻が飾ってたのを真似してメイド達が飾ってるだけだ。」
部屋にいる中年のメイド二人と目があった。
二人はにっこりと笑って視線を壁に向ける。
壁には綺麗な女性の絵が飾ってあった。
「これが亡くなったエイデンのお祖母様ですか?」
絵に近づいて尋ねる。
「綺麗な方ですね。」
ふんっともう一度鼻をならす音がする。
ちらっと後ろのお祖父様を覗き見てドキッとした。
同じく壁の絵を見ている瞳がとても優しかったのだ。
あの表情エイデンに似てる……
私を優しく見つめてくれるエイデンにどことなく似ていた。
「茶の用意をするから、ここに座れ。」
そう言って部屋の中央に置かれたテーブルセットへ案内される。
「ウィリアム、お前は後で迎えに来い。」
いや、しかし……と渋っているウィリアムにお祖父様が不機嫌そうな声を出す。
「お前はこの娘の護衛だろう。ワシの部屋で何かあるわけがないだろう。」
困ったようなウィリアムに声をかける。
「ウィル、大丈夫よ。部屋に戻る時にまたよろしく。」
仕方ないというように、ウィリアムは部屋から出て行った。
「さぁ、茶を入れるかな。」
テキパキと動くお祖父様に驚いて声をかける。
「お祖父様が入れてくださるんですか?」
「何だ? 何か文句があるのか?」
「もちろん文句はないです。ただ、お祖父様がお茶を入れてくださるなんて思わなかったので驚いてしまって……」
部屋にいたメイドがクスクスと笑う。
「ジョージ様はお茶を入れるのが趣味なんですよ。どうか付き合ってあげてください。」
エイデンの祖父はジョージというのか、そんなことを考えていると、
「余計な事を言わずに早く茶菓子を用意しろ。」
お祖父様が大きな声を出す。
はいはいっと言いながらメイドはまたクスクスと笑っている。
二人のやりとりに、何だか私まで楽しい気分になって来た。
とんっと私の前に平たい茶碗が置かれる。
「お茶だ。ゆっくり飲め。」
そう言って自分の前にも同じようにお茶を置く。
机には美味しそうなお菓子もたくさん置かれていた。
「いただきます。」
そう言って見たことがないお茶を口に運ぶ。
んっ。何だか甘くて香ばしい……
「美味しいです。」
お祖父様に感想を言う。
「こんなに深く濃い緑色なのに、全く苦くないなんて、不思議ですね。」
「ワシの淹れ方が上手いからな。」
お祖父様は満足そうに、自分も茶をすすった。
「これは、抹茶って言う特別な茶だ。」
そう言って茶菓子を一つ選んで手にとった。
「抹茶ですか……はじめて聞きました。」
「お前の祖父が好きだった茶だ。」
お菓子を食べながら、サラッと言われた言葉にひっかかる。
えっ? 私の祖父って言った?
「……今、誰の好きだったお茶って言いました。」
きょとんとしている私にお祖父様は言った。
「お前の祖父だよ。ガードランドの最後の国王の好きだった茶だと言ったんだ。」




