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「はぁ、寒い……」
かじかんで感覚がなくなった手をこすり合せた。もう少しだから頑張らなきゃ。そう思いながら冷たい雑巾を絞る。あと少しだ。
「やっぱり冬の水仕事は辛いわね。」
メイド仲間のミアも同じように手を擦り合わせ、はぁっと白い息を手にふきかけた。
「レイナは大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。もう少しで終わりだから。」
この屋敷の主人、サイモン ウォーカーがメイド達にお湯を使うことを禁止しているため、真冬でも水しか使えない。
この屋敷でメイドとして働き出してから5度目の冬になるだろうか……
私がこの屋敷にやって来たのは13歳。たった一人の家族であった母が亡くなった時だった。
仕事はきつかったが、仲間には恵まれていた。そして何より住み込みで働けるのが私にはありがたかった。
「さぁ、早く終わらして休憩しましょう。」
ミアがポンと肩をたたく。
家族のいない私にとって、3つ年上のミアは姉のように頼りになる存在だ。
「よしっ。」
二人で気合いを入れ、残りの掃除にとりかかる。
どうしたのかしら? 何だか下が騒がしいけど……
階段の手すりを磨いていると、階下でウォーカー夫妻と黒服の男数人がやりとりしているのが見えた。
あ、まずい。
気になって様子を伺っているのに気づかれたのか、黒服の男の一人と目があってしまい慌てて視線をそらせた。
「彼女ですね?」
その男が私を見ながら言う。
えっ? 私?
ウォーカー夫人に呼ばれ、何事かと階段を降りた。
「何がご用でしょうか?」
男達の遠慮ない視線を感じ、居心地が悪い。
「荷物はまとめておきました。この方達について行くように。」
「えっ? それはどういう……?」
最後まで言い終わる前に男達によって連れだされ、馬車に押し込まれる。
「ちょっと……」
何が何だか分からないまま馬車は猛スピードで走り出す。あっと言う間に屋敷が遠ざかっていく……
一体何が起こってるんだろう?
わたし、どうなってしまうの……?
私の不安なんてお構いなしに、馬車は休むことなく走り続けた。
どれくらい走ったのか、ぐったりした頃に馬車からおろされた。馬車酔いでヘロヘロになった私はそのまま引きずられるようにして運ばれる。
まるで罪人みたいな扱いね……
あんまりな扱いに怒りを覚えるが、まだ治らない馬車酔いの気持ち悪さで口をきくのも難しい。
黒服の男達は赤い絨毯の上に私を投げだした。
やっととまった……ほぅっと一息つくと同時に、
「待ちくたびれたぞ。」
上から声がして顔をあげた。
ここは……どこ?
自分がきらびやかな部屋の真ん中にいると気付いて驚く。顔をあげると一人の男が私を見下ろしていた。
目があった瞬間に思わず息がとまる。
なんて綺麗な人なんだろう。
チョコレート色の切れ長の目が私を見つめている。
吸い込まれてしまいそう……
「何だその小汚い格好は?」
心底嫌そうに男は言った。
「申し訳ありません。急いでいたので、着替えが間に合いませんでした。」
私を連れてきた男達は下を向き謝っている。
何が何だか全くわからない。
気持ち悪さも薄れ、だんだんと頭もはっきりしてきた。
「あなた、誰? それに、ここはどこなの?」
「なんだ、まだ説明してないのか。」
男はふんっと鼻で笑った。
「ここはフレイムジールですよ。」
メガネをかけた上品なそうな男性が説明してくれる。
「そしてこちらが……フレイムジールのエイデン王でいらっしゃいます。」
「フレイムジールのエイデン王?」
エイデンはこちらを見てニヤリと笑った。
フレイムジールは炎の一族が支配する大国だ。
ウォーカー家の令嬢が友人とエイデンの話をしていたのを覚えている。とても美形で、威厳があると。確かもうすぐ20歳になるんだったかしら……
確かに美形だわ……
目の前のエイデンの美しさに、思わず見とれてしまいそうになる。
でも威厳があると言うよりは、横柄って感じかしら。
「まぁ詳しい話はお食事の時にでも。とりあえず今はあなたの服装を何とかしませんと……」
メガネの男性は私を見ながら不思議そうな顔をする。
「ところで何を持ってらっしゃるんです?」
「あっ。」
私は雑巾を握りしめたままだった……
☆ ☆ ☆
結局何が何だかイマイチ分からないまま、再び引きずられるようにして部屋に連れて行かれる。
何だか疲れて逆らう力もでないわ……
半ば強引にお風呂に入れられ、綺麗な服に着替えさせられた。
「用意出来たか……」
待ちくたびれたという感じのエイデンと、向かいあわせの席に腰をおろした。
「少しは見れるようになったじゃないか。」
「あの……」
聞きたいことがたくさんあった。
なぜ私は今綺麗な服を着て、一国の王と向かいあって座っているのだろう?
私の前に美味しそうな料理が並べられていく。
「話は後にしろ。料理が冷める。」
スープを口に運びながらエイデンが言った。
「お前もさっさと食え。」
「でも……」
私の言葉を遮るように、お腹が盛大な音をたてる。
「くっ。」
エイデンが笑うのが聞こえる。
「賑やかな腹だな。」
恥ずかしさで、かっと顔が赤くなる。
何だか分からないけど、まぁいいや。食べちゃえ。
せっかくなので遠慮なくいただくことにする。
「ん〜、美味しい。」
思わず顔がほころんだ。
こんな美味しいもの食べるの久しぶりだわ。
ふっとエイデンが口元を緩ませる。
新たに運ばれてきたローストビーフに夢中になっていた私は気がつかなかった。
エイデンがとても優しい瞳で私を見つめていたことを。
「はぁ、幸せ。」
結局ペロリと全部食べてしまった。
クスクス笑いながらメガネの男性がお茶を入れてくれる。
「お口にあいましたか?」
「はい、とても美味しかったです。」
「私のことはカイルとお呼びください。」
そう言ってカイルはニッコリ微笑んだ。その笑顔がとても優しくて、私までつられて笑顔になってしまう。
「カイル」
不意にエイデンが厳しい口調で呼ぶ。
やれやれ……というような表情でカイルはエイデンの方へ戻っていく。
何か怒ってるのかしら?
「あの……エイデン様。」
「エイデンと呼べ。」
「えっ……?」
呼び捨てにしろってこと?
「さすがにそれは失礼なので……」
「構わない。敬語も使うな、堅苦しいのは嫌いだ。」
「でも……」
どうしたものかと頭を悩ませていると、エイデンが驚くべきことを言った。
「お前は、俺の妻になるのだから。」
「……」
一瞬思考が停止する。
疲れすぎて耳までおかしくなったかしら?
「……今なんておっしゃいましたか?」
「お前は俺の妻になると言ったんだ。」
エイデンの顔は冗談を言っている風にも見えない。
「えーっと……今のってもしかしてプロポーズですか?」
んなわけないか……笑えない冗談だ。
そう思いながら尋ねた私に、エイデンが声を出して笑う。
「ただの決定事項を伝えただけだが。」
「決定事項って……」
いつ、どこで、だれが決めたんだ?
「相手を間違えてるんじゃないですか? 私はただのメイドですよ。」
こんな大国の王と結婚するなんてありえない。
「カイル。」
エイデンは面倒くさそうにカイルを呼んだ。
「間違いではありませんよ。」
カイルが優しく笑いながら私に言う。
「竜の門の最後の守り人、レイナ ガードランド様。」
エイデンは鋭い瞳でこちらを見つめている。はぁっと小さくため息をついた。この様子では、たとえ人違いだと言っても信じてもらえないだろう。
この世界には魔法が存在する。王家の人間はそれぞれの国、固有の魔力を持っている。
例えばここ、フレイムジールの王は炎の魔法を使うことができる。
私は今はもう存在しない王国、ガードランドの最後の王族だ。
ガードランドは小さな王国だった。
竜の門と言われる龍神の世界への入り口を守ることを使命としていた。門の入り口を開けることができるのは、ガードランド家特有の能力だ。
龍神は天候を自由に操ることができるため、その力を欲した人々に狙われた。
私の祖父は龍神を守るため門を閉じ、封印した。それと同時に王国も滅んでしまった。小さい頃母からそう聞かされた。
国が滅んだのは、私がまだ小さい頃だ。しかしそれでも竜の門を復活させようとする者達に、小さい頃はよく狙われた。
「知っての通り竜の門はもうないわ。私がガードランドの娘だからといって、結婚しても何の得にもならないわよ。」
この力を利用されてはいけない。母からそう言われ、二人で隠れるようにして生きてきた。
母を亡くしてからは一人でメイドとして静かに生活していた。
貧しかったし、苦しいことも多かったが、逃げまわらず生きていけるだけありがたかった。
それなのに……どうしてバレてしまったの?
「最近結婚しろとあちこちから言われて参っててな。」
誰と結婚しても面倒な勢力争いが起こるのだとエイデンは言った。
「ガードランドの娘なら勢力争いの心配はないし、皆を黙らせる力はある。」
そんなことのために私はここに連れて来られたのか……
竜の門が目当てではないことにほっとしながらも、憂鬱であることには変わりがなかった。
「私にはそんな力ないわよ。」
椅子の背に力なくもたれ、投げやりに言う。
「あなたと結婚するってことは、この国の王妃になるってことでしょ?」
フレイムジールはこの世界で1、2を争う大国だ。
私がそんな国の王妃になんて、なれるわけがない。
「王妃にふさわしい人と結婚した方がいいわよ。」
ふっと笑いながらエイデンが私を見る。
「王妃にふさわしいかどうかはどうでもいい。」
「でも……」
やっぱり結婚は無理だと伝えるがエイデンは取り合わない。
仕方ない、明日にでもこっそり出ていこう。
「逃げても無駄だぞ。どこまででもおいかけて捕まえてやるからな。」
私の考えていることが分かったのか、エイデンがニヤリと笑いながら言う。
「に、逃げたりなんかしないわ。」
エイデンの迫力に少し恐怖を感じ、焦ってしまう。
「俺がお前を妻にすると決めたんだ。お前は大人しく俺のものになればいい。」
エイデンの力強い瞳に見つめられて、心臓が掴まれたかのようにキュッと痛んだ。