二人の思い
屋根をつたって宿屋に帰ったことにより、二人はその後の騒ぎに巻き込まれることはなかった。部屋に戻りベッドに座ったユウは大きくため息をついて寝転がった。
「だ、大丈夫ですか?」
疲れた様子のユウを見て、ミヤビは心配になりユウのいるベッドへ近寄った。ちなみに部屋にベッドは一つしかない。もちろん一緒に寝ているわけでなく、ユウはミヤビをベッドに1人で寝かせ、自身は床にタオルを敷きそこで寝ている。
「ああ。あれだけ大がかりな命術を使ったのは結構久しぶりでな。さすがに負担がかかったみたいだが、心配するほどじゃねーよ」
寝転んだ状態のままユウは答えた。ユウが行った治療を常人が行ったのであれば、怪我の深刻さからして、命力は“冷却”の時点で尽きてしまうだろう。ユウはそこから、通常傷口を防ぐために使われる“修復”を、腕が少し生えるまで使い、さらには自身の命力を分け与える“輸命”まで行ったのだ。そこへ数年のブランクが重なったことで、命力が常人より数十倍高いユウとはいえかなり負荷となった。
「あの、あんなことはよく起こるんですか?」
ミヤビは少し迷ったようなしぐさをしてからユウに聞いた。顔はまだ少ししょんぼりとしている。地上に出てまだ1週間しか経っていない。それなのにこんなことが起こっては不安になるのも当然だろう。
「……まぁ、よくある話でもなければ、全くない話でもないな」
人間族と鱗人族は四百年以上も対立を続けている。数で圧倒的に勝る人間、対して個の力で圧倒的に勝る鱗人。両者の被害はほぼ同じと言えていた。度重なる戦争で多くの兵士、市民が死んだ。そのうちに恨みはどんどんと募っていくのは当たり前のことだ。今回のように奴隷が反抗するケースは初めてだったが、ありえない話ではなかったのだ。
『……分からない』
ミヤビは困惑した。
『なんでなんだろう?』
ミヤビは鱗人族のことを知らない。
『どうして殺しあうの?』
だからこそ疑問に思った。これがこの人の言った世界なのか。こんなものなのであれば、
『知らなければよかった』
――そうとは限らないかもしれない。
「え」
突然ミヤビは目眩に襲われた。平衡感覚が狂い、倒れそうになるがなんとか踏ん張った。
「ミヤビ?」
ユウが心配する声が聞こえはしたものの、その声に反応することはできなかった。
――自分で見て確認しなさい。この世界を。
そう聞こえた後に、目眩はなくなり、平衡感覚も元に戻った。
「大丈夫か?」
「は、はい」
ユウにはそう返したものの、ミヤビはまだ戸惑っていた。
『さっきのはいったい誰?』
いつの間にか心の中から、「知らなければよかった」という考えが消えていたことに、ミヤビは気付かなかった。
「よし、体の調子も戻ってきたな」
ユウ達が宿屋に到着してから一時間後ほど。ベッドに座っているユウは肩をコキコキと回した。
「で、早速なんだがお前が今日買った歴史書の本、特に資料の部分について詳しく聞かせてくれ」
ミヤビが購入した歴史書というのは、五百年以上前のことについて書かれている物だ。別にミヤビが五百年以上前のことを知りたかったわけではない。ただただ彼女が乱読家なだけである。
「あの、詳しくって言われても普通に読んだだけで……」
「その普通に読めるところがおかしいんだよ」
そしてその文献は、ほとんど解読がされていない。そんな解読されていないものを、ミヤビは普通に読んだ。読めたわけなのだ。
「わ、分かりました。とりあえず読んでみます」
そういってミヤビは本を取り出し、資料が載せられたページを開き、それを読み始めた。
「えっと、掠れて読めないところは飛ばさせてもらいます。『神は人と共にあり。それら名を知恵の神……。ある時人が飢餓に苦しんだとき、神は……を与えた。ある時人が悲しみ……んだとき、神は……を与えた。しかし神は危惧した。……を手にした人は、いつか過ちを……いかと』……そこからはあまりに掠れて読めないですけど最後は読めます。『人は神と共にあらず』」
「あー、そんなに掠れてるのか」
ユウは軽く肩を落とした。五百年以上前資料の場合、文字の解読ができていないので、文字が掠れているのか本当の文字なのかが分かっていないという場合が多い。ちなみにこの本の著者が言うに、『この資料は人の戦争の歴史について書かれたもの』らしい。
「ったく。なーにが戦争の歴史だ。明らかに宗教的なやつじゃねーかよ」
「あ、あの、私の言ってることを信じるんですか? この本を書いた人って専門的な人なんですよね?」
急に心配になったのか、ミヤビがユウに聞いた。
「専門的な人間でもよく分かってないのがこの資料なんだよ。それに」
「それに?」
「あんな俺でも思い付かないような話、嘘って考えられねぇ」
この世界にも神という概念は存在している。しかしあくまでも概念としてだけ存在だ。誰しもが「本当にいる」などと考えたことはない。そして、ユウがミヤビの話を本当だと信じる理由はもうひとつあった。話に出てきた「知恵の神」は、現在あるどの宗教にも存在していない。
「本当に謎の多いやつだな。お前は」
おもむろにユウは目に命力を集中させた。普通であればミヤビに流れているはずの命力を見ることができる。しかし、ミヤビは普通ではない。改めて見たものの、やはりその体には命力が流れていない。それを理由に監禁された。殺されてもおかしくない状況だったのに。そして今日、古代の文字が読めることが判明した。
「ま、それもいつかは分かるか」
そういってユウは目に命力を集めるをやめた。
「あの一ついいですか?」
「ん?」
「ユウさんはなぜ世界を知りたいんですか」
ミヤビの質問に、ユウは薄く苦笑いを浮かべた。
「お前は人間族と鱗人族、そして鳥人族の現状を見てどう思う」
「え? えっと、よく分からないんですけど、心がざわつくというか、いけないと思います」
ユウはその答えを聞いてから窓の外を見た。すでに太陽が半分ほど沈み、空がさらに赤くなっている。
「その答えは間違いであって間違いじゃない。そういうことだ」
「え? えっと」
「なに、きっとこれから知れることだ」
ミヤビがなにかを言う前にユウは立ち上がり、ドアの方へ向かった。
「明後日にはここを出て移動する。欲しいものがあったなら明日までに言ってくれ」
「どこに行くんですか?」
「ちょっと外の空気を吸いにな」
そう言ってユウは部屋を出た。ミヤビは一瞬追いかけようと手を伸ばしたが、ユウの背中がいつもより小さく見えたため、その手を引っ込めた。
『……分からない』
一人残されたミヤビは気を紛らわせるために、本を取り出しそれを読み始めた。
太陽が沈み暗くなっただが、所々明かりがついており、むしろその光景が美しく見える。そんななかで一つ離れておかれた街灯の下に立ち止まり、ユウは物思いにふけっていた。
「いけないと思う、か」
今までほとんどの人は、鱗人族を恐ろしい存在と考えた。ユウが会った中で、初めて見る鱗人族を心配した人間は、ミヤビが二人目だったのだ。
「俺は……」
――ちくしょう鳥人族の野郎め!
――人間族だぁ!くそぉ!
「はぁ」
大きくため息をついたユウは、宿屋へと足を向かわせた。
またまたお久しぶりになってしまった。ユウの過去はもうすぐわかります。ミヤビについてはまだまだ先になるかな。
誤字脱字矛盾点等は随時訂正します。